はてなキーワード: やるかやらないかとは
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
だからテメーが勝手に合コンにやる気があるっていう前提で話しで突っ込んでんだろが。
メンバーの調整で時間取れば、イイ奴呼べるよっていうのもやる気があるときの状態だろ。
そもそもやる気ねーのに何でそこまで頑張らんといけんわけ?
やる気の有る無しじゃねーの。
やるかやらないかだけ。
やると決めたならきちんとやらない奴は馬鹿だし出来ないクンだな、と言ってるの。
投入しちゃった労力は変わらないのにくだらないちっちゃいとこをケチって台無し。
これ馬鹿。ね?
やる気ねーならやるな?
そん時の雰囲気や断りづらい状況ってモンもあんだよ。
なんだ、偉そうな口調だからちょっと勘違いしてたよ。
「めんどくせー」で断れない程度の微妙な立場なら
ますますきちんとやりゃあいいのにw
仕事でもプライベートでも身についた姿勢や合理性は出ちゃうってこと。
遊んでたって「あ、こいつダメだな」ってのはわかるでしょ。
あーまー、わかんねーレベルなのかなw
元増田だけど、えぇー、全部反応するの無理だから、逃げたの?とか言わないで。
「気持ち悪い。」とかは歓迎。そういう話をしてるので。
いや・・・別に悩んではないんだけど・・・。
むしろ先の人が言っていたように、
どうでもいいよ、やるかやらないか、それだけだよ。
基本はこういうことだと思ってますよ。
でもそれ言ったら全部の議論がそれで終わっちゃうじゃないですか。
そりゃ赤の他人のことなんか人が口出す問題じゃないからどうでもいいですよ。
自分だって同じこと言われたら余計なお世話だって思うから直接は言わないけど、
増田だったら書いてもいいよね?ってことで書いたんだけど、それもダメなの?
それも許してもらえないならごめんなさい。
テメー上から何様だよ!!とか、さぞ偉い職業なんですねっていう揶揄も、
至極ごもっともなんだけど、
そういう脊髄反射的な議論を避けるために匿名でそれとなく書いてるわけなので、
別に相談することへの愚痴なんかを漏らしたわけじゃないんだけど、
嫌な奴ですよ、こんなこと言う奴は。
あと、反応の量は結構予想通りなんだけど、
意外に同意の割合が多いなぁと思ってしまった。
そういう異常なくらいの人に接したことがある人なら、
もちろんそういう世界で成功している人全員が全員そうなんていうつもりはないですよ。
だけど、程度の差はあれ、仕事に対する考え方はやっぱり常人レベルから
かけ離れてるなぁと思うんですよね。
ただ、趣味にしろニッチにしろその業界のトップレベルにならなくても食っていける道はあるよ、
というのはまっとうな意見だと思うけど、大体相談しにモヤモヤしてる人というのは、
やっぱり何の根拠もなしにトップスターに近い位置になれて、
人並みの生活を手に入れられるとか漠然と思ってしまっている人なんですよ。
その辺りも判断できない人に「警鐘を鳴らすのもダメ、本人に考えさせればいずれ気づく」っていうのは、
いっぱいレスが思いのほかついちゃって増田さんは逃げちゃってるかもしれないけど。
言いたい事は分かるんだよ、自分が一生懸命やって、仕事ができるようになればできるほど、頑張った自分とは正反対の輩がへばりついて来る。
それで嫌になっちゃってるんだろうけどさ、そういう奴らが。
でもさ、自分にもそういう時期あったんじゃないかな?違う?
ただ憧れだけで、現実なんか見ないで、突き進んだ頃の気持ち忘れちゃってない?
そして、それより少し前のまだ何も始めていなかった増田と、その高校生は何が違う?絶対に違うって言い切れるのかな。
年齢は違ったかもしれないけど、その頃の作品なんて、みんな似たり寄ったりだと思うんだよね。
その中で、何かの弾みでボコっと上達したりしてさ。
増田はその高校生の二倍か三倍ぐらいの長さを生きているのかもしれないけれど。
でも、こういう書き方すると、「それで?そこまで言っちゃう増田はどれだけのハイパーデザイナーなの?」とか、言われちゃうよ。
自分が”大目”に見てもらえてた頃のこと忘れてない?
