もうすぐ35になってしまう。
結婚8年目。
20代は、まだまだ自分は子供だし、子供を産んで育てるっていう自覚も自信もなかった。
30代になってそろそろ子供のこと考えなきゃって思ったけど、趣味が楽しかったし、旦那が転職したりして、もう少し落ち着いたらって先延ばししてた。
真剣に考えはじめたのは、34になってから。収入も余裕ができてきて、そろそろ子供のこと考える?って話をして、基礎体温とか測りはじめて排卵日にSEX。
でもそう簡単に出来るもんじゃないんだね。歳のせいもあるんだろうけど。生理が来るたびヘコむ。
正直今でも、ものすごく子供が欲しいってわけじゃないから、不妊治療とかしてさらにつらい思いをしたくない。
今のままでも十分幸せだし、自由気ままな生活に満足してるけど、子供の居る生活ってどんな感じだろう。いろいろ大変なこともあるだろうけど楽しいだろうなって思ってしまう。
あと、子供がいなかったら旦那が死んじゃったあとさみしいだろうなとか。
もうほとんど諦めてて、子供にお金がかからない分家でも建てて猫でも飼おうかなって考えてる。
デキ婚が批判されてて、結婚も出産も計画的にって言われてるけど、自分が一人の人間を産んで育てられるくらい立派な大人になったって自覚することが出来る日なんて死ぬまで来ない気がする。計画的にとか経済的にとか、考えれば考えるほど産もうと思えなくなる。なんとなく育てられるって思えてきても、自分みたいに手遅れになることがあるし。
だったら、出来ちゃったっていう現実突きつけられて、自覚せざるを得ない状況をつくったほうがいいんじゃないかって思う。もちろん自覚出来ない親が少なからずいることは問題だけれども。
美大・芸大の世界に、一般大のようなランクを当てはめようとするのは無理がある。
まず、芸術の才能は、偏差値の様に数値で測れるものではないから、
なので、予備校の先生の感覚で、○○大学はレベルが高いとか、○○大学はレベルが低いとか、判断される。
予備校の先生が、大学を評価する感覚に、受験生の将来が左右されるといっていい。
だけど、そんなこと言うと、予備校の先生だって、美大芸大の実力について、
偏差値の様に、分かりやすい尺度がある中で判断できるものじゃないので荷が重い。
大学のレベルを測るには、実績を出している卒業生がいるか?とかで判断するしかない。
そうすると、仕事の多い関東が就職率に置いて有利になるだろうけど・・・。
大学のレベルというよりは、その土地の経済状況に活躍は左右される処もある。
あと、みんながみんな、レベルの高い大学を目指しているとも限らない。
応用情報技術者試験受かってたんだが、落ちると思ってたから年甲斐もなくはしゃいでしまった。
午前は演習量、午後は国語力が問われる感じ。午前で合格点を取る実力があり、かつ、受験勉強(センター試験でおk)をした人なら午後は直前に過去問2年分くらいやれば受かると思う。
取ったからどうという試験ではないけど、久しぶりに試験勉強とかしたし合格する感覚も味わえたしそれなりに楽しかった。高度にも挑戦してみようかな。あるいは、こういう嬉しい情報を伝えられる人を見つけるべきか。まぁそっちの方が大事なんだろうな。あれ?なんか鬱になってきた。
君個人の子孫なら明確に定義出来るけど、「我々の子孫」なるものの範囲を見定めるには、国家と国籍制度が先行する必要がある、という話。
君も認めちゃったでしょ、移民とか帰化とかの概念でその枠が変化することを。それは国家国籍の概念があって初めて成立するんだから。
むちゃくちゃなロジックだな。俺とおまえとその他の人間が集合して、共同体が成立する。その共同体を国と呼び「我々」は「国民」と再定義される。
独自定義で話されても困る。共同体と言っても、例えば村や町であっていけない理由がどこにもないだろ。国家を成立させ国籍の制度を作って初めて国民という概念が成立する。
