2018年08月02日の日記

2018-08-02

禁煙して一年経った

おれはいつでもたばこがやめられるとわかったので

また吸い始めてもいいな

anond:20180801143908

グーグル上場してから一度も配当を出したことがない

予想可能な将来に配当を行う予定はないと年次レポートに書いてある

配当を出さなくても値上がりが見込める場合、人はグーグルの株を買う

なので答えは、べつに配当を出さなくてもよいだと思う

anond:20180802010910

鳥は恐竜ではないだろう

類縁関係にあるっちうのはわかるけど恐竜のものじゃあないだろう

anond:20180802010549

鳥っていう身近な恐竜いるからね、親近感と未知の世界のワクワク感が共存してるすごい存在から必然的に魅力的なんだよ

まあ俺大人だけど

日本語には気軽に感謝を伝える言葉必要

ありがとうって言いにくいか

言いにくいよね? いや心理的なアレじゃなくて

とくに「が」

この濁音がいらないこ

ありゃと

くらいにすればよかったのに

よかったのに

子供ってどうしてああ恐竜が好きなんだろうね

子供いないからわかんないや

子供だったこともないしな

anond:20180801170009

つのころから書き手ライトに書ける、というのが大勢を占めてきた

出版社責任は大きい

anond:20180801173600

そんなわけで、しりとり必勝法について考えてみたです

基本的な戦法は、「同じ文字で攻め続ける」です。始まる言葉が少なく、終わる言葉が多い「ル」攻めが基本ですが濁点が有効なら「ズ」の方が効果的です。

それで攻め続けるだけで、だいたいは勝てるはずです。

しかし、逆に自分が「ズ」攻めを食らったときのために「ズ」で始まる言葉を羅列しておくです。

マイナーと思われるものには()説明をつけておいたです。

そして取っておきの「ズ」で始まって「ズ」で終わる言葉

相手が中級以上のしりとリストならば「ズ」攻めを使ってくるかも知れません。「ズ」攻めを食らい続けて散々つぶした後に「ズ」返しをする戦法が最強です。

同様に「ル」攻めを食らったときのために「ル」返しが出来る言葉たちもあげておくです。

これであなたしりとり最強王者!!(・∀・)

anond:20180801134801

だとすると君は恵まれコミュニティに属してるんだろうね

こういう口調がもっと増えればいいんだけど

憂鬱ブロック

最近辛いことがあってすごく荒ぶってたんだけど、今日は打って変わっておとなしく一日を過ごした

ずっとおでこのあたりに靄がかかったようで、怒ったり泣いたりする気分にならなかった、もはや無気力

ちょうど鼻炎薬とか酔い止めとかの副作用で眠くなってるときみたいな感じ(もちろん薬は飲んでいない)

多分最近ストレスを感じているのを身体が感知して、これ以上ダメージが行かないように憂鬱な気分をブロックする仕組みが働いたんだろうなあ

人体って意外と良く出来てるね

anond:20180802004827

そういう時代を一瞬経過して、やはり人というフィルター有用だと悟ったのが10年代以降の日本人でしょ

バカが何言ってもバカまりなんだよ。

anond:20180802000942

バリスタナイロンって…機能美は否定しないが、こちとら別にアウトドアみたいな「命を預けるギア」が欲しいわけじゃない。

から実用一点張りのバッグは正直趣味じゃない。

呪いを教えて

ムカつくお客さんと今後もお付き合いを続けなきゃいけないことが決まりました

せめて心の中だけでもやり返さないと気がすまないので、なんかおすすめ呪いというか祈りというかあったら教えてください

今のところこんな感じで考えてる

・痔になれ

・たちの悪い蚊とエレベーターで乗り合わせろ

・体液紫色になれ

・耳の穴に大根おろしまれ

増田かいてる記事から

はてなID特定される脆弱性発見されました。



ってなったら焦る?

anond:20180802001125

木造じゃあるまいし下に響くとは思わない(のだよ)

anond:20180801201901

「やってみそ汁」って言いたいだけだろ

納豆汁なんて普通だぞ

anond:20180801184746

うわキツは商業アンソロが初出なので二次発祥かと言われると微妙ラインだったりする。

気にする人と気にしない人

世の中には、ささいなことを気にしてしまう人と気にならない人がいる。

わたしは前者だ

電車で見知らぬ隣の人と体が密着した状態に置かれると、なんとなく落ち着かず無意識肩に力がはいる。そしてほとんど微動だにしなくなる。意識ほとんどが隣に座った人間に持ってかれてしまう。そういう人は、けっこういるんじゃないかと思っている。

しかし、それとは対照的に隣に人が座ってきたとしても何も感じることなく、目の前にあるスマートフォンに集中し、隣の人が腕を当ててこようが、カバンをガサゴソとしようが、何も感じないというか気づきすらしないという人もいる。

わたし体感では、こういうタイプ多数派であるように思う。

この違いは、一見些細なことに思えるかもしれない。

しかし、おそらく日常生活の中には想像以上にこのような場面が多く存在している。

友人との会話が他人に丸聞こえの状態でも気にせず話せるかどうか。貸したものがなかなか返ってこないときに、「あれ返してよ」と躊躇なく言えるかどうか。店内で遠くにいる友人を大きな声で呼べるかどうか。電車で目の前に人が座ったとに視線の向けどころに困るかどうか。電車での他人の会話にイライラしないかどうか。

かに一つ一つを見ると、とてもちんけなことのように思える。

しかし、こういったことを日頃から感じながら生きている人と全く感じない人には"生きやすさ"という点で、とても大きな差があるように思える。

この差を作っているのは、やはり幼い頃に両親からもらう自己肯定感の有無なのだと思う。

それを持っている人はその存在、ありがたみを自覚することが少ない。だからこそ、それを持たない人の気持ち理解している人は少ないように思う。

上に書いた、自己肯定感の低い人が気になってしまう例として挙げた、「電車で隣の人の会話が(ry」や「隣の人の腕が(ry」の原因となっている人達は総じて自己肯定感が高い人なのである

この問題の辛い点は、この辛さを共有できる人の少なさにあると思う。

こういう辛さを抱えながら生きている人は少数派だと思うし、いたとしても表には出てこない。

そうじゃない相手理解してもらおうとしても、その理解してくれない相手の反応に心を消耗してしまうなんてことになり得る。

その上で、わたしが今まで生きてきた中で大事だと思うことは、自分がそういう性質を持つことを客観的認識すること。

こういう性質を持っていることは生きやすさという点において、目に見えない大きなハンデになっている。それがない人と対等に張り合おうとすると当たり前だがものすごく疲れる。

あの人はあんなに人と上手くやれているのに。

あの人はあんなに努力できるのに自分ときたら。

それは、あの人が人と関わるとき相手自分を嫌うことなんてありえないと思えるくらい両親に愛されてきたからであり、あの人は、だからこそ人と関わるときに大してエネルギーを消耗していないからだと思う

そのことをちょっと頭にいれてみるだけでも、自分を大切にすることにつながるんじゃないかと思う。

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