はてなキーワード: ノンバーバルコミュニケーションとは
そして、日本の水道ほかインフラは彼によって他国にタダ同然に売却されるのだ。
彼はノンバーバルコミュニケーションに長けているし、頭いいが、市民が着目すべき問題は国家と身内最優先ってこと。
別に犬飼ってるけど、そんなこと知ってるよ
小型のダックス散歩してたらかなり離れたところから気づいて「ヒィっ!」って叫んだ人もいたことある。だから普通の人はすれ違う時いつもリード短くするよ
とは言え恐怖は未知から起きるというし犬の良さを教えたいと思ってるのだと思う。
犬を長年飼ってるものから言えば、犬とのコミュニケーションを知るということは大きいアドバンテージだと思う。
というのは言葉でないノンバーバルなコミュニケーションに長けるということだから。
人間でも言葉で表現できない感情を皆抱えてるし言葉を尽くしてるくれるというわけでもなく、また外国人なんかだと言葉でコミュニケーションが限られる。
犬だけでもないけど猫とかとでもそうだけど、状況から察してそれを元に信頼関係を築けるってのは本当に値千金な能力だと思う。
だからか外国とかよく行くけど、この人が善意かどうか大体わかるし騙されたこととかほとんどない。
まあ犬は他の動物より圧倒的に伝える力に優れてるからノンバーバルコミュニケーションにおいては入門書にあたるよね。
相手してくれてありがとう。ノンバーバルコミュニケーションを意識するってのはまあ俺も20年ぐらい前に通った道ですが、一周して(?)やはりそれって不要な情報なんじゃね?って思うに至ったんですよね。
会話時においても言語情報は7%なんて言われますけど、どうもそれを意識すると話がややこしくなるだけではないかとここ数年思っているのです。相手が言語化したものが、相手が理性をもって表現するに至ったものなんだから、それに集中すべきなのではないかと。話がそれましたけど。
絵画においても下地の状態とか絵具の盛り上がりなんてものは偶然の要素が大きく、そこに囚われると本質がぼやけてしまうのではないかと思うのです。
「質感」や「デコボコ」というのは話を分かりやすくする一例で、意外と人間、トータルな情報量を受け止めて読解してますよ、という例えです。
ここらへんの細かいお話しは「ノンバーバルコミュニケーション」とか調べてくださいな。
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多分美術展を楽しむ素養自体は俺より遥かにあると思うので、何かのはずみでここらへんの機微が、ぽこっと納得できたりするかもしれません。
実のところ「そんなのは例外、ニッチな遊びだ」という意見は、メチャメチャよく分かるんですよ。俺もそこで10年以上は足踏みした。
ただ、世の中には言語的なアプローチ以外もあるんだと丸呑みすると、色々いい加減に楽しめてチョロいんですわ。
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まぁこんなのはただの言葉遊びなんでクソの役にも立たないんですが、もしかしたら10年分の近道になるかもしれんので、頭の片隅にでも放り込んどいてくれると嬉しいス。
常日頃からストレスを抱え、ストレスのはけ口をハイエナのように這いずり回って探している人がいる。
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通称、ハイエナ君。彼はリアルでは良いはけ口が見つからないのだろう。あるいは、イライラをぶつける勇気がないのだろう。
ネットの匿名性を盾に言いたい放題に暴言を吐きまくることでストレスを発散している。
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こういう人達のことをネットでは「荒らし」と呼ぶ。荒らしとは、理解も共感もなしに頭ごなしに何でもかんでも批判したり、
ルールやモラルを無視して自分勝手な言動を行ったりする人のことだ。
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一般に、荒らしは心の病気であり、長期間にわたって粘着的に活動しているとされる。
確かに、よほどの理由がない限り荒らし行為のような下劣で不毛な行為をしようと思わないだろう。
もし長期間にわたって同一人物がそのような行為をしているのが認められるようであれば、おそらく病気や人格障害の可能性が高いと思われる。
「劣悪な状況に追い込まれれば誰もが悪になりうるのだ」という性悪説で擁護したところで、やはりまともな精神状態でないおそれが高い。
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そんなハイエナ君がネットの至るところにいて、「ここは大丈夫だろう」と思っても臭いをかぎつけて集まってくることが多々ある。
一般に人が多いところほど荒れやすいと言われる。人が増えるとバカやキチが沢山まじるからという言い方がされるが、
実際はそれだけではなく、人が多いと荒らしに反応してくれる可能性が高まるという事情もある。
特に、荒らし慣れしてないネット初心者が混じりやすい、という点が大きい。
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私はハイエナ君(君達流にいえば「荒らし」)に何のうらみがあるわけでもない。非難しようとも擁護しようとも思わない。
かといって中立を気取りたいわけでもなく、純粋に彼らの生態にいくつかの興味深い点が認められるから、それを語ってみたいのだ。
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例えば、ネットでは「マジレス」がカッコ悪いという風潮がある一方で、いかにも正論っぽくて共感されやすいワンパターンなマジレスは、