俺らの遠いご先祖は多分日本列島のどこかにいたんだろうが、「日本人」であったかどうかは微妙だぞ。クマソ国の誰それだったかもしれん。
今や大抵の学校に、オタサークルや実質オタサークル化している部活や同好会がある。
しかし社会人サークルになると、同人誌制作やコスプレといったガチの二次創作系はともかく、げんしけんのような、アニメやマンガやゲームの消費者が趣味嗜好を通じてつるむ(例えば今だったら皆で連れ立ってまどか☆マギカの映画を見に行くとか)系のグループが皆無っぽいのはどういうことだろう。
或いは自分のアンテナに引っかからないだけなのかもしれないが、ググっても出てこないとすると、人脈に乏しい自分のようなオタには全く情報が入ってこないので、皆無と同じである。
1枚300円、10枚買っても3000円程度の浪費でわざわざ厳密に期待値を計算したくもない。
10円単位の金をケチるために「マックでセット頼む奴は情弱」とか言ってる自称情強と同じ。
流れ着いて田舎にきました。
なんとかパーマネントはゲットしたけど、研究よりも教育でしょ!みたいな主張が幅をきかせてるし、
安定したポジションで、ゆっくり研究して、みたいな生活に憧れてたけど、なんかこれが一生続くんだなと
思うとうっすら恐怖を覚えてきた。
できれば故郷に帰りたい。
でも、いまの研究者の現状を考えると、これでも幸せなんだよな、とも思う。
ポスドクに戻ったって、どうなるもんでもないだろう。
ポスドクに戻れば、涙が出るほどパーマネントに憧れるんだろうし。
ああ、どうしたもんかな。無い物ねだりなのかな。
つまり、
国家としての体裁なんてどうでもいいだろ。要は我々の子孫が生き残るかどうかで、国家として存続していようが人類に占める子孫の比率が少なくなればそれは敗北であり、国家が滅びようとも子孫が他国ででも生きながらえて人類における人口比率を高めればそれは日本人にとっての勝利だろ。
は間違いだった、とやっと認めた訳か。疲れた。
「国家の体裁」に先行する「日本人」も「我々」もないよ、あるとしたらこの島国に偏って存在する遺伝的な特徴くらいだが、そんなもん守る価値あるのか? というところから話をしていたわけだが。
「国家の体裁」があるから初めて、「我々」という枠が定義され、「我々の子孫」なる概念が成立する。数を云々出来るのは、まず「我々」が国家によって同じ国民として定義されるからだ。
でまあ、「子供を作る義務」なんてものを設ける国はだいたい早死にするんで、国家としての体裁を守ることにはならないよ、という話。
ここで、博士課程の話かくと、前世で中途半端な博士に親を殺されたやつが湧くよw
人間は千年も生きられないんだよw個人の生は常に100年程度で終わるし、一個人の産む子供はせいぜい3、4人だ。
「我々の子孫」にこだわるその「我々」とはなんだ、と問うている。今日本国籍を持つ日本人のことだろ?
「国家の体裁」があって初めてその枠はあるんだ。国家がなければ、お前と俺は「我々」なんて同じ枠にくくられるべき人間じゃねえよ。
だから、托卵が嫌なら受け入れなきゃいいだろ。人口を増やすことにこだわる理由がわからんと言ってるの。
それは「我々の」国の仕事ではない。
お前は日本国に何をさせたいの。さっぱりわからんよ。もうお前自身わかってねえだろ絶対。
そもそも、出産とかガチガチに管理する国家なんて絶対長持ちしねえぞ?
そういうことをやるのはたとえば共産圏とかだが(産児制限だからベクトルは逆だけどな)、ソ連はロシア帝国よりずっと短い60年で滅んだし、中華人民共和国だって、他の王朝ほど長持ちするとは思えんだろ。
君は国の寿命を縮めようとしているだけなんじゃないの?
ほらそうやってすぐ茶化すじゃない。
ごめんごめん、こちらこそ、お前がまったくもって「感覚」でなんとなくそだろ!としか感じてなくて、
実際どうなのか何も理解してないのがよくわかったよ。