はてなキーワード: オノマトペとは
ネットで「イタリアの菓子だったらスフォリアッテッラが好き」というのを見て、何やその聞き覚えのない響きと思って、検索したら博多駅にある店のHPが出てきた
バターでなく、オリーブオイルを使ったパイ生地にクリームチーズを詰めたお菓子らしい
あまり食品に関して聞いたことがないオノマトペだし、その食感って美味いのか?と妙に気になった
買い物ついでに博多駅のカフェで、プレーンとピスタチオのスフォリアテッラを買ってみた
家に帰って、まじまじと見ると、クロワッサンを扇状にしたような見た目をしている
クロワッサンと違うのは層が入っている方向で、スフォリアテッラは貝を模しているらしく、扇の持ち手の部分から上方向に層が分かれていた
重さもクロワッサンやシュークリームよりも重く、持った感触が明らかに硬い
サクサクを謡う食品で、実際にサクサク鳴ることってあんまりないと思うのだが、スフォリアッテッラは本当にバリッバリと鳴る
食感は噛むたびに層の一枚が割れて、バリッバリと音が鳴るほど固く、今までの人生で食ったことがないものだった
堅パンのような嚙み切れぬような硬さではなく、薄く延ばした飴細工を歯で砕くときのようなバリっと感だが、舌に溶けるような感じではない
揚げ餃子の皮が感覚的に近いがそれよりも分厚く、厚さが均等で、層になってるゆえの食感がバリではなくバリッバリと連続して楽しめる
皮は粉糖がかかっているので少し甘いが、小麦やオリーブオイルの味や香りを強く感じるわけでもなく、味覚や嗅覚よりも食感を強く刺激してくる
クリームの柔らかい感じと皮の硬さが口の中で合わさるのが初体験過ぎて、これはこれで合ってるのか?とずっと新しい食べ物に疑問を抱きながら食んだ
変な感想かもしれないが、似た系統の食べ物として浮かんだのは素麺だ
同じく食感を楽しむ食い物で、素麺は喉ごしのつるりとした爽やかさを楽しみ、スフォリアッテッラは歯で層を砕くのを楽しむと方向性が異なる
販売店はカフェで、今はコロナ禍だからかお菓子の販売だけだったのだが、世のおしゃれなOLさんなどはこの菓子を店内でどうお上品に食べるのだろう
未体験との遭遇という感想が強く、美味しいかったかどうかよくわからなかったが、食感が忘れられず、また食ってみたいなと思う不思議な菓子であった
「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」「語源となったのは『真夏の夜の淫夢』」*引用元1
という増田に対して
というツッコミが入り、このコメントは累計58のスターを獲得した。
という文章であった(蟹工船の中でガバガバが使われているのこの一文のみ)。
これは布などのこわばりを意味する意味でのガバガバであり、増田の指摘するグダグダ(ガバマンからの派生だと思われるのでどちらかというとユルユルだと思うが)という意味ではない。
manamanaba 蟹工船、青空文庫にあったから検索してみたけど"垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ"なのでこれはまた違う意味と思う
versatile 「寝る前に、漁夫達は垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。囲んでいるもの達が、炬燵のように」蟹工船から抜粋 https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
mag-x まず蟹工船は「こわばっている」の意味だから別系統。肛門を含め「ゆるい」が淫夢以前から存在したのも間違いない。ただ「判定がガバガバ」のような「雑・杜撰」の意味が淫夢以前にあったかどうかは議論の余地あり。
a1dog 意味の全く違う蟹工船からの引用は反論にならないだろ。昔からあったはずだと言いながら用例が一つも見つかっていないのなら増田のほうが正しいんだろうな
この発言をしたこととそれが伸びてしまったことは書き手の日本語力及びはてなーの確認能力の低さを浮き彫りにしている。
具体的には以下の
1 「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」
2 「垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ」
のどちからの文章、もしくは両方が理解できなかった、ないしは他人の発言を鵜呑みにしてソースを確認しなかったことによりそれは生まれている。
まず考えられるのが1の文章を「ガバガバという言葉が(グダグダという意味を持って)生まれたのはここ10年のこと」と解釈した可能性である。
これは「に」という接続詞と「が」という接続詞の意味を知らなかった可能性を指している。
次に考えられるのが2の文章を「垢でスルメのようにグダグダになったメリヤスやネルのシャツ」と解釈した可能性である。
垢(作中の描写はないが潮の影響もあるだろう)でスルメのようになるというのは硬い状態、オノマトペで言えばカピカピやゴワゴワに近い。
グダグダをクタクタと勘違いしたにしても、スルメのカチカチなイメージとは結びつかない。
つまりこの文章の意味におけるガバガバをグダグダと結びつけるには文章の意味を理解していなければ出来ないのだ。
今回、多くのブクマカがこの間違いを指摘してくれている。
ソースを示したブコメに対しては54のスターが入り、ガバ指摘の58にも迫る数となっている。
だがコレを持って「はてなは自浄作用があって素晴らしい」で終わりにしてはいけない。
次からはこのような頭の悪い発言をしない、そしてそんな発言に対してスターを安易に付けないことが大事なのだ。
そのためには「ソースの確認が自力でもできる発言は出来るだけソースを確認。ソースをまともに掲示しない発言は無視」という癖をつけるべきだ。
これはなにも発言者の心をサイコメトリーできる超能力者でなければ出来ないようなことではない。
小学校で習った日本語をちゃんと理解すれば出来ることであり、小学生にだって出来ることだ。
こんなことを言われるのは恥ずかしいことなんだぞ。
ここまで頭が悪いやつにどう教えたら良いのか俺は分からんから勉強のやり方については誰かブログにでも書いてホッテントリにしとけ。
わかったな?
