はてなキーワード: 反韓デモとは
耳を塞ぎたくなるようなヘイトスピーチを撒き散らかしていた。
昔から人一倍気が弱く、自分に自信がなくて人付き合いも少なく、趣味はといえばアニメのDVDやニコニコ動画を何時間も観るくらいしかない兄だった。
それでもとても優しく、東日本大震災のときは被災地の惨状と亡くなった人の数を聞いてボロボロ泣きだしたと思いきや、
手取り15万の安月給なのに翌日には口座から10万おろして被災地へ募金したりするような人である。
どうだこんなに優しい兄貴はそうそういないぞ、と言いふらしたいくらい好きな兄だ。
まあ昔からことあるごとに俺に言い負かされてきたせいで、俺に逆らえない(というか俺に追従してしまう)性格になってしまったのだが。
一方、どうして俺が新大久保にいたのかというと、実はこの反韓デモへのカウンター目的だった。
(といってもしばき隊のような特定の団体に紛れたわけではなく、個人で行動していただけ)
デモに向かって「不当な差別はやめろ!」とか「レイシストから卒業しろ!」とか
「お前らに罪のない人を脅かす権利があるのか!」とかそんなことを叫んでいた気がする。
兄貴と目が合った時、お互いの動きが凍った。あの瞬間、誰がなんと言おうと世界の時は止まっていた。
その時は無言のまま二人はすれ違って、その後、帰宅して即電話。電話のむこうで兄貴はボロボロ泣いた。
俺は兄貴を追求すべきか、説得すべきか、悩んでいたれど多少混乱していたこともあって頭を整理できず、ただひとつ。
「あんた、『デモの邪魔する在日は消えろ』って叫んでたけれど、あんたと血の繋がっている俺もデモの邪魔したから、あんたの憎む在日なのか?」
と詰問すると兄貴は当たり前だが「違う、違う」と泣きながら答えた。俺はその後「別に自分が在日でもどうでもいいことだけど」と続けた。
こんな話をしたいんじゃないんだよな……と思いつつ、今週末秋葉原で待ち合わせをすることにした。二人きりで対面しての会話は三年ぶりである。
あんなに優しく正義感の強かった兄がなぜ、あんなに邪悪な言葉を吐き散らかすようなことをしていたのかわからない。
理由は今度尋ねてこようと思うが、どういうふうに接すれば正直わからない。
俺がもうあんなことやめろといえば兄のことだから確実にやめるだろうけれど、それは根本的な解決になっていないような気がする。
一方の俺も、兄貴がどんな風に自分のやっていることの正当性を主張しようとしても、それを聞いて考え方を曲げる気はさらさらない。
まあ正直、ショックはでかかった。兄の経緯や考え方に何が起こったのかを知りたいような知りたくないような微妙な気持ちだ。
大阪の新大久保という場所で、連日のように反韓デモが行われているそうだ。俺の知ったことではないが不快ではあるので、この話題をRTした奴は無条件に即リムっている。大虐殺である。いい加減あらかたリムり尽くしたと思っていたが、上記の小田嶋記事でまた十人単位でリムることになった。勘弁して欲しい。
もう竹林に住むしかないのかもしれない。俺は女子高生のパンツだけ見て生きてゆきたいのに、クズどもが善意で糞を拡散する。原発が。反韓が。TPPが。だいたい原発の汚染水が漏れてたとかでいまさら大騒ぎしてるけど、あの「貯水槽」って穴掘ってシート敷いてるだけだからね。漏れないと思うほうがどうかしてるだろ。原発関連もひたすら虐殺したから最近はだいぶ見かけなくなった。
こういうことを言うとすぐクソ左翼が「お前はヘイトデモに賛成なのか」みたいなことを言ってくるが、賛成もなにも、そもそも俺はもはやそうやって踏み絵を迫られることにすら我慢ならない。そんなに世界の悲惨がお好きなら今すぐカンボジアに行って地雷除去でもなさればよろしい。在特会のデモに賛同するわけがない。当然のことだ。だが、その拒否感と同じくらい、あるいはそれ以上に、俺はもう「なぜ○○しないのか」式の言説が嫌で嫌で仕方が無い。「戦う民主主義」だの、「日本の国益」だの、俺はその種の「正義」や「善」にはもう一切加担したくないし、そうした旗印で踏み絵を迫られるのにもほとほとうんざりしている。
