ここ最近盛り上がっている、子どもを産むことに対するネガティブな言説を読みあさってしまったが
子どもを産むことは鬼畜の所業、馬鹿、親のエゴ、生まれない方がマシ・・・
そんな言葉の渦のなかで、私のお腹からまた一人子どもが生まれようとしてる
これらの増田には強く非難される鬼の所業だろう この増田に共感するとブコメしてた人たちにも
同級生のようなキラキラした20代を送ることができず、引きこもって鬱屈としていた
それこそ、生まれてきたことが間違いだと思ったし、自分みたいな人間は生きる価値もないと思っていた
その時すごく思ったのは、こんなに毎日死にたいと思っているのに、どうして自分はなかなか死なないのかってことだったんだけど
何度か自殺未遂を試みるんだけど、どうしてもうまくいかなかったんだよ
ネットで楽な死に方をいっぱい検索した。その手の掲示板に出入りして、死にたい人の集まりみたいなところで死ねない自分を嫌悪していた。
それなのに。
死にたいと思うのと同時に、「怖い、やっぱり死にたくない」って思ってしまう
死にたいはずなのに、どうして「死にたくない」って思っちゃうんだろう、だってこんなに生きることが辛いのに。
毎日朝起きることが絶望でしかないのに。今すぐやめたいと思ってるのに。なんでこんな矛盾しちゃうんだろってすごく考えた
本当にさ、自分が心の底から自分の意志で死にたければ、死ぬのが楽しみなはずだよね。
ワクワクして楽しみで、指折り数えて待っちゃうくらい。多少痛くたって怖くたって、気にならないくらい、楽しみなはず
でも自殺する人って、みんなためらい傷とかあって、死ぬのを周囲にほのめかしたりして、誰かに止めてもらおうとする素振りを見せたりしてる
「死ぬ」という選択は「よりよく生きること」が否定されて初めて生まれるものだから。
「よりよく生きる」「楽しく生きる」「生きていて心地良い」が実現されない、「だから」絶望して、初めて「死のう」となる。
生まれたことを賛美されなかった障害者は、死んだほうがいいのか
生まれてすぐ周囲から虐げられる被差別者は、死んだほうがいいのか
不細工は、性的不能者は、貧乏人は、部落出身者は、在日は、デブは、ゲイは、障害者は
生まれて来なければよかったんだろうか
命そのものが悪なのか
でも、その人の死を望んでいるのは本当は誰なのだろう
世の中でうまく生きられない人が死を望んだ時、
本当にその死はその人の自由意志で選択された死なのか
誰かに、「よりよく生きること」を阻害された結果の、「押し付けられた死」ではないのか
死ぬことが楽しみに思えない以上、私は本当は「生きたい」んだと、20代の私は気づいた
「生きたい」のに、毎日たのしく生きられない、生きるのが苦しいと思う。
「死にたい」んじゃなかった。私は、「よりよく生きる」ことこそを切望していて、それが叶えられないから苦しかったんだった
今、生きていること。
呼吸をしていること。
触れていること。
見ていること。
考え、感じていること。
ただただ、自分がそこに在るだけ。命そのものに、生きていることそれ自体、そこに絶望はないと思った
私の子が、もし生まれたことを後悔して、死んでしまいたい、どうして生んだんだと私を責めたら
生きることが辛すぎる、こんなことなら生まれたくなかったと、残酷すぎると絶望していたら
あなたの命は、悪も善もない、ただそこに在るだけではないかと言いたい
あなたが生まれたことを後悔するのは、生まれてきたからではない
あなたが「よりよく生きる」ために、私は努力を惜しまないと 一緒に苦しんで考えようと
「死にたい」と思うのは、「生まれて来なければよかった」と思うのは、「生きていたい」という切ない願いの裏返しだと
そんな時は「ゆゆ式」でも見とけ。
『えーっとね、三人がずっと仲いいことだよ。』
『何だよ、それ。手堅い夢だな』
『えへへ』
そんなんでいいんだよ。そんなんで、
多分一番幸せだよ。
年齢にも寄るが大人になるほど、相手を利用価値があるかないか値踏みして付き合う人が増えるだろうね。
まあそれは友達とは言えないような気がするけど。
相手に「認めてもらう」って時点で対等じゃないよね、少なくとも友人って対等な存在だと思うけども。
人に好かれるか認められるかってことばかりに意識いって、肝心の自分自身を充実させたり楽しませることが無くなってるのでは?
他人がいなくては何も楽しめないっていうのは、依存だし。
ANSIIってなに?
たいていの発注担当者は仕事の内容や規模にしては能力がかなり低く、
そのわりに受験エリートでプライドだけは高いという厄介な人材が多いので、
この人には注意した方がいい
18時で仕事終わったのに帰り着いたのは20時半、家事と明日の準備がまだ終わらないようと泣きべそを増田に書き込もうとしたらこの記事読んで泣きべそ書くのはやめようと思いました。
書いている本人が一番幼稚に見えるが
中学の頃、高校生活が舞台の漫画や小説を読んで散々憧れた高校生活も
振り返ってみれば当初想像していたようなものとは全く異なっていた。
入学してすぐに変な同級生に絡まれて謎の部活動に巻き込まれたりなんてしなかったし、
突然時を駆けれるようになったりもしなかった。
だが、決して楽しくなかったわけではない。
テスト終わりに友達とカラオケに行ったり長期休暇になったら温泉行ったりするのは確かに楽しかった。
部活には入っていなかったが、おかげで趣味にも没頭でき、それを通じていろんな人と知り合えた。
特に大きな事件も起きなかった平凡な3年間。
だがしかし、この平凡な3年間こそ中学時代に憧れていた作品の主人公達が望んだ3年間なのだ。
中学時代、なぜ漫画や小説の主人公達は平凡な日常、普通の学園生活を望むのか理解できなかった。
変な部活や事件に巻き込まれた方が絶対に楽しい。そう考えていた。
だが、いまになってこの3年間を思い返してみれば
アニメなりドラマなりでよくある設定で、主人公とかの師匠格にあたるキャラクターが死ぬパターンあるじゃん。
戦闘中に死ぬとか病気に冒されて死ぬとか死に方はいろいろだけどとにかく死ぬわけだ。
で、もともと真面目に師弟関係やってた主人公であればもちろん師匠の死を受けて遺志を継ぐためにより厳しい修行するし、
それまであんまり真面目に師弟やってなかった主人公の場合、これを契機に人が変わったみたいになって修行に励む、みたいなのよくあるじゃん。
アレって現実でも必ず起こるもんかしらと思ってたけど全然そうじゃなかったね。
俺の場合、恩師が亡くなってそろそろ4年経つんだけど、自分でも引くくらいなんにもしてこなかった。
いや一応研究もどきはしたよ。名ばかりの論文書いたりちょろっと学会発表したりはした。でもそんだけ。
亡くなった直後は妙に悲壮感に駆られて、これからは立派な研究者になるんだ! とか思ってたはずなんだけどね。
存命中もロクなことしなくて呆れられてたけど、亡くなってからもなんといって心構えが変わったりしてない。