https://anond.hatelabo.jp/20220807004927
この増田の
週刊サンケイ. 13(46)(697);1964・11・2 国立国会図書館限定 雑誌 扶桑社 [編] (扶桑社, 1964-11)
うん。
どっちも「ぐだぐだ」という意味でガバガバを使っているという話じゃないよね。
ガバガバというオノマトペがそのまま当てはまるような物理的状態に対してガバガバを使っている状況を指している。
オノマトペそのもの意味から派生して、より概念的なもの、グダグダな状態を表す言葉として使われだしたのがここ10年という意見に対しての反論としては成立してない。
と反論されている。
これもまた「物体の物理的な状態に対してのオノマトペ」であり、「仕事や段取りが上手くいってない状態」を表現しての「ガバ」というニュアンスではなく派生前のものを指している。
における「ここ10年」は「グダグダという意味が生まれた」の時期を指している。
これは日本語を母国語として12年義務教育やっていれば当然読めると思われる。
だがはてなーたちはこれを「ガバガバという言葉が生まれたのはここ10年」と読んでいる。
これはまさに日頃はてなーが馬鹿にする「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外においてはマスクを外しても問題がない」を読めない人種ではないか。
あえて注釈を入れるが、この文章は「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外」という条件を満たしたときであれば「マスクを外しても問題がない」という意味だ。
間違っても「マスクを外しても問題がない。何故なら屋外で赤の他人と過ごすシチュエーションにおけるお互いの距離は感染の危険がないほどに長いと証明されたからである。つける必要があるシチュエーションはハグ・セックス・大声での口喧嘩ぐらいであるが、これらは屋外では滅多に行われない。つまりマスクはもうほとんど不要と言って良いのである」ではない。
結局ははてなーもまた文章を読んでいるわけではなく、文章からイメージされる情報に対して自分の記憶を何となく結びつける人種なのだ。
まるで英語が出来ない学生がリスニング試験を受ける時のように、文法もよくわからないまま単語と自分の記憶を朧げに結びつけることでなんとか意味を理解した気になっているのである。
そしてそのことに自覚がない。
何故なら、彼らにとって文章を読むとはずっと昔からそうであったからだ。
散りばめられた単語と自分の経験や知識を組み合わせて、それっぽい話を頭の中で組み上げているだけなのだ。
言葉が法則によって並べられ、悪文でもない限りは意味が一意に絞れるような組まれ方をしているものだとは思ってない。
「アレ」や「ソレ」といった代名詞を使ったりジェスチャーや雰囲気でなんとなくお互いの考えを伝えるのと同じ延長線上にあるのである。
これは実に恐ろしいことだよ。
何が恐ろしいって自分たちがそんな状態のままで他人には「マスクを屋外でいつでも外していいってなんで判断してるの?」「ただの風邪ってフレーズだけを切り抜いて何から何までただの風邪と同じとついに暴露したって騒いでるの頭おかしいでしょ」って言うんだものな……。
何も変わらんよ。
自分たちが日頃そういう会話に参加してるから漠然とし「既に知っていること」を「なんとなく思い出して」いるだけじゃないか。
ビックリだな。
ケーキを切れないかもしれない境界に多くの人達がいるという本が前に話題になったが、ネットで他人の文章読解力を散々笑ってきたコミュニティがAlexの読解力問題を解けないというのもそれに似た話なんだろうな。
本当にひどい。
まあ面白くはある。
まず、最初に共有しておきたい認識として「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」「語源となったのは『真夏の夜の淫夢』」の2つがある。
細かい経緯は発生源とも言うべきニコニコ動画がさすがの詳しさで書かれているので気になる人は目を通してくれ。
同性愛者を笑うという行為のリスクについて日本はもっと真剣に考えた方がいい。