自分が死ぬほどヘタだった頃の事、忘れてない?
自分を見つけて、ひっぱり上げてくれた人のこと、忘れてない?
それにさ、増田は、自分の言った事で高校生の人生が変わると思ってる節があるけど、そんなわけないよ。増田がいくら有名な人でも。
高校生が本気でやる気があるなら、やるし、そうじゃなければ、やらない。誰に言われてもね。
ねえ、それだけの事なんじゃないかな。
高校生に”現時点では才能の欠片も見出せない”なんて言ってあげなくていいよ。それは自分で気づくしかない事だし。
それに、高校生も本気で質問してきたか、分からないよ?体裁で質問しにきただけかもしれない、増田には失礼な話だけど。
でも、生きていれば、無礼かどうかなんてお互い様で。
何が言いたいかというと、増田と高校生の関係なんてその程度じゃない。
じゃあ、その程度の返答でいいんだよ。冷たいとかじゃなくて、優しくないとかじゃなくて、それしかできない、それが現実。
頭が変じゃないとできないとか、どうでもいいよ、やるかやらないか、それだけだよ。
つーか、嫌なら質問なんて聞く必要ないし、自分の仕事や学校の関係で聞いてあげなくちゃいけないなら、それは仕方が無い事だから、増田に愚痴なんか書いてないで適当に相手が満足するような返事しときなよ。
事前説明もほとんど受けられず、企業も新卒者も制度を把握しないまま続いてるカオス制度。
聞けば教えてくれるけど、聞かなければほとんど何も教えてくれない。
ほんとお笑い。
二ヶ月間くらい肉体労働系の会社に行ってたけど、まるで駄目だったので、このまま続けても仕方がないかと思って辞めようと派遣会社に連絡したら、担当の人から「企業を変更することも可能なんですよ!」なんて素晴らしい台詞を頂いた。
今度は卒業した学校の関係でIT企業(Web系)を受けてみたのだけど、企業担当者と話すときに社員数や熱意とかを聞かなかったせいで中々酷い目にあった。
後でわかったのだが、社長と副社長しかいないらしい、そりゃこねーわwww
事務所は貸してあげるからウチの業務を好きに勉強してね☆ミって方針。
出来る子ならいいんだろうけど、生憎俺にそこまでの気力はなかった。
(なんで、その企業を受けたの?って話ですけど、甘い考えですけど、僕はてっきりある程度までは教えてくれるんだと思ってたんですよ。)
つーか、前からいたインターン生の一人が何やら仕切っているのだが、大してわかってないくせに妙に仕切ってるからなんだかムカつくし…。
言動とかも妙に癪に障るし。
しかも、あと少ししたら気味にも実務を担当してもらうから必死に勉強してね!とかそのインターン生が言うもんなんで挫折した。
もうここではやっていけないっていう確信を持った。
プレッシャーが凄い。やるかやらないか、やれないなら出て行けって感じ。
確かにその通りなんだけど、その通り過ぎて出ていくしかないっていう。
正直、前の企業にいた方が随分とましだった(役には立てなくても籍だけは置けたから)
このIT企業で唯一学べたことはベンチャーは糞だってことだった。
丁度最近のGIGAZINEとかみてもそうだし、全部が全部ではないとはいえ、第一印象は糞だった。
取り敢えずはWeb系=ベンチャーってことにしておこう。少なくとも地雷。
取り敢えず、今日でこのIT企業は辞めようと思うのだが、記憶が確かならもう企業は選べないらしい。
親元を離れて単身の僕はこれからどうするべきだろうか?
