理論に対する批判になってないような気がするが。
僕は子どもの頃、外見的に「おとなしそう」「虐められそう」だったし、カッコ良くもないので、中学二年の頃にひどくイジめられた。
で、中学生なりに考えた結果、僕はそのイジメをシカトするという方法をとったんだけど、リアクションが無いとつまらないのか、シカトするという対処法は割と有効で、イジメからの脱出に成功した。
その後、成人式の同窓会でイジメの首謀者達に会っても怒りが再燃するようなこともなく、それなりに楽しく飲むことができた。
だから、自分の心ではもうその経験にケリをつけられているんだと思う。
でも、あの経験は僕に色々と影響を及ぼしていると思うことがある。
イジメられた経験のある人なら、わかってくれると思い、ここに書いてみる。経験のない幸運な人も、イジメられるとこうなるということで読んで欲しい。
まず、体の操縦がヘタになる。
イジメられてると、イジメてる側はいつも見てる。これは誇張とかじゃなくて、虐められてる側はもうそう思わざるを得なくなる。
そうなると笑われないように、イジメのきっかけを産まないように行動しないといけなくて、そう思うと余計変なことしちゃって、笑われて。
実際今でもそうなる。少しテンパると体がうまく動かなくなって、指先震え出しちゃったりとか、瞼が降りてきたり、少しの力をかけるつもりがビクンッて強い力を出しちゃったりとか。(言いにくい
あと、呼吸もへたになるね。ただただ呼吸するのが苦しいっていう。気にしなきゃいいんだけど、気にし始めると、もうね。
あと、心が鈍感になる。(と思う
これは僕がイジメをシカトしてやりすごす、といういなし方をしてたからかもしれない。あれ結構キツイんですよね。泣いちゃいそうで。でも泣いたら面白がられるしね。それを半年続けたからもうキツかった。
で、その影響なのか、全然感動をしなくなった。感動モノの作品を見たり、旅行先で凄い綺麗な景色を見たり、大学であるコンテストで凄い結果出したりしたけど、全然心が震えないのがわかる。心が鉄でできてる感じで、パサパサなのね。
もしかしたら、イジメに対して怒って殴りつけるぐらいの対処をしてたら、映画見る時でもワンワン泣いたりキャラクターに怒ったりしていたのかもしれない。こんな事言っても、本当しょうがないけど。
・・・ということをこの前イジメで自殺したニュース見てて思ったんだけど、どうだろう?
同じような事を感じてる人は絶対いると思うんだけどなあ。
カウンセリングとか行った方がいいの?誰か教えて。
最初の頃はみんなモチベーションも高くて残業も休出も文句言わないどころか
みんな進んでこなして、自社製品を作り上げる目標に全員一丸となってた
しかし所詮ベンチャーで作った自社製品なんて、大手メーカーの安くて高性能な製品に敵うはずもなく
営業活動しようにも営業費が捻出できずに売り上げは低迷
藪蛇って知ってるか?
「こういう文章を書く人間は容姿や能力が劣るから結婚『できない』喪女に違いない」
「こういう文章を書く人間は結婚に後悔している不幸な子持ち専業主婦に違いない」
と思いたい人が2人釣れましたね。
そうでしょうとも、こういうことは不幸で惨めな人間じゃないと書いちゃいけないんですものね、
そういう老害がpgrpgrうるせえから、同様のことを思ってても
言わないし言えない人は世の中にいっぱいいると思いますけどね。
めでたく、先月末で25歳になりまして、今日も曇天の空のもとcoffeeを飲みながら、みなさんの他愛ないお話に耳を傾けております。
男
私立大学文学部中退(就活決まらない、ストレスで卒論手に付かない、資金難のため留年不可)
容姿は悪くないけど良くもない 顔貌は整ってて適当に筋肉がついてお腹も出てないし髪もフサフサ(就活時は10円ハゲが二箇所できてたけど治った)
いわゆる転勤族の家系であり、学生時代に何度か転校した。6年に進級する際にも引越しして以来交友関係は冷淡になったと思う。転校先ではたいていすぐ仲良くなれるけど、本音ベースで付き合ってきた自信はない。
中学一年でいじめデビュー。 とはいうものの、陰口や嘲笑の類で暴力やモノ隠しなど、報道されるほど深刻ではない。十分我慢できる範囲だったと思っていたが抜毛症になり、これも嘲笑の的になる。このあたりで教師が感づき、「いじめ」とはっきり口にして以来すべてが収まった。決定的だったのはクラス替えだとは思うが。とはいえ良い教師でした。離任式を経て他の学校行っちゃったけど。
