はてなキーワード: 異様性とは
欧米が黒人への差別に反対する大規模な運動が起こっている中、日本はとんでもない分野まで時代に逆行してるようだった。
テレビのワイドショーで近所トラブルや妊婦暴行を取り上げた時、犯罪を犯して逮捕されたら無職が多いことからか
「無職の10割(つまり100%)は犯罪者なんだから社会から消さなければならない」と。自分でさえコロナ禍で仕方もなく職なしの状態だけど
当事者の自分としてはやはり得体のしれない異様性しかない。 多様性を理解しない馬鹿からの差別に怯えるしかない。
さらに中高年の思考停止した馬鹿が多いからなのか「妊婦はうるせえから黙れ。」とか「女は主張がうるさい」というコメントも多数見られる場所も。
後進国どころじゃない。こんな差別蔓延る国生きたくないだろクソ。
いつかのように大災害が起きたら「無職のやつが凶悪犯罪を起こしている」って流言が飛び交って罪のない人が大量惨殺される事件が起きないか心配でしかない。
性被害に合いスピーチした女性が国際社会へ発言したことをめぐりハッシュタグ#日本人女性ヘイト発言に抗議します が話題になっている。
大半の右翼はもちろんだが、若いのもこぞってこのハッシュタグに参加してしているのも見える。
非常なデリケートな問題で叫びの声を上げたスピーチした女性は、その女性が悪いと叩かれ(セカンドレイプ)続けた結果
地獄のどん底くらいのストレスがのしかかったんだろう。苦しみは計り知れないものでPTSDを負い、
その反動で男性が悪いなり誇張表現をしてしまうのも無理がないかもしれない。
海外のTVで声を上げたところ「日本を裏切った」ととらえてスピーチをした女性を中傷しているのが見える。
察するに、そう言えているのは人生に危険なハプニングも起きず幸せぶっている家庭で育ったんだろう。
ところで、「日本人へのヘイトをやめろ」と言う人はその"同じ日本人"をどのように扱ってきたのだろうか。
学校・会社・ネットどこでもいるが、周りにいる人を少し特徴が変わっていたりすると、内心で悪魔扱いし
その特徴を裏手に取りそれに合った差別用語を浴びせたり見て見ぬふりをするという何とも痛ましい事件が目立っている。
また、それが露呈して口論になるケースも多いだろう。最近だとインスタは透明ブロック機能(フォローしたままだが対象者に投稿を表示させなくなる)を備えている。
実際に、こちらも3月ごろに時々話し合う仲のある美容関係の人に突然透明ブロックされていた。負担は大きかったが、自主的にその人とは断ち切ることにした。
要するに些細な事で論争が起こるなど、火のない所に火が立つようになっていると感じている。差別・優生主義がおぞましい形に進化したと思う。
恐らく、このようなおぞましい差別主義者は自覚していないのだろうが、"日本人ヘイトをやめろ"という発言はその場しのぎのブーメランであろう。
さっきもツイッター見たら「母国を大事に思っている日本人はこんな事言わない」とか
「女性が暗い公園を女性が一人で走れるほど安全な日本ですが?そんな(スピーチした女性)はどちらのご出身ですか?」みたいなツイートが相次ぎ
読んでるだけで驚愕する軽視・人格否定内容でビックリしかない。困っている人を伝えるべきメディアではわざとらしく低IQともとれる人が取り上げられて目立っている。
こうして立場の弱いものの様々な痛みを忘れてしまったのだ。それだけではなく、立場の弱い人は卑しいものだとされ、新たな差別用語を作って押しのけ、
悪魔扱い、日本から出ていけと外国人扱いしてきたのが現在の日本という国なのだ。
先日、サマーウォーズの放送があった。すっかり夏と言えば定番の番組のひとつとして定着しているような気がする。
次の夏の定番候補が現れるか、あるいはあのSNS設定が古くさくなる日が先に来るのではないかと考えると恐ろしいものである。
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サマーウォーズと言えば、私は毎回気になってしまうことがある。
つまりはサマーウォーズの家族の様子がが「異様だ」と言われることだ。
女たちが料理を作り、男たちはそれを手伝いもしない。それがおかしいのだという。
というのも、生まれ育った我が家では母が料理をし、私が配膳をしている間、父がビールをのんで先に料理を食べるのは当たり前のことだったからだ。
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由緒もなければ、特殊な職でもない、神奈川のごく平凡なサラリーマンの家庭だった。
けれども、少し夫婦喧嘩が多く、子供の私を巻き込んでの喧嘩もあった。そのうえ、我が家では父のいうことが強かった。彼が満足しなければ、怒鳴ることさえも赦される風潮だった。いや、怒鳴られないために、皆父に従っていたのだ。
特に私は、父に嫌われていたから、父の言葉を黙って聞いている必要があった。常に家ではビールをのんでいる気まぐれな父の怒るポイントは難しかったから、自然と父の前ではなにも話さなくなっていった。
また、他の兄弟や母の話のほうが優先されるべきものであるという認識があった。彼らは私ほどに父に嫌われていなかったので、父がそこまで機嫌を損ねなかったからだ。
ここまでいうと、私の家庭がある程度特殊なものであるということがわかるだろう。
と。
恥ずかしながら、当時私はすでに二十歳も越えていた。
それでもこの私にとって「普通」のことが、多くの家庭では「普通でない」ことに気づけなかったのだ。
他と比較する機会が少なく、親戚との付き合いが少ない家庭(我が家には従兄弟づきあいがなかった!)ではなおさらである。
私は、たとえそれが普通でない環境であっても、気づけなかった。ただ私を嫌う父にしたがい、家族に奉仕する立場に甘んじるしかなかった。
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さて、このような話をすると、自分の過去の家庭の異様性に気づけた今は、自立して元気にやっているという後日談が来ることを期待する人もいるだろう。
実際にうまく自立して、今は幸せに暮らしているという話を見ることも多いが、
私はそのような人が羨ましい。
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幸い仕事が苦手ではなかったので、自立するだけの職と稼ぎを手にいれることができたのだ。
けれども、それで今までの普通でなかった環境の影響を全て払拭できたかというと、首を横にふらざるを得ない。
今までの家庭環境は、私に大きな影を落としている。
自己肯定感が大きく欠けており、うまく自己を評価することができない。不安性も相まって、人間関係もへたくそになる。
もちろん私に近い家庭環境でも、うまく人間関係を築ける人もいるだろうし、そのような人に比べれば私が努力不足であることも認める。
一方で、サマーウォーズの「普通ではない」といわれるものが普通の家庭で、比較もできないまま長年育ってしまうと、簡単には直しようもないものがあることも事実だ。
あるいは、もう少し積極的に周りに家庭の話をできていたらと思うこともあるが、父が娘を嫌うという構図でさえあまり理解されるものではなかったから、やはり他の家庭というものは理解しがたいものなのだと思う。
それでも、せめて何かのきっかけがあれば、もう少しはやく気づけていれば、今よりも生きることが楽になっていたかもしれない。
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もし放送されるのならば。
あの家族が「普通ではない」という話がまた起こるとするならば。
その話が、自分の家庭を「普通」だと思い込む「普通ではない」家庭の子供達が、認識の違いに気づくきっかけになることを願いたい。
私のなかでは、横浜は横浜ですが、川崎も秦野も愛川も町田も神奈川のイメージですね。
それから、最後の方まで性別明記していなかったので、性別言及しているかたは意外としっかり読んでくださったのだなと、ちょっと嬉しかったです。
ありがとうございました。