精神的に親元には帰りたくないし、実質帰れない。
(実家に帰ると精神障害者がいるので自分まで池沼になりそうだし、
今住んでるところを出ると契約の関係で高額の違約金を払わないといけないので)
選択肢としてはアルバイトくらいだろうが、生まれてこの方やったことがないというね。
このあいだネカフェのバイトにネットから応募して面接受けに入ったら、店の人から「いやいや、そんなのしらないし、聞いてませんよ」とか白い目で見られたし。意味不明だし。
俺が間違ってたのかと思って、家に帰って求人情報見たら面接日時も場所も合ってたし、マジ意味不明。
勿論、次のバイト先も探して応募するけど、果たして雇ってもらえるのか?という疑念はある。
早くしないとお金もないから辛いし。
まぁ、雇ってもらえるかどうか気にしてたら埒が明かないから、応募しまくるしかないんだけど。
落とされなかったら可能性があるってことだろう多分!って信じてる。
若いうちは何でもやった方がいい気がするんだ。挑戦だ!
一番は、新卒者応援プロジェクトで別の企業の斡旋を受けられることなんだけど、多分無理だからね。
新卒者応援プロジェクトを続けられれば就活もスムーズにできるんだけど(今まではやってなかった)
それが無理ならバイトしながら就活するしかない…となると結構厳しそうではある
バイト先に就職とかもしてみたいけど、バイト募集してるのって将来性がなさそうな場所ばっかなんだよね
果たして僕はどこへ進んでいけばいいのだろうか…。
因みに学生時代の就活は40社程度受けました。全部落ちました。
警備・食品・廃棄物・清掃・小売・営業・流通・IT・飲食他にも色々受けました。
選り好みしなさすぎですね。介護だけは受けませんでしたが。
まぁこれが就活に失敗した要因の一つであることは間違いがないんですが。
漠然と持っているのは、事務職なら勤まりそうっていうのと、ネットワークとかサーバーの運用管理に興味があるってことくらい。
(具体的に企業名は挙げませんが、興味のある鯖屋が一社だけあります。もとい、その企業のせいで興味が芽生えたに近い。)
趣味はこういう感じで長文をグダグダ書いたり、ラノベを読んだり、ひたすらネット上の情報を読んだり、漫画を読んだり、RPGやったり、ネトゲしたり、オタショップを渡り歩いたり、買い物することです。
長く続けていることは自己サイトの運営、もう9年目です。老舗とかそういう部類に入ってる頃ですね。
ここ数年では時代の波(笑)にのってブログ形態に移行してます。
PC歴は年齢-3年。そこらの餓鬼が絵本読んでた頃にはブロック崩しとかインベーダーやってました。PC-9801で。MS-DOS3.2だったかなぁ?
専門学生になるまでインベーダーゲームはパソゲーだと思ってました。まさかゲーセンのゲームだったとはw
でも別にコアゲーマーでもないし、アニメもそこまで見てません(1クール1,2作)
変態ベクトルは大分逝ってると思います。そんじょそこらの変態に負けない自信はあります(キリッ
ピザではなくガリの部類です
特技は特にありませんし、得意科目と言えるものもないです
「高校の情報」なら学年トップだった気はします
大したもんでもないですが、情報活用二級程度は何もせず取れました。
基本情報技術者は問題の1割くらいしか解けません。
だけど何故か有識者から結構解ってる人と誤解される事があります。
なんかどうでもいい御託をつらつら並べましたけど、誰か僕みたいな人間ほしいトコありませんか?
ネタポストって反響が欲しいし、漏れはこんな面白い事考えたんだぜふぁぼれよこのやろう。っていうのが根底にあるよな?