同性愛保護の動きはいまやポリコレ・SDGsの一部となり、その勢いはキリスト教の価値観さえも丸ごと変革を迫るほどのものだ。
日本のフェミニストのように力もなく戯言を繰り返すだけの集団ではなく、同性愛者保護は確かな権力と行動力、そして正当性を持って行われている。
現代においてはもうレイザーラモンはテレビで扱えないだろうし、猫ひろしのようなネーミングセンスの芸人は誕生と同時にバッシングを受け干されるだろう。
今や淫夢語録はSNSやYoutubeを経由して日本中に広がってしまった。
誰もが当たり前のように使っている。
そのせいで淫夢語録を使うことがリスクであることを認識していない人が多すぎる。
当たり前のように使っているという状態が皆で渡れば大丈夫だと思っていられるのはそれが外側で問題として扱われる前までだ。
たとえばここに世間から隔絶された人肉食とそのための殺人行為を繰り返す村があったとして、その内側で暮らす人はそれを問題としないだろうが、もしそれが世間に見つかれば彼らにとって問題がないとされていた行為も咎められることになるだろう。
その際には「そこにいる多くがそれを異常と思っていないこと」こそが大きな問題とされより激しい「矯正」が待ち受けることになる。
恐ろしいことに逆に淫夢語録を覚えることを目指している界隈もある。
界隈に既にある文化に馴染むためにリスクを冒して異常な言葉を使うか、そういった風習から距離を置くために今からリスクのない言葉遣いを意識するか。
情強を気取るはずのはてなーの中でも使用者が多いのが「ガバ」という淫夢語録であるわけだが、さて使っている連中はどこまでの解像度でその状況を客観視出来るているのだろうか。
リスクのある異常な言葉をあえて選んでいるという自覚があるのか、普通の言葉だと思いこんでいるのか、それとも異常な言葉ではあるがリスクはないと思いこんでいるのか。
そこを自覚した上であえてその最悪であることを楽しむ愚行権の行使者もいるのだろうな。
ネットは未だにアングラであり世間から外れた態度を気取ることこそがここでの作法だと思いこんでいる頭の硬い老人ぐらいここにはいくらでもいるのだろうな。
追記:
なんか伸びてるな。
伸びてる理由の半分ぐらいが「ガバガバという単語自体は昔からありますけど?」っていう文章読めてなさ凄すぎる人達によるものなのがちょっと不満ではあるが。
まあそういうアホはスルーするとして、「そもそもガバガバ・ユルユル・グダグダ辺りは意味が元々近いから、淫夢の影響なしでもこの表現へと派生していけるパスはあったろ」という指摘については素直に頷いておくか。
ただ個人的な体感としてこの使われ方、特に「ガバ」「ガバる」「ガバってる」という形で使われる頻度が増えていった時期を考えると淫夢やbiimの影響は感じるんだよね。
そうして偶然ついたマイナスイメージに対して配慮をしていくべきなのかって話をしたかったんだが……まあ最初に言ったように「ガバガバというオノマトペは大昔からあっただろ」という反論が多数でそこまで話してくれる人が少なくてせっかく伸びたのになあという気分だ。
淫夢語録がどこにでも出てくることに違和感を感じる人がいたり、逆にそうやって違和感を感じること自体を言葉狩りとして敵視している人がいたりするのは再確認できたが、じゃあどうすんのって話が聞きたかった。
いやまあここについては「使う」「使わない」の2択だって分かりきってるじゃんって話ではあるんだが、じゃあ他の人に「使わないことを推奨する」はどこまでやるべきなのかなと。
まあ「ガバ」については定着しすぎて気づかずに使っている人が多すぎるからもう気にしてもしょうがない感じではあるな。
「微粒子レベルで存在している…?」ほどは露骨じゃないから「昔からありましたけど?起源主張する人がおかしいんですけど?」で言い張った方が皆幸せな可能性はあるわなあ。
「微レ存」「(便乗)」みたいなネットミームであることが明らかであるものについてだけ気をつけりゃ良いのかなあ。
「それさえ気をつける必要ないぞツイフェミレベルのキチガイ言葉狩りガイジ」みたいなコトはてなーからは言われちゃいそうではあるが