はてなキーワード: 氏賀Y太とは
子どものとき裸の大将の映画を親が見てたのを横で見てて、なぜかすごく怖かった。
いい大人がすごく無邪気ににこにこしてるのが怖かったのか?
うーんたとえは悪いけど、氏賀Y太のマンガで似たようなのを後々読んで、やっぱりやばいよなあと改めて思ったんだよな。
氏賀Y太のマンガで裸の大将みたいなのが出てくるやつがあってさ。
あと思い当たる点といえば、親が知的障害児施設で働いてたんだけど、たまに子どものときに職場に行ったんだよ。
あいつらみんないいおとななのにニコニコしてて子どもみたいで不気味だったんだよな。
もちろん親にはそんなこと言えなかったけど。
だからいつも距離置いてたわ。何されるかわからん怖さがあったから。
あー似たような話といえば、小学校低学年のときに同じクラスにダウン症のやつがいたんだけど、そいつが遊びのときにルール守らないんだよ。
そんでそれを親に愚痴ったら、○○くんは病気だからねえみたいに困った顔で笑いながら言うんだよ。
だから俺はそれを聞いて、あ、これは言っちゃいけないやつだったんだって思って、慌ててあからさまに「そういう遊びのルールは守れないけど、すっごくピアノとかうまいんだよ!」みたいにフォローしてさ。
子どものときからすげー気を遣ってたから今ひねくれてんのかなあ。
最近っていうには結構前だけど、乙武さんのレストラン事件もあったし、やっぱりどこかしら怖いって感じはある。
言い方は悪いが、得体の知れない不気味さみたいな。
これへこむな。
俺自分はSだから~とか、田亀源五郎とか氏賀Y太で余裕で興奮できるから~とか、ゆ虐とか偽装石で罵倒する側だから~とか思ってたんだけど。
レベルが違うな。
久々に首筋からゾワゾワして怖いわ。本当に死ぬかも、ってか普通に死んだらしいとかそういうの知ってるから、死への時間に向かってるっていうか。
フィクションでレイプでなんとかっていわれてもネタだろ~もっと過激な想像力で予想外のもってこいよ~って思うけど。
リアルだと普通にちょっとレイプしただけでおとなしくなって、従順になっていく様子が死ぬなってのを強く感じさせてヤバイわ。
なんだっけ、加藤週一だったかが言ってたな。文学での感動は目の前の人の死に勝てない。みたいなこと。
そういう感じだわ。
ってか、強制子宮破壊自体は中学のころ友達の家で見たことはあったんだけど、そんときは、撮影だろ?って思っただけだったんだけど。
今は大人になって、「この従順さはヤバイ」とか、「メンヘラで調子に乗ってる女」とか、「あの腹の傷はヤバイ」とか分かるからいっそう恐ろしいんだよな。
「私解離性障害なんです、お父さんのこと好きだけどAV出るってきめました、お父さんに手紙も書きました」
→「レイプ
」→「女優がにらむ」
→「無理ですとカメラをはたく」
→「フェラすら断る」
→「従順にレイプされる」→「天国じゃだめだ、地獄みせてやるよと言われて本気で嫌がる」
→「金もいりません、必要経費は私が払います、自分で死にます許して下しア」
→「てめーは契約したんだから死ぬ権利もねえよ、死にたいとか贅沢言うな明日勝手に迷惑じゃないとこで死ね」
→「今後街で見かけたらレイプだ、視聴者様も金なしでレイプされるって宣言しろ、俺の子供産め、俺がだんなだ」
→「酒飲め殺すぞホスト狂いで酒飲んだんだろ、ホストの酒のめて旦那の酒飲めねえとか殺すぞ」
マジで地獄ってあるんだなあ。って他の奴もタバコ押し付けられて額の骨が折れてるのか変形してて「AV出れなくなる、デリヘルできなくなるやめて」とか、なんつーか、舐めた態度とのギャップっつーか、人間ってこんなおとなしくなるんだって衝撃的だわ。
なんつーか、マジでキツイわ。俺ブサメンで、女がイケメンに優遇してブサメンののしる舐めた態度にクッソイライラ来て女叩きすることあるけど、こういうの見ちゃうとすんげーいやだわ。ブサメンだから、女に虐げられてるから、女を馬鹿にした作品大好きなんだけど、これは違うわ。
水地獄ってのも白目向いててマジでやばいなあ。こんなものすら俺はなれて楽しめるようになっちゃうのかなって怖いわ。
なんつーか、虐げられた人間の恨みって怖いね。やっぱ女がブサイク叩きすぎたのが原因だと思うよ。
あれだな、自分の娘がレイプされたら犯人をぶっ殺したいって思うだろ?あれがこじらせまくったのがこういう猟奇的な作品につながるんじゃねーかなって思ったわ。ある意味当たり前なんだけど、はたから見ると狂気みたいな。
俺はゲームはプレイしてません、レビューを読んでの感想という訳のわからんものです。読み捨ててください。
そんで感想なんですが
いいんじゃないんですか?別に普通じゃないと思う人がいても、普通かどうかなんて主観的なものでしょ?
