はてなキーワード: スナック菓子とは
家庭持って子供作って育てて、ちゃんと生活できてる人間ってホント偉いな。
一緒に暮らすとか、ましてや子供の面倒を見るとかマジで無理だわ。
休日の朝は2度寝して、
昼ごはんみたいな朝ごはん食べながらアマプラ見たりYou Tubeみたり、
ゲームして、適当に洗濯掃除して、たまに真面目に料理してみたり。
でも基本は面倒くさくてスナック菓子とビールで夕飯を済ませたり。
気まぐれに思いつきで映画を見に行ったり、釣りをしに行ったりする。
そんな生活とか家族を持ったらできなくなるのってつらいんだよな。
そういう奴らって独身のときの生活から結局抜け出せなかった奴らなんだと思う。
かくいう自分も結婚して子供作っても、独身の頃の生活が恋しくって、
「キャンドルジュン」と「とんがりコーン」は、日本のお笑いコンビです。以下にそれぞれの詳細を説明します。
キャンドルジュン(Candle Jun): キャンドルジュンは、お笑いコンビ「キャンドル」のメンバーであり、ボケ担当です。実名は不明で、キャンドルジュンという芸名で活動しています。キャンドルは主にバラエティ番組などに出演し、ユーモア溢れるトークやコントを披露しています。彼らの持ちネタや個性的なキャラクターが人気を博しています。
とんがりコーン(Tongari Corn): とんがりコーンは、お笑いコンビ「とんがりコーン」のメンバーであり、ツッコミ担当です。メンバーの名前は森山直太朗(もりやま なおたろう)さんと山内健司(やまうち けんじ)さんです。彼らはテレビ番組やライブイベントなどで活動し、ユーモアのあるツッコミやコントで観客を笑わせています。また、とんがりコーンという名前は、日本のスナック菓子「とんがりコーン」に由来しています。
キャンドルジュンととんがりコーンは、お互いに異なるコンビですが、どちらも日本のお笑い界で活躍しており、人気を集めています。
舌っていうか体質?
私は幼いころ母子家庭になり、風呂なし1kに住んでいたこともある貧乏暮らしだったのだが、子どもに悪いものを食べさせたくないという母の親心により基本的に質の良いご飯ばかり食べていた。
手作りパン、手作りピザ、手作りケーキを定期的に食べ、ジャンクフードを禁止され、飲み物は水か牛乳のみという健康的な生活だったのである(風呂はなかったがオーブンはあった)。
大人になった今となっては「もう自分の責任だからね」とジャンクを食べても咎められないが、幼少期に培われた味覚が今にも影響しているのか、余裕もないのに食だけは高級志向にならざるを得ない状態だ。
・安いバナナはピリッとしたり苦かったりしてまずい。一房290円以上の高原バナナとかじゃないと無理。
・安い卵は生臭かったり薬臭くてまずい。六個入り230円ぐらいならおいしいと思えるものがある。
・カップラーメンを食べた後はわかりやすく体調を崩し、必ず肌荒れ・下痢になる。
・ミスドを二個以上食べると気持ちが悪くなる。味はめちゃおいしいと思うので悲しいのだが多分油があまり良くない。自分で作ったドーナツはぱくぱく食べられる。
昔からジャンクを食べていたらジャンクに耐えられる強靭な体になっていたのか、それとも元々私の体が弱めなのか気になる。
同じ環境の人がいたら教えてほしい。
自分が作った料理以外無理!ってほどの繊細さではないんだよね。
ラーメン屋さんのラーメンとかなら平気。給食の卵焼きは駄目だったけど。
ていうか小さい頃は自分がいいもの食べてるなんて全く思ってなくて、ジュースとスナック菓子を好きに食べられる友達が羨ましかった。
それがまさかこうなるとは。
特にミスドは味が好きなだけに複雑な気持ちなんだよ。一個目は「おいしー!」って食べられるの。でも二個目を食べ終わるとウッってなる。
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
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とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
小学生のころから「お前は高卒で公務員試験を受けて就職するんだよ」と両親に言われて育てられてきた。
姉も同じように育てられてきた。
違う点は、姉はピアノの習い事を10年近くやってたことと公務員試験に落ちて私立大学に進学したこと。
私は習い事なんてさせてもらえなかったし、公務員試験に受かってしまってクソ田舎から一歩も出ずに生涯を終えるのが確定してしまった。
高校は自称進学校(笑)だったけど公務員試験の勉強しかしてなかったからめちゃくちゃ成績悪かった。
なにもかも手遅れになってから人工血管とか人工心臓についてすごい興味を持って、それについて学んでみたいと思ったけど全部遅かった。
大学を卒業して東京で就職した姉は、付き合った男を追いかけ退職して大阪に引っ越したものの破局してメンタル病んで実家に帰ってきた。
今はなんかホルモンバランスが悪いとかなんとかでトドみたいに太って、働かないまま実家でゴロゴロしてる。
「ホルモンバランスのせいで痩せにくくなっててさー」っていいながらスナック菓子食べながらチューハイ飲んでて、改善させる気ないだろって思った。
ぷよぷよとかじゃなくて、中身がみっしり詰まったデブになっててマジで引いた。
明らかに手をかけられて育てられたのに両親の思うように育たなかった姉は、今なぜか両親にとてもかわいがられている。
両親が示した道を歩んだはずの私はつまはじきにされた。
何が違ったんだろう。性格か。