はてなキーワード: 阿久根市とは
さかえちょう
栄町 (桐生市) – 群馬県桐生市の旧地名。現在の浜松町 (桐生市)の一部。
栄町 (千葉市) – 千葉県千葉市中央区の地名。またこの地域に存在する風俗街のことを指す。→栄町駅 (千葉県)
栄町 (東京都北区) – 東京都北区の地名。付近には都電荒川線の駅栄町停留場 (東京都)もある。
栄町 (横浜市) – 神奈川県横浜市神奈川区の地名。ポートサイド地区の一部。
さかえまち
栄町 (福島市) – 福島県福島市の地名。市の中心街にあたる。
栄町 (会津若松市) – 福島県会津若松市の地名。会津若松市市街地の一部地域。
そろそろ話題として消化しそうなので、ここらで論点整理しておこうか。
反対派:裁判所が決めることであって、住民投票や、ましてやTwitter民が決めることじゃないよ。黙って見守ろうね。
反対派:そこは論点ではない
賛成派:賛成が9割もいる時点でお察し。この動画を見ろ、怪しいだろう。町民の要望書を勝手に取り下げて懲罰を受けた過去がある。女湯盗撮疑惑もある。リコールされて当然。
反対派:町議会が主導して、1人の議員を追放するために使用するなど、リコールの目的に合わない。多数派が少数派を排除するために使用しており、独裁的だ。
賛成派:判断したのは町民。投票率5割で男女比もほぼ同数、そのなかで9割賛成しており、民主主義的。そもそもリコールは、発起人や提起理由などは一切問われないものであり、地方の民主主義の根幹。
反対派:リコールを行うとしても、裁判所で事実を確定してから行うべきだった。
賛成派:リコールに際して、裁判所の決定を待つべきというルールはないし、そもそも最高裁まで待っていたらリコールは実質的に機能しない。だいたい君ら、これまで山口敬之の件や河井克之、あるいは阿久根市長の件でも裁判所を待てなんて言ってた?だいたい、件の町議は司法に訴えてないじゃん。
反対派:公民館など、公共の施設に賛成派のポスターのみが掲示されている状態であり、町がリコールの一方に加担しているのは異常で不公正。
賛成派:そこは論点ではない
こんな感じだろうか。
イオンがシャトルバス出してたり、生鮮品の通販やってたりしてるとこもあるから、
阿久根市のA-Zスーパーセンターなんかは、むしろ高齢者をターゲットに商売してるし。
バリアフリー化も、ショッピングセンターの方が先行してるしね。
一定の集客が見込めなくなるとショッピングセンターが撤退して、
その地域の住民が買い物できる場所がなくなる、ということだが、
首都圏の都県知事や政令市長には、「非経済的イシューを政策にする」人物が多い。
「ポルノについて『数値目標を示して、嫌悪感を感じさせよう』とする横浜市とか
いずれも、経済的というより、政治的・倫理的・歴史的イシューである。
せいぜい大阪府知事が目立つだけだ。
(えっ・・・阿久根市・・・)
ということで、なぜ首都圏で「非経済的イシューを取り上げる首長が多いのか」と
考えてみたが、要は
「財政的な余裕があるので、『政治ごっこ』をする余裕がある」ということじゃないのか?