自分の考える普通に外れる人をことさらに非難して、自分の考える普通に合う人をむやみに称える。まるで普通という選民思想だ。
普通に対する考え方は千差万別。人の数だけあります。自分にとって普通かそうでないかだけを絶対として判断するのはどうかなと思います。
自分の考える普通と違うものに対しては、まぁそういうのもあるよなって態度でいいと思います。
それはそれとして、話はちょっと変わるんですけど、このエントリーの普通というのがよく分からないんですよね。
人間は誰でも――とまでは言えませんが、少なくとも私は不安や恐怖を克服して普通になるために生きています。人一倍臆病な人間なので、常に社会に適合できなくなったり共同体から爪弾きにされたりする恐怖に怯えながら暮らしています。嫌で嫌で仕方ないのに身体に鞭打って一年三百六十五日働きつづけているのも普通になるためです。取りたくもない資格のためにやりたくもない勉強をするのも普通になるためです。思い出したように家族サービスをするのも普通になるためです。友人と遊んで関係を維持しているのも普通になるためです。読書をしたり、映画を見たり、ノベルゲームをやったりするのも普通になるためです。せっせこ筋トレをしてプロテインを飲んで身体を作っているのも普通になるためです。ブログを更新して、拙いなりに自分の意見を発信したり、ビューワーさんの意見を受信したりしているのも普通になるためです。全ては自分が普通になるためと言っても全く過言ではありません。普通になることこそ人生の目的なのです。
すいません、ちょっと何言ってるか分かんないです。
なんだか普通というものを特別視しすぎで選民思想のようなものを感じます。
社会に適合できない人、共同体から爪弾きにされる人は普通じゃないの?
働いてない人、働けない人は普通じゃないの?体を鍛えてない人、鍛えられない人は普通じゃないの?
嫌なら別に働かなきゃいいじゃん、やりたくなけりゃ勉強しなきゃいいじゃん、それで普通じゃなくなるの?普通ってなに?
社会に適合できないなら、その社会のほうが普通じゃないんだ、共同体から爪弾きにされるなら、その共同体のほうが普通じゃないんだ
世界は広い、もっと別の社会や共同体がある。自分が属する社会や共同体の普通は絶対的なものじゃありません。
普通に対する考え方は千差万別。人の数だけあります。自分自身の普通というものを見つけていきましょうよ。そっちの方が人生の目的っぽくないですか?
まぁ普通に対してどういう考え方を持つか自由です。社会に適合すること共同体から爪弾きにされないことを、自分自身の普通にするのも自由です。
しかしその場合、仮に同性愛者が同性愛を理由に社会から不適合とされたり共同体から爪弾きにされたとしたら、同性愛者は普通じゃないということになる
普通ってそういうものじゃないでしょ、普通かどうかを誰かの判断を委ねるものじゃないでしょ、普通かどうかは自分自身で決めるものでしょ
ところで、ブログ主は百合ゲーをしていますが、その事を普通じゃないとは思ってないでしょう。
そしてブログ主はいわく普通になるために日々努力しているようですが
ブログ主が嫌々働いている職場の同僚や、サービスしている家族や、関係を維持するために遊んでる友人は
百合ゲーをしていることを普通に思うでしょうか?もしかしたら、彼らからしてみれば普通じゃないかもしれない
普通なんてそんなもんです。自分にとっての普通が、誰かにとっては普通じゃないかもしれません
最後に私がオススメする百合作品を紹介しますね。氏賀Y太の「女体解剖授業」収録『マテリアル』シリーズです。
人によっては百合だとは思わないかもしれません。普通だと思わないかもしれません。
それもそれで一つの考え方でしょう、その考え方を私は否定しません、まぁそういう考え方もあるよなぁと思います。
日本で使われる文字表記で最も穏健なのが"ひらがなのみ"であり、逆に最も過激なのが"唐突な異種文字の組み合わせ"である。穏健とは温厚、おとなしい、常識的、角の立たないということであり、過激とは刺激的、どぎつい、ドキッとするということである。
字種の印象を比べるのは難しいので、それぞれの表記の筆名を使っている人とその作品で比べてみる。穏健な文字表記を筆名に選ぶ人は作品も穏健であり、過激な文字表記の筆名を付ける人の作品も過激な傾向にあるはずだ。
ひらがなのみの筆名ではイラストレーターのこうたろ氏が代表例である。綺麗で整った絵を描くのだが退屈と言えば退屈である。他の例:しんたろー(イラストレーター) 、らする(漫画家)
ひらがなは汎用性が高いのでひらがなのみの筆名を使いながらも穏健とは言えないあさりよしとお氏のような例外もいる。
"唐突な異種文字の組み合わせ"の筆名の代表例は氏賀Y太氏である。グロ、暴力描写で名の通った漫画家である。他の例:ジョン・K・ペー太(漫画家)