それって反応が欲しいって事だよ。
ハッシュタグは見つけるのが難しいですね。例えばこの今話しているツイッター論についてなんかは#twitterとかで無いわけだし。
リプライは自分から飛ばしている。自分が飛ばしているリプライの内容が糞だから糞なりぷらいしか帰って来ない事も自覚している。
どうでもいい人に興味もて無いし、時間割いてうまい文章考えてリプライ飛ばす労力が馬鹿らしい。
絡みやすそうな人、定期的に絡んでいる人はいる。だが、それを面白いとも思えないしなんともくだらないとおもっている。
フォロー0で呟きまくるのとフォロワー0とはまた違うと思う。
あのさぁ、結局まずやるかやらないかなんだよ。。
やっても成功するか分からないけど、やらなきゃ0なんだよ。
勇気とかそんなの関係ないんだよ、まずやらなきゃ0なの、わかる?
後、とらなきゃ他人がとるだけ、ただそれだけなんだよ。
そんなのやりたくないし、、
とかグジグジいうのなら最初から書くな、
ここでグータラいう位だったら今から自分の武器でも磨いとけ、罠を仕掛けとけ、敵の情報を調べとけ
相手が別れてから行動してても遅い。
むしろ今から行動する位じゃないとダメだろ。
他の奴はそうしてる。
したいかしたくないかじゃねーよ。やるか他の奴にとられるかなんだよ。
数千万セッションを裁けとかいう、アホみたいな巨大システムの基幹モジュールの設計。
コアドライバの実装設計がミリ秒単位の時間で動かないといけないので、そこを基軸に他が全て動けというように逆算して作る。
逆にこのエンジン部分が決まらないと、他が作れない。
そこを起点に、イベントドライバ、メモリモジュール、スレッド設計が始まって、各サービスのモジュールにどのぐらいのリソースを割り振れるかが決まって
あと組み込みなんかも同じだな。ハードの条件が先に来て、それを各モジュールに分散していく。
というか、コレをやっておかないと、百人超えるシステムだと、コアとモジュール間の通信がボトルネックになりすぎて、まともな速度で動かない。再設計ってのがよくある事。そういう事をやっていないばかりに、数億かけたが負荷がかかると動きません。みたいなシステムをたまにみかける。
あぁ、あと自分、基本マイクロマネージなので。全体を見ると同時に、詳細も調整します。
そこまでやるかやらないかで、全然違うでしょ。
だからさ、いつも思うんだけど押し付けてねーよ。
やるかやらないかは好きにしろって。
そういう捉え方がダメだって言われただけで押し付けとかいうなよ、
俺は勝手に俺の事実と自分語りしてるだけで結局最後は別に好きにすればいいじゃん。
それすら嫌なら最初から読むなっての。
モチベがどこから湧いてくるの?って言われてもなぁ。
ぶっちゃけ折れる時だって多々あるっつーの、超人じゃねーんだから。
でも大概の事って他人が出来てて貴方に出来ない道理がないじゃん。
全員かは知らないけど誰だってはじめはうまくしゃべれない事実がありーの
でもやってみてちょっとずつ上手くなる事実がありーの
そこまでわかっててやってみない道理は俺にはなかった。
明らかにトークとか雰囲気、考え方で結果が出るって決まってる訳なんだし。
非モテって考えすぎなんだよ。しかもネガティブな方になんだってね。
んで考えすぎて動けなくなってる。
そんな大層な考え持ってて、結果出せないならそんな役に立たないプライド捨てちまえよと俺は思うわ。
そういうのって勉強出来るとは別で、頭の良さでは結果的に頭悪いと俺個人的には思う。
なりふり構い過ぎだって、どうせじっとしてたって今以上の後はないんだからなりふり構わずなんでもやってみりゃいいんだよ。
女の子が居ない事実から見たらどうあがいたって今より最悪はないんだからさ。
なりふりの過程にプライド持つよりも最終的な結果が出せる方にプライドを向けようよ。
あと余談だけど、普通のリーマンで非モテから努力してナンパしてるってぼちぼちいるよ、意外にね。
やってればそういう知り合いも出来るよ、リアル仲間も出来るよ。