お前らはニーメラーが大好きだけれども、彼は「私は声を上げなかった」と言っているだけで、「私は銃を取らなかった」とは言っていない。彼の自省はあくまで彼の良心についてのものでしかない。ナチスは剣ではなく投票によって立った。つまり、俺はもう民主主義は無理なんじゃないかと思っている。学校では民主主義というのはなにか素晴らしいものだと習ったけども、結局のところ民主主義というのはああして糞を拡散する連中にも「主権」を認めるシステムなわけだし、それはつまり俺が在特会や踏み絵組と対話し連帯してわれらの崇高なる理想と目的を達成すべく邁進せねばならないということで、そりゃあ無理だろうと思う。しかしTwitterとか見てるとどうも皆様そうは思われないようなので、俺はもう竹林に行くしかない。お前らどうせ改憲に賛成するんだろ。改憲が無条件に悪だとは言わないが、国民投票で過半数を取れるというのはこれはもう間違いなく狂騒と興奮に駆られた落花狼藉であって、その乱痴気騒ぎに乗じてお前たちは正義と善を旗印にところかまわず踏み絵を撒き散らすんだろう。対話なんて信じちゃいないくせに、誰かを辱めたいだけなくせに。
私は新大久保という街が好き。といっても、特に何を買うというわけでもなく、ただ街をブラブラ歩くだけでも、まるで韓国に迷い込んだような気分になれる楽しい街。
でも、最近は極端に治安が悪くなっていると話に聞いて、行くのを躊躇している。ごめんね新大久保のお店屋さん。
「在日のせいで治安が悪くなった」? いいえ、逆で、原因は残念ながら一部の日本人。
私は何も、外国に抗議をするデモそのものが悪いとは思わない。北朝鮮や韓国の政府の政策や教育にも問題点があると思う。日本政府の在日朝鮮人・韓国人に対する政策に問題があるのなら、是正すべきだろうとも思っている。
でも、反韓デモの「良い朝鮮人も悪い朝鮮人もどちらも殺せ」と書かれたプラカードや、「朝鮮人を叩き出せ!」のシュプレヒコール、そしてデモ隊が暴力行為まで振るっているとなると、これはあまりにもひどい。
これを見て、「このデモの正体は反日韓国人で、反日運動を煽るためのマッチポンプではないか」という考えが一瞬頭をよぎった。
もちろんそれは根拠の無い馬鹿げた発想だけど、反日韓国人は「それ見ろ、日本人は韓国人を差別したり暴力を振るう民族なのだ」と、みんなを焚き付けるいい燃料に利用していると思う。いや、こんな好例を利用しないはずがない。
私はこれまで、日本の多くの歴史教科書や資料集に掲載されている、「日本統治下の朝鮮で、朝鮮人は樣々な酷い仕打ちを受けた」の類の記述を疑い、「話半分」「誇張」ではないか、「実際には朝鮮人と仲良くやっていた日本人の方が多かったのではないか」と思ってたけど、最近、その確信が揺らぎ始めている。
あのデモ以来、「人権意識の高まった現代でさえ、あのような過激な文句や暴力が平気で存在するのであれば、日本が朝鮮を統治していた時代は、その十倍や百倍は酷い、朝鮮人に対するいじめやら虐待が当然、実在したのではないか……」と考えるようになった。
あのデモが本気ではなく、ブラックジョークだったらどんなに良かったか。韓国国内の過激な反日デモを皮肉ったパロディに過ぎなかったら、どんなに良かったか。
でも、もし本当にブラックジョークやパロディなら、もっとわかりやすくやってくれ。今のままでは、単なる憂さ晴らしのいじめにしか見えないし、「日本人は韓国人を差別したり暴力を振るう」という主張が嘘である事を示すどころか、逆に現実のものに変えてしまっている。
そして、彼らが在日「いじめ」に飽きた時、今度はその「いじめ」の矛先が別の所―今度は我々も巻き込まれるかも知れない―に向かうのではないかと考えると、また恐ろしくなってくる。