首都圏外の自治体だと、「非経済的マターを取り上げている余裕なんてない」のである。
「自県内・自市内を、自分の政治的理念実現の実験場にするのに、丁度いい大きさ」という
ことになる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100429-OYT1T00223.htm
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、人件費の張り紙をはがした元係長の男性(46)を懲戒免職処分にした問題で、市長を支持する市議や市民が、処分を取り消した鹿児島地裁判決に異を唱え、福岡高裁宮崎支部に「公正な判決を求める」とする署名活動を行っていることがわかった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100428-OYT1T00926.htm
民主党議員らが28日、「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」(滝実会長)を設立し、国会内で初会合を開いた。小沢民主党幹事長が検察審査会から「起訴相当」の議決を受けたことを念頭に、審査会のあり方の見直しを求めていくことで一致した。
(1)
客 「そんなことじゃなくて、これ交換しろよ。」
店長「私がしたことじゃないですよ。交換はできません。責任は取らせますから。」
(2)
客 「修理をしてもらった車にキズがついていたよ。」
店長「あの車は新人がやったんですよ。すみませんね。工業科卒のくせにだらしない。」
客 「タダで直してよ。」
(3)
支店長「窓口のことまで私は知りませんよ。お気の毒ですが、銀行に責任はありません。」
(4)
顧客「あなたが責任者ですか。納期遵守率と不良率のどちらも水準以下ですよ。」
顧客「それでは説明になっていない。改善できなければ、取引を打ち切りますよ。」
部長「・・・。(俺の責任じゃないのに。次の担当者次第だな。)」
(5)
警部「あんたの組員がやった事件だ。来てもらうよ。」
組長「たしかにアイツはウチの新入りだが、不始末を起こしたからには組のものではない。」
警部「あなたが指示をした証拠もある。ご同行を。」
組長「組長だから命令はするさ。やったのはアイツだ。ワシは知らん。」【※1】
トラブルが起きたなら責任は組織が負うものだ。上のような話は常識的にありえない。
商品もサービスも、店(組織)に依頼をしたのである。担当者の能力、外部の状況に関わらず、店は依頼を履行する責任がある。店長に当然責任があるし、謝罪した上で相応の責務を果たすものだ。さらに上位の組織(会社)が対応する場合もあるだろう。そもそも組織のトップが逃げていては部下はついてこない。
最高裁の決定から1ヶ月が経とうとするが、あまり話題にならない。
京都市に納税をして子供を学校に通わせる親として、これでは不安が募るばかりである。
京都市立小学校で2004年4月から1年間の条件付きで教員採用した男性(36)について、「指導力不足」を理由に分限免職とした市教育委員会の処分の適否が争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は27日までに、市側の上告を受理しない決定をした。男性の処分を取り消した一、二審判決が確定した。決定は25日付。
2008年2月の一審京都地裁判決は、男性が受け持ったクラスが「学級崩壊」状態になった点に触れ「指導が不十分な面はあったが、適格性に欠けていたとはいえない」と指摘。「市教委の裁量権行使は誤りで違法」として処分を取り消した。
昨年6月の二審大阪高裁判決も「分限免職を検討する際には、将来成長していくだけの資質や能力があるかどうかとの観点から判断すべきだ」として、一審の判断を支持した。
二審判決によると、男性は04年4月に採用され、5年生の担任になった。市教委は「指導力が著しく不足しており、保護者の信頼を喪失した」などとして05年2月、男性本人に同3月31日付の分限免職処分を通知した。
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022701000596.html
2010/02/27 17:55 【共同通信】
この事件をまとめるとこんな感じ。
他の自治体で講師経験を積んだひとが、2004年に京都市の小学校教員として採用された。どの組織でも同じことだが、新卒より中途採用の門戸は狭い。水準以上の能力は見込まれて採用されたはずである。
ところが、最初に担任をした5年のクラスが学級崩壊が進む。学校と教育委員会もこのクラスに効果的な支援ができずに、クラスを立て直すことに失敗した。先のたとえ話で言えば、学級崩壊はこの学校組織の責任であるが、上司である校長は、教育委員会に担任教師に全責任があると報告。教育委員会はこの教師に自主退職を勧告。その後「分限免職処分」、つまりクビにした。
この教諭は前の職場では日教組(社会党→民主党系)に加入していた。京都市に日教組はないので組合未加入だったが、免職後に京都市教組(共産党系)の支援を受けて分限免職の取り消しを求めて提訴。
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公判中に京都地裁が和解を勧告。(行政裁判で和解勧告って?市側の敗訴が見えていたから、裁判所が配慮したのでは?)