高校受験は失敗。地方住まいなので公立が強い。ろくに勉強しなかったので当然だけど(たぶん10時間もしてないと思う) そんな背景もあるけど、翌年には他学区の受験生が不当に不合格にされているという報道が受験先の高校を筆頭に問題となった。中学の成績は評定、内申点共に優秀だったようで、不合格は担任も残念そうだった。 ちなみに私がその受験校で、実際どうだったかは問い質していない。親は不満そうだったが。 ちなみに私立で一番評判のいい附属高等に進学。
高校でコミケデビュー。しかし、人ごみが苦手なので二回で引退。部活動に打ち込む。勉強との両立ができずに成績が落ち込み、やむなくエスカレーターに頼る。とはいうが、ハードルを下げればMARCH入れるよというレベルではあったので、たんに背伸びしすぎたのかもしれない。少しめんどくさい話になるが、エスカレーター先はMARCHより偏差値は低い。要はMARCHを狙える成績だったが、ホームページや実際に足を運んで見て、面白そうだとは思えなかったので、これならランク下げてもこっちのがよさそうだ、とエスカレーターを頼った次第。ここの選択は正しかったと今でも思っている。
大学デビュー。友達の毛色がこれまでと違い、ぼっち気味になる。が、似たような変態はいたもので、そういう変態とは最終学年までよくつるんでいた。教員にも恵まれ、心からおもしろいと思えることがいろいろあった。が、遅刻気味になり成績は凡。遅刻を気にしない授業では一番の評価は多かった。
そんなこんなで就活を迎えたわけだが、実際面接に進めたのは10社程度だった。私の頃にはもうテストセンターがあり、その成績は特に対策しなくても使いまわせる程度に良い点数だったと思う。そんなわけで面接にはほぼ確実に進めたのだが、どうもやはり態度がよろしくないというか性格がひねくれているというか鼻につくというか、まあ何かしらあって面接はてんでダメだった。それ以降は先述の通り。
大学を中退してからは一年ほどニートだった。少し頭を冷やせと親が面倒見てくれた。中退して今更何を頭を冷やすのか。ちょうど一年に差し掛かろうかというあたりで東日本大地震が直撃。無傷。それ以降は仕送りで貯めた額でとりあえず半年ほど生きて、バイトを始め、それからまた半年ほど経って慣れてきたのが今。
ない。あるわけないだろう。
バイトの分際で仕事はなかなかできるらしく上司からの評価もまずまずらしい(評価は面談で見せられる)。もしかしたら正社員になれるかもしれないが、周りのバイトのおっさんたちを見ると厳しそう。「バイトから社員になる動きが強くなっている」とはいうが、それは「私が正社員になれる」ことを何も保証しないし、「他人を蹴落として椅子が開くのを待たないとムリ」と別な上司からも言われている。バイトしながら就活をするにせよ、ここあたりの選択はかなり響きそうだ。
何が恐ろしいって、バイト一つで親に依存せず生活できているということだ。しかし切り詰めている。本来なら、普通に生活してなお将来のために貯金できていなければならない。今年から減免とはいえ奨学金の返済を始めようと思う(昨年は猶予)。これが加わるともう貯金なんてできない。じゃあもうひとつ掛け持ちしようか?日雇い短時間アルバイトをはさみながらならば、他のスケジュールを圧迫しないだろう。まあ、どんな生活しても無様な死に方しかしないだろう。親より先に死にさえしそうだ。
Controllerが何かというのは、ここでは単にRailsとかCakePHPとかのウェブアプリケーションフレームワークのControllerのつもりです。
ウェブアプリケーションの場合処理の結果に応じて画面にいろいろ表示しないといけないわけですが、その画面表示の部分(表示するViewの選択とか、表示するメッセージの設定とか)はControllerに書かないといけないわけですよね。
そうすると、Modelで何か起こったときにControllerにそのことを通知して、それに応じたViewへの仲介をControllerに書かないといけないのですが、これがめんどくさいわけです。
正常系だけならいいですけど、途中で異常が起こって処理が中断されるなんてところを考えると、その部分を全部Model→Controller→Viewの2段階で書くのが大変に感じてしまって。
これ経験ある。
もし万が一戻ってきたらと思ってとりあえず非表示にだけして、すっかり忘れてたある日カレンダー整理しようと思ったら非表示にしてるの思い出して、消す前にとりあえず見てみるとどんどこ新しいオトコとの予定が入ってて笑った。