普通に飽きたんだろ、それ。
流行なんて数年で古くなる。
特に10代の時に流行ったものは高校卒業と同時に恥ずかしくなったり、一世代前の流行に乗っかるなんてダサいと感じるもんだけど
アレに限ってはよくみんな飽きないなぁと思う。
すんごい気になるんだけどみんな部屋の片づけとかやってて虚しくならないの?
足の踏み場がないほど散らかっているのならともかく床に物が数個置いているくらいならたいして気にならない・生活に支障きたさないし
足の踏み場がないとしても片付け終わった後の「はーすっきりしたー」なんて一瞬で終わる快感と部屋を片付けている間の苦痛なんて比べるまでもなく後者のほうが上
何より部屋を必要以上に綺麗にしたところで感じるのは「これ少々散らかっていてもたいして変わらないよね」という時間を無駄にした感だ
他にも知的財産・人格権の侵害や特定の属性への偏見など、あのコンテンツが良しとされている状況に違和感を覚えるキッカケはいくらでもあったはず。彼も言うように大半の人は悪気など無いんだろうけど、それだって無知は罪である。放置している運営には狂気しか感じない。
子供のころ、ちょっとした症状で「家庭の医学」を調べると、重病ばっかり羅列されてて恐怖したことを思い出したわ
今すごく眠い。まあ、ただ退屈なだけなんだけど
でさ、試しに「眠くてしょうがない」でググってみたんだよ
「病気だ!更年期だ!ストレスだ!鬱だ!スピチュアルだ!」「眠気覚ましにはこのサプリ!(アフィエイト公告)」ってなんだよこれ。医療系の検索結果は死んでるってだいぶ前から言われてたけど、本当しょーもないページばっかりヒットするな。
なんかイライラしたので少し眠気が覚めた。
よく分かります。同じような考えの人がいるのだな、と感動しました。私も失敗してきませんでしたが、成功もせず、面倒くささで物事をはかってきた人間です。お互い、死ぬまでに何か成し遂げられるといいですね。
ルーターでポートフォワードしているから外からLAN内のネットワークカメラにアクセスできるんですか?
ユーザはネットワークカメラ専用の映像集約サーバ経由で映像を操作・配信できるようにすればある程度は攻撃をブロックできそうだけど、サーバ運用だれがやるのかという問題がある。
だいたい同じことを思ったがとしあきの方がまとまってんなぁ。
つまんねーな
そして教育的にも良くできてない
まずおじゃるでやっている事の意味がない
最後にエンマ大王が出てきて言わせたいことを言うだけのスピーカーしてた所だけは、おじゃるキャラの使い方としてマシだったけどそれもおじゃる丸のエンマだからこそって訳ではない
そもそも鍵開けて場面転換してからがあまりにも戦争教育のテンプレ杓子定規すぎて作品全体がおじゃる丸でなくなってる
それまではおじゃる丸だったのに急に別の何かになった
その中ではエンマのセリフとおじゃるの「分からん」だけがかろうじて残ったおじゃるらしさ
それでも教育番組として良く出来てるならおじゃるの皮被った別の何かでも評価するけどそうでもない
過ぎた事は無かったことには出来ないを伝えるにしてもあれじゃ「忘れてた方が幸せだった」で反論しきれちゃうと思うんだよな
思い出したくないけど思い出さなきゃいけなかったのが伝わらねえ
戦争に巻き込まれた者達の悲しみの描き方も駆け足気味かつノー伏線だからいまいちささらんのよ
その中でも腹にBって書いてある鳥が覚醒後はイケメンとして描かれて終始カッコつけたまま終わってるのが特におかしい
飛び方を知らないままのアホから英雄みたいになってんじゃねえか
確かに当時の日本は間違ってたのかも知れないけどお前がキリっとばかりしてないで加害者の自覚にもっと誠実に向き合わないならストーリーが成立しないだろうがと
そこの悲しみがあるから「忘れたい」ってテーマに繋がるんじゃん
被害者と加害者が一緒に忘れたいと思ってる話にしたかったんでしょ?
それならそこは全キャラそういう方向で足並み揃えようよ
それもこれもやっぱ後半が駆け足すぎるからなんだと思う
前半からガラりと空気変えて強いインパクトを与えたかったんだろうけど時間配分がね
もうちょい前半のうちにも後半への布石を撒きつつ動けたんじゃないかなって
教育要素を後半に押し付けたせいで色々と唐突なのは本当に勿体無い
最後まで娯楽番組しつつ教育番組しつつのバランスを維持するか、もう最初から教育のためにすべてを傾けるかのがバランスのが良かったんじゃないかなと思う
とはいえね
結婚式をしたら、自分の交友の幅を思い知ってしまう気がして怖い。
私にはそう思うことが結構ある。
結婚式を挙げる恐怖ってやつ。
中学、高校、バイト(複数)、職場仲間、ネットで繋がった友達など、私生活でよく遊ぶような仲の良い人はたくさんいる。
敵を作らない性格だとは思っているし、そう努力している。悪く言うと八方美人だけど。
だから、地元に帰るときは自分から言わなくても声がかかるし、誘われるから休暇の予定もほぼ埋まる。
人から見ても交友関係には何にも問題ないと思われているだろう。
でも、自分なんかの挙式に、友達は誰も来ないのではないかと非常に不安になるときがある。
これは広く浅くの友達関係を築いた罰なのだろうか。声をかけても10人もあつまらないのでは、と思ってしまう。
友達の結婚式や二次会にもよく出ているけど、人数の相場として、式・披露宴は特に仲良い友達7人程度、二次会は二人の友人合わせて50〜70人くらい集まっている印象がある。
友達には、結婚式にもよく呼んでもらえるので、今までで8人くらいの式に参列した。呼んでくれてすごく嬉しいと思いながらも、都合いいからかな?と思うこともある(あんまり仲良くした覚えのない子の場合など)。
呼んでいるんだから、その子達は私の式に呼ばれてもおかしくないと思ってくれてはいそうだけど‥
でもやっぱりみんな来ないかもしれない。来てくれるかもしれないけど、行きたい!という気持ちがある人は一人もいない気がする。
みんなどうして結婚式するんだろう。
私は、結婚式はある意味交友関係の広さがさらけ出てしまうもの、という印象があるんだけど、そうじゃないのかな?
みんなが自分のドレスを見たいとも思えないし、結婚式って自分に自信がある人がするのかな?
でも、自信がある人がこの世にあんなにたくさんいるようにも思えなくて。
ああいう人って、実際になったらどうなるんだろうな