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市教委が主張する複数の免職理由が「免職理由に当たらない」「事実でない」「管理職に客観性がない」と京都地裁が認定して、さらに管理職の責任も問われて、市側の全面敗訴。
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大阪高裁で京都市側に不利な認定を付け加えられて、市が全面敗訴。
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京都市が上告。
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労働法規の常識から考えてこの裁判、京都市が勝てるはずがない。日本は末端の担当者をクビにすればいい国ではないからだ。【※2】
教育委員会は「主張が認められず残念」とコメントしたらしいが、最高裁を相手に反省がないのは立派なものである。教育委員会が無能な職員を免職するという立場をそれほど強硬に主張するならば、無能なこの校長と教育委員会の裁判担当者と労務担当者をまとめて分限免職にしたほうがよい。自分たちは特別だから、法規を守らなくていいと考えているのだろうか。学校を社会の中で特別に位置づける態度があるならば、それ自体がひどい慢心である。
京都市はなぜこの勝てない裁判を強硬に続けたのだろうか。この裁判のようなケースは京都市にとって(特殊事例ではなく)良くあることなのだろう。裁判になったのは氷山の一角で、同様のケースをすべて法令遵守するとおそらくは体制が維持できないのではないか。この裁判からは上司が部下を追いつめるだけという、京都市の惨めな職場環境【※3】が想像できる。教育を担う組織が、部下・後輩の人材育成に興味がないなんて異常事態である【※4】。学校組織を活用するという考え方があるなら、教育の質を教員個人の資質に偏重して求める「スーパーティーチャー」なんて制度を市が作れるはずがないし、この裁判の流れからは、京都市教育委員会における人材の払底ぶりが見えてくるのである。
学級崩壊は担任教師の資質だけで起こるものではない(これはあきれた幻想である)。仮に「頼りない教師」であっても、組織(校長、教頭、教務、主任、学年団)で対処できるし、しなければならない【※5】。もちろん、児童集団の性向は重要な要素である。小学校のクラス分けは、学級運営が上手くいくように慎重に割り当てすることが常識になっている。例えば1年生をクラス分けするために、近辺の保育園や幼稚園への聞き取りだって広く行われている。児童の質を見極めて、適切な教員を配置するのは給料が高い管理職の仕事である。
しかし、学級運営を学級担任個人の責任に負わすことができるならば、問題児童対処の「悪魔の方法」が管理職の手に入る。学校で手に負えなくなった学年ができたとき、問題のある児童(軽いADHDとかね)を集めたクラスを編成して、新任教師を担任に付ける。新任教師は他府県からの中途採用者でであれば、うってつけである。学校の状況をよく知らないこの教師がうまく運営できればしめたもの。失敗した場合は、新任は試用期間中だから仕方がないと、保護者と教育委員会に報告して、年度終盤で教師に退職を迫る。退職しなくても、その教師を指導力不足として免職すれば、犠牲者一人で学校は丸く収まる。保護者も納得する。校長に責任もない。問題は1年先送りできるし、いったん崩壊したクラスであれば、後任担任も言い訳がつく。
民間企業では考えられないが、採用経費が潤沢にあって、顧客に対して責任が無くかつ組織と自分の体面を重視する公務員であれば十分にありうる仮説である。
さて、ここまで読んで頂いたかたには、「タイトルの阿久根市長は釣りだよね」と思われるむきもあると思う。
この裁判での京都市側責任者は当時の教育長 門川大作氏だ。門川氏は、教育長としての手腕を買われて、安倍内閣時の教育再生会議のメンバーに唯一の行政出身者として選ばれている。その後、この裁判のさなかに京都市長になったお方である。京都新聞(Web版)は、この裁判の経過を高裁判決以降黙殺した【※6】。国の委員や市長までなった人を、非難することはいけないのである。たとえ高裁や最高裁の指摘であっても、行政長であれば反省する必要もないということなのだろう。
裁判の結果からは、京都市の教育について少なくとも組織での対応は期待できないので、子どもには良い担任とその人が処理可能なクラスメイトに当たることを祈るだけだ。
京都の私立小学校が繁盛しているのは、公立小学校の低レベル・オペレーションへの失望の現れである。
※
阿久根市関係のニュースが昨日の新聞に載ってたので、ちょっと書いてみる。
市長の障害者切り捨て容認発言は、はてなでも取り上げられて大炎上を起こした。もちろん常識的に頭で考えればとうてい容認できるような内容ではなく、私も何言ってんだこいつは、と思ったんだけれど、そんな市長が強く支持されているのには感情的な理由があると思う。
それは、阿久根市が鹿児島県内でも切り捨てられていると住民が感じても仕方がないような状況だから。
それを象徴するような出来事のひとつに、九州新幹線の開業がある。地図を見てもらえればわかるように、旧鹿児島本線は南から
の順番で並んでいる。過疎化が進んでいるとはいえ、それでも限界集落だらけの県内では都市部であり、かつては博多からの特急つばめも停車している駅だった。
しかし、九州新幹線の開業によって状況は一変した。阿久根市には新幹線が通らず、川内から出水に直行するコースをとった上に、採算のとれない川内以北は肥薩おれんじ鉄道として分離されてしまった。新幹線の通った鹿児島市には篤姫効果も重なって観光客が大きく増え、川内や出水にも鹿児島市に対する一種のベッドタウンという役割が生まれた。一方、収益のとれる路線はJR九州に残され鹿児島市が出資していないこともあり、阿久根市民に与えられたのは膨大な財政負担と割高な料金、快速しか止まらない不便な駅だけ。
開業前からこのようなデメリットを指摘する声も無くはなかったものの、建設を推進する鹿児島県・市の大きな声にかき消されて県内マスコミなどでも大きく取り上げられることはなかった。ほとんど黙殺されていたといっても過言ではない。
過疎化で、経済的には負担だからということで切り捨てられている、と感じている人たちが、自分で働いて稼ぐことのできない障害者は切り捨てられても仕方がないという意見に同調してしまうのは何も不思議な話ではないと思う。
お前本当に頭悪いな。エロ小説家は性欲に関して営業サービスで誇張して語るだろうがよ。そういうバイアスがあるって話だよ。で、ポルノ屋が人権に関して語るときになにかそういう誇張の必要があるか?
