とりあえず草って書いとこ(草生えるwwwww)
やっと今少しだけ落ち着いてきた。
何やってんだろおれ。
だからアーモンドアイに賭けて浮いた分を自分のお小遣いにしようとしたんだ。
あんまり競馬分からないけど、ネットとかで色んな情報調べたらアーモンドアイが1等でほぼ間違いないし、実際の人気も1番だった。
当然オッズもそんなに高くないので浮かしてお小遣いにするには、高額を賭ける必要があると思った。
自分で自由に使える金額は数万円程度なので口座からこの前入ったボーナス全額下ろした。
自分の口座だけど妻が管理してるので下ろす時すごくドキドキした(自分の口座なのにおかしな話だが)
下ろしてアーモンドアイで買ってすぐに口座に戻すつもりだった。
結果はこの通り。
誰だよ絶対アーモンドアイが勝つって言ったやつ。ギャンブルなので絶対はないというのは分かるのだが、今回はほぼ間違いなく勝つって言ってたろ。
どうするんだよ60万。全部なくなっちゃったよ。今妻に残業してると嘘をつき公園で99.99飲んでる。どうしよう。
冬休みに子供達とちょっと豪勢な旅行行くって計画立ててたのに。ちょっとお小遣い欲しかっただけなのに。
本当に俺は何をやってもダメ。
本当に悔しい。
ンフッってなったって言う時は実際なってるよ
双方の合意を確認するのだから、双方が署名する合意書であるべきなのに、一方的に相手にだけ書かせる承諾書になってるの、もうこの時点で対等な関係で合意するつもりが自分にこそ無いのがはっきりしていてすごいよな。文章は雑なのにこの醜悪さだけはしっかり形にしていてすごい。— IronNine (@IronNine) 2019年12月22日
例の釣り垢の合意書の話、どうやら例の連中は予想通りガチで捉えだしていたのね(苦笑)
そりゃ立憲のあの手の候補が参院選の時に性暴力禁止法とか中身がとんでもない代物を公約にしていた位だから、こう言うのにガチで食いつく奴も普通に出てくるのは当たり前だよ。
しかしこいつゲーオタ臭いのにここまで残念なのがある意味では凄いと思う。
「嫁を質に入れてでも」は差別表現だ、と言う指摘に「それは慣用句です」と言って反論か何かしてるつもりっぽい人たち、なんで慣用句だと差別OKの特別扱いになると思ってるのだろうか。— IronNine (@IronNine) 2019年12月20日
そしてまーた言葉狩りをしているのか。
今度はことわざに噛みついたのね(呆)
以前はこの手の連中が、男女平等を盾に看護婦を看護師と言い変えさせ、スチュワーデスをキャピンアテンダントとか言い変えさせたりしたもんな。
言葉だけが変わっても男女平等には何ら意味なんてない物なのにな。
所詮こいつらの言う差別や男女平等なんてお気持ちの自己満足の為の行動であると言っている様なものだ。
何せ女性の権利を盾にして、レースクイーンの仕事を潰したり、日本でもグラビア叩きをしでかしたりしたしな。
そりゃこんな事ばかりしているのだから、女性からもお前ら女性の代表面をするなとか言われ嫌われるのも当たり前だよ。
そして反論してきた女性は名誉男性扱いをするから、更に女性に嫌われる悪循環に入る。
いい加減手を組んでいるリベラル政党はその辺も気づいた方が良いよ。
またこれを見ていてイザリウオ→カエルアンコウ、メクラウナギ→ヌタウナギと改名させた件を思い出した。
しかしこの手の潔癖且つ偽善的なお気持ちに合わせていたら、そのうち何もかも差別用語認定される事になるだろう。
その癖自身はその女性や子供等の弱者の権利を盾にして、自身も弱者の振りをして、気に入らない相手をその棒で殴りにかかって、そいつを殴る為だけに逆差別を行う為、新たな差別用語の作成まで行うのだから、非常に性質の悪い連中だと思うよ。
しかし漫画アニメはおろか、海外では過去の絵画等も潰す等、娯楽芸術潰しに躍起になったり、この手の言葉狩りに必死になったりとつくづく知的芸術欲求を否定する連中なのだと見ていて心の底から感じるよ。
そりゃ奴等の言う所の海外でもある意味ではナチス扱いされるのも当然だよね。
ある意味ではこの手のクレーマーこそ本能で動いている生物に近いのかも知れない。
寧ろもう生物ですらないのかもな。
ぼくのこところすの?
for(int i=0;less(i,7);i++){
if(i==3){
//you should not delete this code for some test. please read backlog XXXXXX.
}
if(less(i,5)){
printf("i=%d\n",i);
}
}
「ボケ老人の中にそうじゃない人を放り込むのがどんなに残酷なことかわかっているの?」
春にくも膜下を発症後、手術は成功したものの様子のおかしくなった母はそれ以来施設のお世話になっている。だが自分ではおかしなことをしているという自覚はない。それでこの言葉だ。
そもそも母がいるのは認知症棟ではなく一般棟で、入居者は軽度の認知症か、認知症ではない人達。周りはボケ老人ばかりと決めつけている時点でかなり変だ。
「あなたは私がボケたと決めつけていて、それに当てはめて『ああやっぱりボケてる』と思うために毎週来ているんでしょう」「そんな風に思ってるならもう面会に来ないよ。」「もう来ないで。何かやるたびに『ほら、やっぱりボケてる』みたいに見られるのはもううんざり。鍵と銀行のカードを郵送で送ってくれたら私は一人で家に帰って一人で暮らすから。あそこは私の家だからあなたは出て行ってね」
面会に行くたびに連れ出している徒歩5分の喫茶店にだって15分くらいかかって歩いていくのがやっとなのにどうやって一人で暮らしていくんだ。
「私に帰ってきて欲しくないんでしょ。だからそうやってボケたことにしてこじつけてるのよ」
確かに、無理だと思っていた補聴器の管理も、毎週渡す500円の管理も意外にちゃんとこなしているようだ。心のどこかで、もしかして母はもう大丈夫なのかもしれない、自分が決めつけているだけなのかもしれないと揺らいでいる自分がいる。
だが、自分はおかしくないと必死に主張すればするほど母の言っていることはどんどん支離滅裂になっていって、ああ、やっぱり無理だとなってしまう。
売り言葉に買い言葉、お互いに溜まっていた不満をぶつけ合い、「じゃあもう来ない」と言って別れた。
面会者以外は許可なく出ることのできないドアの向こうで、母はいつまでも「もう来ないでいいからね」と叫んでいた。
それで来週はどうしたらいいんだろう。ボケていることを確認するためだけに面会に来ていると言う母に対して、腹が立つと同時に、本当にそうだと信じているならあまりにも孤独でかわいそうで、今すぐにでもまた会いに行きたいという気持ちになる。きっと今頃母は、執念深く腹を立てると同時に、もし本当にもう会いに来なかったらどうしようと怯えているんだろう。
だいたい正常な判断ができない老人に、面会に行かないという形で罰を与えるなんてことが許されるんだろうか。