ぶっちゃけやってるのっていっても一人じゃないからさ。
同じような考え持ってる奴ってのはいるもんだ。
そもそも、「社会は俺たち非モテに強制的に恋愛させようとしている!」と思うこと自体がおかしい。
だって、社会は恋愛以外のこともさせようとして、あの手この手で勧めて来るんだから。
健康・保険・住宅・旅行・休日のレジャー、グルメ、通信教育…ありとあらゆるものを「やれやれ」と勧めて来る。
これらのこと全てに「社会は俺たちに強制的に○○させようとしている!」と思うのなら筋は通っているが、これらのことについて「やるかやらないかの選択権は自分にある。自分がやりたいものだけやればいい」と思えるのなら、非モテは社会が勧めて来るもののうち恋愛だけに過剰反応しているということになる。
実際のところ、恋愛しなければならないという思い込みに一番囚われている「恋愛至上主義者」は、他ならぬ非モテだろう。
元増田のような「彼女欲しいぃぃぃぃぃぃセックスしてぇぇぇぇぇぇぇ 」という強烈な欲求不満が、「社会は俺たち非モテに強制的に恋愛させようとしている!」と思い込ませる。
やるかやらないか、できるかできないかを議論するのは別に運子の投げ合いではないのでは?ただ内容はともかく口汚い人が多いという批判はありそうだけど。10年前とほとんど同じ内容だから運子と呼ばれても仕方ないんだろうけど。
元増田でーす。
所々共感せずにはいられません。
>このままじゃヤバいって思う自分と、もうオレは何をやってもダメ。今更手遅れって思う自分が居た。
>時が経つにつれ焦りはでかくなるけど、それと同時に学校に行く事への恐怖もでかくなっていく。
わかるよこれ。
俺一人暮らしだから一ヶ月じゃなくても一週間だーれとも連絡取らずにMMOをやり続けてると、普段当たり前のように出来た事を度忘れしちゃうっていうか、
とにかく不安なんだよな。「ああ、もう俺今更何やってもだめだw」みたいな。
でもちょこっと勇気を出して外に出れば、周りは俺がネトゲにはまってたなんて全然知らなかったようで案外普通だったんだけど。
俺の場合は女性関係は全く興味無かったなぁ。
なんていうか、俺はMMOの中の人にも現実と全く同等の会話を求めてて、リアルな話もしたかったんだけど、
周囲はそれを拒んでて、基本的にゲーム以外の話題は失礼みたいな空気があったんだよね。
結局、俺が実際にキャラ消したのは辞めようと思った7月下旬からだから2週間近くかかった。
その間ずーーっと辞めないとマズイぞって思ってるのに、MMO上の人にそれが言えず、また自分自身踏ん切りが付かず、くだらないと思いつつも
社会人にもなって情けないっていう後ろめたさもあった。
元増田は絶対再開すると言ってるブコメとTBがあるけど、それは無いと思ってて、それになぜ再開する可能性が無いのかをわざわざ説明するのも無意味だし。やめて以降11時に寝て6時に起きて3食食べて、たばこも減ってプライベートも急激に変わりだして今まさにリア充バンザイといった状況でして。
ギルドの副マスタだったからやっぱり結構止められた。
リアルがいそがしいならそっち最優先にしてたまに顔出すくらいでいいじゃないかと。
でも俺みたいな体質はやるかやらないかのどちらかじゃないとまた強烈な孤独感と絶望感を味わうとなると徹底的に消さないとまずいとおもった。
あなたはMMO上で人を好きになって、実際にお付き合いしたみたいだけど、そのイベント自体は俺は何ら普通の事だと思ってるんだよね。
ただ素顔を把握するっていう重要な過程が後回しになって、そのときのギャップさえ乗り越えればコンパや知人の紹介で知り合った事とそんな変わりないし。
まあもしそれで結婚になったら共通の友人がいないだろうから「出会いのキッカケ」を嘘付く人が多いかもだけど。
とりあえず、じっくり読ませていただきました。
ありがとー。
http://anond.hatelabo.jp/20090716175613
こうやって煽る人って何なの?
