※このエントリを書くきっかけとなったのはこの記事です。→http://hamusoku.com/archives/6930329.html
※「知人」には許可を取ってあります。
昨年引っ越しをして、ようやく新しい生活が落ち着いてきた知人に会ってきた。
もともと彼は仕事を辞めるつもりはなかった。何と言われようと東電に勤め続けるつもりだった。
が、秋頃に彼の子どもが、学校でイジメに遭っていることが発覚した。
机に「原発」とか「放射能」とか彫られたり、日本から出て行けと罵られたり、
その子がおとなしいのをいいことにどんどんエスカレートしていったらしい。
彼は子どもを救うことを優先し、生まれ故郷(偶然私の実家に近い)に引っ越した。
家族全員まだまだ立ち直れていないけど、幸い何とかやっていけそう、とのことである。
この話を聞いて、あなたはどう思っただろうか。
「東電社員転落人生ざまぁwwwww」とか、「子どもに罪はないだろ!いい加減にしろ!」とか、
「だから何だ責任放棄するな盗電野郎が」とか、色んな感想を抱いたことだと思う。
でも、「その人東電の"どこ"で働いていたの?」という疑問を持った人は、どれくらいいるだろうか。
彼は、火力発電関連の部門で働いていた。
3.11以降、原発にかわってフル稼働している火発の技術者だった。
彼が東電で働き続けるつもりだったのも、月並みな言い方をすれば、自分の仕事に誇りを持っていたためである。
「原発が"直ちに健康に影響ない"発電所なら、今の火発はまだ"直ちに健康に影響ある"発電所」
「焦って火発を乱立させるくらいなら、3.11の経験と今の技術(※1)をもとに原発をつくった方がずっと安全」
と語っていた。そんな火発だけど俺たちがどうにかしてみせる、とも言っていた。
そして自分の仕事については、近隣住人にきちんと話していた(※2)。
にも関わらず、イジメが起きた。イジメっ子の家庭は間違いなく彼の実情を知っていたのに、である。
連日の報道であまりに自然に「東電=原発」のイメージが染みついてしまっているが、
「東電=原発」の間違った前提で行われる東電叩きは、明らかに脱原発の道を遠のかせる。
別の部署で事故が起きたので必死で働いてください、でも給与は削減します、
社外からはその部署と一緒くたにされて叩かれます、私生活で嫌がらせを受けるかもしれません。
これで「仕事に誇りを持ってるなら堂々としてろよ。(※3)」と言われるのは、さすがに理不尽ではなかろうか。
東電という企業が叩かれるのは仕方ない。仕方ないどころか当然だ。
でも「東電社員」を叩いている人は、その相手があなたが別の場所で応援していた、
原子力以外の発電に携わっている人間かもしれないという想像を、一瞬でいいからしてほしい。
私には彼の他に数名、発電所で必死に関東の電力をまかなっている知人がいる。
はっきり言って同じような話は、もう二度と聞きたくない。
別に自分らがかっこいいとか思われたいわけでもないし、それより女におたく系の服装してもらう方がいい
なんで流行るようになったんだろか?