穏健と過激は両極端でありどっちが優れているという話ではないが、穏健傾向の作品のほうがより商業ベースに乗らない印象がある。
追記
萌え絵の様な絵柄で複数人の女性(に見える)キャラが描かれた表紙。
しかしその中身は、表紙に描かれた登場人物はどれも男で立派な物が付いていました。作品に登場するキャラ全部が♂でした。
それに噴き上がってる奴に対して、「自分の思い通りにならないから噴き上がるなんて萌え厨きめええ」って一蹴してやる。
しかし中身は、氏賀Y太も真っ青のエログロ鬼畜内容。スカトロや四肢切断など何でもござれ。
それに噴き上がってる奴に対して、「自分の思い通りにならないから噴き上がるなんて、ほのぼの厨きめええ」って一蹴してやる。
少女漫画のような絵柄で、男同士が二人見つめ合っている表紙。
しかしその中身は、二人の男がいい雰囲気になった時に、一人の男が「え!何?もしかしてお前そっちの気があるの?うわマジキモ!あり得ないから、俺ずっとお前は友人だと思ってたのに、そんな風に思ってたなんて。もうお前とは話せないわ」という断絶宣言のあとに、女性の彼女を作って絶交。
それに噴き上がってる奴に対して、「自分の思い通りの展開にならないから吹き上がるなんてwBL厨きめええ」って一蹴してやる。
そういう「ギャハハ、自分の思い通りの展開にならないからって、噴き上がるのはキモオタだけだよねー」爆弾を何個も何個も投下するのだ。
そうすればやがて「まあそんな展開もありかな」と納得する、よく飼い慣らされたオタクか、「こんな惨い仕打ちをするなんて!!そこに痺れる!憧れるぅぅ!!」とラリッてるんだか、真性Mの鑑なんだかよく分からないオタクだけが生き残る。
ですねー。元増田の
「自分はマニアックで許容量もチンコも大きくて正常なんだぜ!」
という必死の叫びが見えてくるとゆーか、
「SM、スカトロで性的快感を覚えるなんてキチガイ異常者の猟奇的快楽殺人犯予備軍に違いないんだぜ!」
と言いたいだけとゆーか。性の領域化。
そもそも「○○が無理」という性的嗜好の開陳は意味がない。昔のオーストリア人の説を引くまでもなく、およそこの世の全てのモノゴトが性的対象になりうるんだし。氏賀Y太とバタイユ読んでから来い!議論はそれからだ! みたいな。なので「おれはコレとコレとコレができます」にしときましょう。その方が高校生の性冒険自慢に誤読されないですみます。
コミケ3日目が終了した後の空港のレストランで、モデルか芸能人かというぐらい美人の女性2人連れの隣に座った。エビちゃんスタイルとでも言ったらいいんだろうか。お世辞にも僕らが大好きな黒髪ストレートの清楚ロリ系ではないが、世間一般に見て、かなり勝ち組であろうと想像出来るお姉さんだった。あまりにハイクオリティすぎて、どうせ実家は金持ちで彼氏はIT青年実業家か医者なんだろ?ハイハイビッチ乙とかそういうことを考えていた。こっちはTシャツに潮吹いてるキモオタ童貞3人組。俺らのようなアニメ・エロゲフヒヒとかやってる人間は一生、こういう女性とは縁がないのだろうと。
ところがだ。ところが、そのお姉さんたちの会話を盗み聞いて、耳を疑ったね。いや、一瞬脳が拒否した。
「地球へ…今すごいいいところなんだよ!」
「子安さんが受の役してるの珍しいよね」
「それは○ちゃんがそう思ってるだけでしょw」
腐女子かよ。
「△ちゃんの台車って何箱くらい載る?」
「今度の表紙、全面に箔かけたいんだよね」
しかも描く方かよ。
そしてしばらく濃い話を続けた後、なんか石いっぱいついてるアクセサリーを煌かせながら、お姉さんたちの会話は外見通りのハイソな恋愛話に移行した。
これにはシャレじゃなく絶望した。鬱になった。何故かと言うとこのお姉さんたちもアニメ・ホモフヒヒとかやってる人間なんである。話の内容を聞くかぎり、しゃべってることは俺らとたいして変わらないのである。なのにこの勝ち組オーラ。
気付いてしまった。俺はオタクだからモテないんだと思っていた。アニメ・エロゲが好きだから、世の中の女には理解されないんだと。俺らのようなオタクが女と付き合うことがあるとすれば、きっと相手は重度の腐女子でキモ外見の女子と同病相哀れんでなんとかなるぐらいがせいぜいだろうと。でもそうじゃない、俺が童貞なのはオタクだからではなく俺がキモイからだ。例え重度のオタクであってもちゃんと一般人と恋愛を成立させている人が存在するというこの事実。考えてみれば氏賀Y太にだって嫁がいるのだ。
そんな感じで絶望したまま家に帰って、戦利品で気持ちを盛り上げようと開いた本の後書きで、そのブログの変態くささから、最高級にモテないオタだろうと思っていた作者がオタじゃない一般女性と結婚したという文面を見た時の俺の気持ちを誰か察してくれ。