優先にしたら誰も文句言わないぞ
でも大麻は解禁してほしいと思っている
女というだけで痴漢されやすいんだから優先車両を設けるのもやむなし。
年寄りに転ばれたり、間違って転ばしたりしたくないように、女が痴漢されるのはもちろん、男が痴漢に間違われるのも気の毒だしね。
まず、被害者の責任を問うのはおかしい。この風潮はそのうちなくなると期待しているが。
で、例えば性犯罪について語るときの「男は獣だから」という話を聞いて、一般的な男は不快に思わないのかといえば、不快ではあるが加害者は自分ではないので、自分のことを言われているとは思わないだろう。ただ、やらかした男を見て、自分も気をつけようとは思うだろう。そもそも、このご時世、大人の男がいろいろ気をつけなければいけない空間があるので、そういうところでは疑われるような行動はあらかじめとらないようにしている、、というのが男の一般的なあり方ではないだろうか。
自転車に関しては完全同意。ある程度交通ルールがわかるレベルにならないと乗れないようにしてほしい。免許制で。
そういう人たちは、情報社会学(社会情報学)を学んでいるべきで、
それができていれば(学問的な後ろ盾をもって設計に関わる裁量があれば)、そういう根本的な問題をもっと調整できてるはずと思うんだよね。
いろいろ考えたらモニョモニョして眠れなくなったので、寝る前に思っていることを書こうと思う。
深夜のノリでザーッと書き出したので読みづらい文章だったらごめんなさい。
少し前にこんな記事が流れて来た。
http://news.livedoor.com/article/detail/14627657/
すっごい簡単に書くと、田舎にいるとまともな教育を受けられない、受ける権利が侵害されている。っていう話。
そのあとに、
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/08/2017.html?spref=tw
こんなデータを見た。
進学率の男女比を出したデータだ。2017年現在のものなので、少し古いかもしれない。
こんな私(女性)も田舎出身で、地方から出て来て大都市圏で理系大学に通い、仕事についている。
この記事と、データを見ていたところ、めまいがするような衝撃と同時に田舎にいた時の記憶が蘇って来た。
私が住んでいた場所は、この記事を書いた筆者ほど教育リテラシーが低い場所ではなかった。
ちょっと街に出でて、本屋に行けば赤本とか普通に売ってたし、ちょっと街に出れば美術館もあったし、一応Fラン大学も近くにあるような場所。
とはいえど、ちょっとどこかに遊びに行くといえばジャスコだったり、アリオだったりっていう土地柄でした。
だから、まだ高校卒業したあとには大学に行く文化はあったのかなと思う。でも、進学校といっても半分ぐらいは専門学校にいくようなそんな場所だった。
こんな場所で育って、一番強く覚えていて、今でも心に刻まれているのが
と家族に言ったところ
「そんなところ、女が行く場所じゃない。女なんて、医療の専門学校や、簿記の資格取っておけばいいんだ。婚期が遅れる。早く子供作って孫(ひ孫)の顔見せておくれ。」
正直、かなりショックだった。そのあといろいろあり親を完全に説得して、理系大学に入って今に至る。
(ちなみに、婚期は遅れませんでした!子供はまだ遅くなりそうだけど。。。)
私は、男女比の資料を見て、実際かなり納得した。田舎ほどまだこのような考えを持つ人が多いのは事実だったんだな。と。
高校の時、進路指導室に行っても指定校推薦みたいなものは確かに男性優先だった。。。のかもしれない。
正直、指定校推薦はも貰うつもりがなかったので、AO入試やら、自己推薦入試やらを活用して自分の力で入学を勝ち取った私ですが、
今思うと、高校の進路指導室でももしかしたら、話半分に思われていたのかもしれないと感じる。
実際、受かった時の進路指導室は大騒ぎでしたし。
ちなみに、田舎だとまだ理系は男の仕事という印象がかなり強いと感じています。だから余計に大騒ぎだったんじゃないかなと思う。
あともう一つ、今でも抜けない感覚がある。
「女は男に尽くすもの」
という感覚。
具体的には、
結婚して、夫に指摘されていろいろ気がつきつつある感覚なんだが、私が生まれ育った田舎だとご飯を食べるのは男性が先。
家事をやるのも、基本女性の仕事。お手伝いなにそれおいしいの。
女は男性を超えることは許されない。
どんな時でも男性が一番。男性のいうことに口答えするのは許されない。
私の夫は都会育ちなので、こういう感覚はないらしい。
私は、こういう感覚を気がついたら意識せず植えつけられていたらしい。
「女に三角関数を教えてなにになる」
みたいな発言をして大問題になりましたが、進学率が地方の女性ほど、私みたいな考え方を自然に植えつけられているのかもしれない。
だから、男性を越えるような行為を行うことはあり得ない、恥だと考えるような感覚が地域に染み付いているのではないか?と今私は思っています。
私はこのような感覚が100%ダメだとは思っていないです。性差で適材適所があるのが事実だとは思っているので。
とはいえど、この感覚で気がつかないうちに自分の才能や夢を諦めさせられている人がいるのは悲しいかなとは思ってしまう。
私はおそらくこのような文化を気がつかないうちにぶっ壊して、今の立場にいるのかなと思っています。
でも、この空気感、感覚が本当にできる人を潰しているのであれば、男女間の教育権利も侵害されているのではないかと思ってしまった、そんな一女性の嘆きでした。
・ウィークリーマンション住人にとって「10枚入り指定ゴミ袋」は使い切れないので買いにくい。
・ごみの大半がこのコンビニで買った弁当ガラ等だからいいのでは。
・てかこのコンビニの売り上げに貢献してるのはどう考えてもこのマンション住人。
解決策
いくら頑張っても報われない時代なのも、セクハラとかいうしょうもないことに焦点があたるのも、うつ病が蔓延してるのも、だいたい少子高齢化で近未来に希望が持てていないからなのと資本主義過ぎるのが原因だ
今後の社会保障費の増大を考えると、金回りには希望が持てない だから投資が進まず単価が上がらず購買力は落ち売上が伸びず所得が伸びず所得に占める税金の割合は増える 風が吹かなければ桶屋も儲からないのは確かにそうなんだけど、経済取引において風を吹かすのはお天道様ではなく人間なのに
また、資本主義過ぎるというのは成果主義が徹底され過ぎている点であって、
成果主義を選んだところで、人間の考えが不完全である以上成功するかどうかは運によるところが大きい にも関わらず国民全員が全員の尻を叩いていては(政治家への批判も含めてだ)いわゆる囚人のジレンマのようなものに思える
じゃあなんですかね。