はてなキーワード: 五輪とは
かなりのワーストケースだけど、8月から2,3週間ぐらい重症病床がずっといっぱいだったらそんな「良かった探し」なんて吹き飛ぶでしょう。そうして五輪からだいぶすんでからやっと日常に戻る。その頃には皆五輪のことなんか忘れてる。
総理は五輪の位置づけとして「国威発揚のため」と考えている節があるから、競技終了後の総選挙の結果が本丸なんじゃね
はてブにいる政治系ブクマカも基本的にはそう思ってそう(だからこそ不祥事があるたびに「選挙に行こう」なんて言葉をねじ込んできてるし)
そうであればいいけど(よくないけど)。
反対派だって五輪終われば(無事に、とは言わない)ほっとするし、
病床逼迫程度では「良かった探し」に勝てない気がするんですよね。
オリンピック終了後も、テレビは「良かった」シーンだけを何度も何度も流すだろう。
また、スタッフやボランティアの活動を追ったドキュメンタリーで、舞台裏の苦難が美談のように語られるんだろう。
そういうことが、この先何年も続く。
今現在の五輪反対派の一部は、そこで「反省」させられてしまうかもしれない。
このたびのゴタゴタや政治のことをよく知らない子供たちは、テレビや教科書で、五輪を「良い記憶」としてあるいは「従わなければならない何か」として受け入れてしまうのかもしれない。
障害者をバカにしたネタ、介護士が老人溺死させるネタ、同性愛差別ネタ、全日空飛行機事故ネタ、
サブカル選民意識にありがちな不謹慎ネタのオンパレードということに触れないのもおかしい
ラーメンズよりもずっとファンが多くて視聴率も持ってるとんねるずも
90年代にやってた保毛尾田保毛男を2017年の特番でまさかの復活をさせて
コンパクト五輪:成功。音楽も演出も大幅にカットされ、観客は無し。これ以上にコンパクトな五輪がありますか?
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:成功。コロナ感染者が増えようとも社会は回るということこそがコロナに打ち勝った証なのである。
こちらが恣意的に張り付ける失敗基準など用意しなくても政府は自らそれを用意し、そして失敗してきている。
以前投稿した内容を再掲するが、政府はこの五輪に色んな決意、目標、意気込み(つまりは成功基準あるいは裏返せば失敗基準と呼べるであろうもの)を掲げている。それらはことごとく達成されず、そのたびに政府の宣う成功基準は下がっていった。
何日か前にはついに、"結果的に『やってよかった』と言われるような大会にしたい"などと、もはやどう転んでも解釈次第で成功したと閣議決定できそうな決意を述べるに至った。
コンパクト五輪:失敗。当初掲げた予算目標を大幅に超過。担当大臣すら予算の全容を把握していないことからして、そもそもこの目標を実現する気が有ったとは思えない。
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:失敗。人類全体も日本も未だコロナ禍の渦中にある。観客数や五輪関係者への行動制限など様々な制約を付けた不完全な形で五輪を強行。
"安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史的な歴史に残る大会を実現したい"五輪:すでに半ば失敗。緊急事態宣言を発令せざるを得ず、バブル方式も名ばかりで穴だらけな状況を安心安全とは言わない。運動会やその他の学校生活は大幅な自粛を求められる一方で五輪は強行される等、与党の都合による様々な矛盾した施策を見せつけられた子供たちが夢と希望を抱けるはずもない。政治の劣化と腐敗をまざまざと見せつけられて、子供たちはこの国への失望と己の未来への危機感を抱くことだろう。
それはともかく、このコロナ禍において実際にいわゆる「文化」への憎悪が高まってきているのは間違いないだろう。
初期の頃から他業種を軽視する発言やクラスター発生などで顰蹙を買い、度重なるイベント開催要求もじわじわと不満を広げる結果になっている。
ちなみに今現在絶賛ヘイト消費中なスポーツ関係も攻撃する層からすれば別口の体育系になるが広く見れば文化である。それが今は矢面に立っている状態であるがその後はどうなるか、今は悠長に嗤っている他の文化エンタメに矛先が向くことになるのは確実だ、何せ飲食や実業と違って同情されにくい。あの分野とこの分野は違うと言いたくなるだろうが、そんな利口に区別をしてくれるわけないのは既に前例が証明してしまっている。
既に責められた分野は他の分野を攻めるのに躊躇なんてしないし、そうやって責められた分野もまた立場が変わればやり返す、逆恨みの連鎖はもう止まらない。
「〇〇について書いてない」と言って、勝手な自分の論を言うのも割とあるあるだよねー。