いっとくけどここに書いてることって全部レベルがTOEIC900より上だから。
俺TOEIC930だけど難しいもん。ひとつひとつが地味に努力いるし。
というかね、英語できない人って
「TOEIC900って言ったらさぞすごい英語力があるんですよね」
みたいに勘違いしてるけど大間違いだから。
自慢にならないけど、いまだに英語でまともに会話できないし(ヒアリングはできる)
俺去年までTOEIC500だったけど、4ヶ月くらい集中して過去問勉強して、
あと某英語教材を毎日電車の行き帰りで2時間くらい聞いてたら半年で930になったぜ?
大体いま世の中にあるやつで十分なんだよ。本気でやるかやらないかだけ。
できるようになったから調子に乗って言うけど、
TOEICの点数低いやつって、出来ないんじゃなくて
単純に、真面目にやってないだけだからな?
いい加減「楽してできるようになりたい」って甘えを捨てろって。
あえてアドバイスすることがあるとしたら、
過去問取り組む前に、発音とヒアリングのコツみたいな本は読んでおくといい。そんだけ。
まぁなんだ、頑張れ。
どうせ俺には英語使う機会ないと思ってるかも知れないけど
読めききができるようになったら、いろいろと世界広がるから。
元ネタ:http://diary.lylyco.com/2009/03/post_276.html
あってもいいけれど、なくたって全然構わない。そういうものは多い。
積極性というのも、そうしたもののひとつだと思う。もちろん、子供に積極性を持たせることができればいいこともあるかもしれない。けれども、せいぜいが「かもしれない」程度のものである。むしろ、役に立つのは積極性なんかよりも「生きたいという気持ち」ではないかと、個人的には思う。そして、「生きたいという気持ち」と「積極性」は必ずしも相関関係にあるわけではない。積極性なんかなくても「生きてみよう」と思うことはできる。にもかかわらず、いたずらに「積極性を持つことは大切だ」などとやるから「積極性がないから死にたい」だとか、おかしなことになる。むしろ逆効果ではないか。
教育で「積極性」を植え付けようとすることは、それらを「持つべきもの」と規定することになる。つまり、「それでも積極性を持てなかった人」は、ますます委縮することになるだろう。教育が100%うまくいった例は、たぶん、ない。つまり、必ず落ちこぼれる子供は出る。必ず、だ。ぼくはそれを恐れる。やる気があったり、積極性があったり、自分には生きる価値があると思い込んだりできる人は、確かに幸福かもしれない。けれども、そんなものは心のオプションにすぎない。やる気がなくても、積極性がなくても、人は楽しく生きていける。
やる気を持てないから生きている価値がない。積極性がないから生きない。どちらも馬鹿げている。人は誰しもただ生きているにすぎないのだし、積極性があるから何かをしているわけでもない。ぼくは自分の生に価値があるなんてこれっぽっちも信じていないけれど、案外楽しく生きている。何をするにも積極性なんてないけれど、気が向いたことはとりあえずやってみるし、たとえ積極性があっても気が向かないことは極力やらない。やるかやらないかを決めるのは、少なくとも「積極性の有無」なんかではない。失敗して恥ずかしい思いはしても、それで傷付くような積極心もない。
繰り返す。積極性みたいな内面的なオプションをまるで「価値あるもの」のように喧伝することは、それを持ち得ない人間にさらなるダメージを与える可能性がある。大切なのは積極性のある人も積極性のない人も、変に委縮せず生きられる内面を育むことではないか。その意味で、「積極性教育」みたいな言葉が子供の目に触れること自体、害悪だとぼくは思う。生きたいという気持ちを育む要素として「積極性」は必須でも重要でもない。積極性を持って生きるのもいいけれど、ダメ元で生きるのもいいし、そもそも結果なんて考えずになんとなく生きるのでもいい。生きたいという気持ち自体必須じゃない。
まあ、こんなのは積極性を欠如したぼくの大いなる自己欺瞞かもしれないけれど。