たとえ「ネタにマジレス」であったとしても一部から不自然なまでに強く賛同される傾向がみられる。よく知らない人が好意的に受け止めれば「ツッコミ」、しかしその内実は「煽り」と言えるものだが、
興味深いことにネットではそんないかにも型にはまった煽りマジレスが非常に広くみられる。現実生活をしていてそのような言い方をする人はまず見ないだろうと思えるケースが殆どである。
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そういえば、「ネットではマジレスが多い」という意見が見られて意外に思ったことがある。マジレスには三種類あると思っている。
真面目なレスという本来的な意味でのマジレス、笑いを生もうとするツッコミとしてのマジレス、煽ろうとするマジレスの三種類だ。
そしてしばしば混乱を生みがちだが、2, 3つめのマジレスは1つめのマジレスに擬態することができる。
一見普通のマジレスであり、笑いや煽りという狙いは隠されるということだ。ネットの場合ノンバーバルコミュニケーションであるから、この狙いが成功しやすい。
だから、一見「マジレスが多い」ように見えるのだろうと分析している。
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それはともかく、話はハイエナ君である。ハイエナ君にしてみればとにかく煽って、常日頃みじめな思いをさせられている社会や特定クラスタの人間に対して、
隙あらば一矢報いたいという歪んだ思いを抱えているわけで。ただのマジレスという免罪符のもと、ガンガン煽って賛同者を集めて大きな打撃力を生み出したいと思ってるわけだ。
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そんなルサンチマン工学が功を奏するには、前述のように「正論っぽさ」と「共感されやすさ」が大きな条件となる。
「正論っぽさ」に関して言えば、実際に正しいかは別として、俗に正論とされがちなことを言えば、場に頭のキレる人がいない限りなんとか主張をムリヤリ通せるという算段である。
「共感されやすさ」に関しては、同じルサンチマンを抱えた人の感情を煽ることが広く行われている。
要はただのマジレスと見せかけて、「お前らァ!にっくきあいつらを叩けるチャンスだぞ!」と同志を募ってるわけ。
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しかし、こうした彼らの精神構造を見るにつけて、人間の負の感情とはいかに「生産的」かということを改めて考えさせられる。
この「生産性」を歪んだ形ではなく、もっと社会一般に広く役立てられないものかと皮肉抜きに思ってしまうほどだ。
呼ばれるまで待っていると、4歳くらいと2歳くらいの女の子とその母親が来た。
母親が受付を済ませると、女の子たちは病院に備え付けの本棚へ行き、待っている間に読む本を選んで、母親の元に行った。
母親が受け付けを済ませている間、女の子たちは母親の元から離れず、本を選んでいる間も姉は妹に「どの本読む?」と気を遣い、本を選んだあとは、静かに本を読んでいた。
が、まず入ってくるところからして違った。
母親が病院内のスリッパではき替えている最中に男の子は受付まで半ばダッシュで進んでしまい、「ヒロ(仮名)!」と名前を呼ばれたしなめられていた。
母親が受け付けを済ませている間も、男の子は本棚へ行き本を選び始めたが、母親が受け付けを済ませた後も本を選んでおり、「どれにするの!」とイラついた母親にせかされ、半ば強制的に「これがいいのね!」と決められた本を持ち、引っ張られるようにシートへ座った。
その後も男の子は絵本を静かに読むのではなく、奇声ではないものの「あっ」「うー」などの声をあげたり、絵本をバシバシと叩いたり、地面に本を置いたりし、そのたびに母親に「コラ!」「ヒロ!」と叱責されていた。
なんとも対照的な親子の姿を見て、男の子の親に同情してしまった。
障害があるとまでは言い切れないが、明らかに男の子は平均より発達が遅れているだろう。
落ち着きのなさという点では、先に来た2歳の女の子以下だ。
そもそも、自分が病院を出るまで男の子からまともな単語を聞かなかった。
2歳の女の子は母親を連れて本棚に再び来たとき「これ読む」と母親と会話していた。
こんな違いを見て、世間は、そして男の子の母親はどう思うだろうか?
「まったく、この男の子は躾がなっていない。親はどんな教育をしているのだ」と世間は明白に声に出す人は少数だろうが、視線や舌打ちといったノンバーバルコミュニケーションで、多くの人がメッセージを発しているだろう。もしくは私のようにネットや裏で陰口を叩いたり。
「私は子供の為に頑張っている。子供の為に食事や洗濯を行い、マナー違反は叱っている。なのになぜ誰も評価してくれないの!?なぜうちの子は他所の子と同じようにできないの!?」
そのイライラは男の子への、まるで動物を調教するかのうな、単調な叱責となって表れる。
男の子は「ダメ」という単調な叱責しか受けないため、なぜこれをしてはいけないかという説明がないため、なかなかルールを覚えない。それどころか、単調な叱責に対しては徐々に免疫が付き、ちょっとくらい「ダメ」と言われても行為を止めなくなるだろう。
そうすると母親が次に取る行動は?
より強い単調な叱責だ。エスカレートすれば暴力もあるかもしれない。
完全な悪循環だ。
どうすればこの不幸な連鎖を断ち切ることができるだろうか?
ノンバーバルコミュニケーションでぐぐって出てきたページより。
「二者間の対話では、ことばによって伝えられるメッセージ(コミュニケーションの内容)は、全体の35%にすぎず、残りの65%は、話しぶり、動作、ジェスチャー、相手との間のとり方など、ことば以外の手段によって伝えられる。」