つーか真に受けるもなにもhokusyuの書いてるの見ただけで「予防拘禁」って思う奴はいくらでもいるわ。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
で、それをはてなで書く意味は?はてなに書くと曾野綾子や渡辺淳一が読むのか?おめでたい奴だな。いずれにせよはてな民への誤爆は確定だな。
頭がおかしいとしか言いようがない。じゃあ「ナチスは人間じゃない」と言えばナチス擁護か。そういう思いつきの難癖を言うんじゃないよ。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
はあ、日本人だけを対象として見たとして、一億分の一が一億分の二ぐらいになったね。で?
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
だめだこいつは。とりあえずお前は「相手が言っていないことを勝手に読み取る」という病気を治してこい。全てはそれからだ。
要はだな、阿久根市長にしてもhokusyuにしても非現実的な状況を想定した上で「こうなったら安楽死しかない」だの「こうなったら予防拘禁しかない」だのという大見得を切ったわけだが、それぞれ「安楽死」だとか「予防拘禁」というおぞましい発想が出てくること自体が叩かれてるんだよ。
hokusyuの場合はまさにトリアージの時のブーメランに当たってるわけだ。「トリアージと全体最適のつながりを認めるとホロコーストに繋がる!」と偉そうなことを言って、「そんなのをつなげるバカがどこにいるんだ」とみんなにあきれられたわけだが、何のことはない、hokusyu自身がそういう粗雑な一足飛びをやる奴だったというだけのことだ。
言うまでもなく、非現実的な状況であろうと一定の歯止めはあるわけで、安楽死よりは貧乏の方がマシ、予防拘禁よりは外出自粛の方がマシ(ウソだと思うならヨハネスブルグなんかがどうなってるか考えてみろ)、ホロコーストよりは嫌いな民族との共存の方がマシだと普通は思うわけだよ。そういう歯止めはまともな人間なら誰でも持ってる。持ってないのはhokusyuみたいな奴らだ。
ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
誰もダメなんて言ってない。痛くてもいいならどうぞご自由にだ。お前が「嫉妬してる」みたいな斜め上の反応してくれるから笑っただけだ。
とりあえず論理学の初歩の初歩を勉強してこい。「逆」と「裏」と「対偶」の違いをぐぐって調べろ。中学生レベルからやり直しだな。
まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
じゃあはてさの言うことを真に受けて「予防拘禁」とか言い出すポルノ屋はどうなっちゃうんだよ。
えろ作家の言うことだからあほらしくて相手にする必要なくてはてさやポルノ屋の相手するのはあほらしくないと言えるのがなぜかわからん。あほらしいならそれに首突っ込んでいろいろ書いてた人もあほらしいよな。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
性犯罪を自然現象であるかのようにみなして被害者への責任転嫁になるんだから事実上の犯罪者弁護だろうが。
自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
阿久根市長って障害者福祉の充実を訴えるためにああいう発言してたの?いったいどういう根拠があるのか教えてほしい。
いや本人がどういうつもりかは知らない。ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
意味がないことはない。逆のものを出すことで何を批判すべきと思ってたのかが明らかになる。
中庸から外れたアピールが痛いと言うことは「私は普通の人です」とアピールするのは痛くないんだね?そんなことアピールしたがる人ははてさに絡んでる自称中立くらいのもんだが。商品にしろ人間にしろ長所とかの普通でないことをアピールするのが当たり前で、そうでないことをアピールするのはただの馬鹿じゃないかと思うが。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
お猿さんははてさだろ。別に中立だから査問してよくて中庸じゃなかったら査問していいとかそういう話でもないはず。まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。
あ?渡辺淳一?渡辺淳一がはてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
そもそも「男はケモノ」という言葉は性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。反語のつもりで語るに落ちてるのが問題なんだよ。
「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?
僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。