オタクの服装がアレなのは、興味がないからじゃないの? 興味がない人間に「こうすればいい!もっとよくなる」って言っても無駄だと思う。
ごめん、書き方が悪かった。
なんで、エラーのこととか、容量なんかのチェック項目?を全部紙媒体に記録していく必要があるんだろうかって意味。
それこそ元増田に聞いても仕方ないんだけどねw
「転売は商売の基本」マジレスするとそれは言い過ぎ。付加価値のある転売とない転売は区別が必要。叩かれてるいわゆる転売屋ってのは後者でしょ。
異常時に担当者宛てメール送信などの処理をするサーバー監視システムを使うのが普通です。
いちいち人が巡回なんてキチガイです。
転売って商売の基本だもんね。
松井稔監督の『日本鬼子(リーベンクイズ)』を観る。東京ではユーロスペースで大ヒットした作品だ。これまで観る機会がまったくなかったわけじゃないけど、往年の日本兵士たち(つまり老人たち)のインタビューだけで構成された三時間近くの作品と聞いて、正直に告白すれば、これまでどうしても食指が動かなかった作品だった。でもせっかくの機会だから観た。退屈だったら途中で退席すればいいと思っていた。会場のシティホールはほぼ満席。結論から書けば、僕は最後まで座席に釘付けだった。まさしく一歩も動けなかった。
戦争時、虐殺行為を働いた兵士たちの証言はこれまでも何度か聞いたことがある。でもそのほとんどは、同じ舞台の兵士がやったという目撃談か、上官に命令されて仕方なく……式の証言がほとんどだった。つまりは傍観者であった(制止できなかった)自分を悔いるか、加害者でありながら戦争という構造的な狂気の被害者でもあるというエクスキューズは残されているのが常だった。しかし『日本鬼子』に登場する元日本兵たちのほとんどは、まさしく虐殺の命令を自らの意思で下した上官か、そうでなければ実際に手を血で染めた兵士たちだ。まずはその身も蓋もないほどの事実に圧倒された。
中国の村を襲い、略奪と村民全員の虐殺をはかった兵士の証言が出てくる。家の中で幼児と共に震えていた若い妊婦を見つけ、レイプしようとしたが抵抗されてかっとなり、妊婦の髪を摑んで家から引きずり出して、井戸の中へ叩き込んだという。泣き叫びながら井戸の周りを走り回っていた幼児が、家の中から椅子を持ってきて井戸の脇に置いてよじ登り、母親の名を呼びながら中を覗き込もうとしてつるりと滑り落ちた。その一部始終を眺めていた彼は、部下に命じて井戸の中に手榴弾を投げ込ませた。
目撃談ではない。命令されて仕方なくの行為でもない。証言する彼が、まさしく自分の意思でやったのだと断言した。
「中国人を同じ人間とはどうしても思えなかった。何故かは分からない。でもとにかく、人間を殺しているという感覚は全然なかった」
登場するかつての皇軍兵士たちのほとんどは、そうつぶやいた。七三一部隊で中国人捕虜たちを材料に様々な生体実験を率先してやったお爺さん。南京で何十人も虐殺して河が紅く染まったと証言するお爺さん、捕獲した民間人を中国軍のスパイだと決めつけて拷問の末に片っ端から銃刀で突き刺して殺したお爺さん、中国娘をレイプした後に虐殺してその肉を部隊全員で食べたお爺さん。たくさんのお爺さんたちが、縁側で、茶の間で、ホテルのロビーで、診療所で、午後の柔らかい日差しに包まれながら、蝉の声を聞きながら、訥々とそう告白する。
慟哭はない。嘆息や逡巡や絶句すらほとんどない。松井監督はそんな要素をすべて削ぎ落としている。作品としての評価は分かれる部分だと思う。僕がもしこの作品の編集を担当したとしたら、インタビューの内容よりもむしろ、お爺さんたちの話の合間に生じるそんな余白に興味を持つだろうし、カットとしても最優先するだろう。そもそも彼らへのインタビューの交渉そのものを素材にしていたかもしれない。
しかし結果として、そんなニュアンスを徹底的に削ぎ落としたインタビューは、これ以上ないほどにグロテスクなものになる。「内臓がドバーッと出てきましてね」と苦笑混じりに語るお爺さんを眺めながら、彼らは殺人鬼でもないし血に飢えた狼でもないと客席の隅で僕は歯を食いしばりつづける。親を敬い初恋に胸を焦がし子供を愛し、笑ったり泣いたり、憎んだり赦したりしながら、戦後の半世紀以上を市井の片隅で生き抜いてきた人たちなのだ。だからこそ考えなければならない。優しく穏やかな僕たちが、そんな残虐さを何の躊躇いもなく発露することがあることを、僕らは自分たちを主語として考えねばならない。
そういうもんだよ。カウンセリングは基本的に愚痴を聞くこと。悩みを解決するためのものじゃないよ。
悩みの原因が特定できてるなら、行動するのは自分だし、特定できてない・解決できる類ではないのなら、薬に頼ったりするし(その場合は医者)
見えないところが健康になっていて(体力がついていて)年をとるとそれが明らかになってくるよ。
コレにだまされる人ってどうせ別の場面でだまされるだろうし、一回痛い目見るのが一番だと思う。
なんで度々こういう記事が投稿されてブクマされているかというと・・・
ま、賢い人はわかっているでしょうね。甘い誘惑にはご注意を。
あいつら小売の分際で偉そうなんだよな。