はてなキーワード: ミラーニューロンとは
人間はドーパミンの量で面白いと感じます。この量は一気に出てきても。小出しで溜まる様にしても同じくらいの量で同じぐらいの楽しさと感じるはずです。
(はず。というのは、この量に個人差ああるのですが…まずはお決まりの思考実験で確かめてみよう!)
この小出しに溜まる。貯められる行動こそが"共感"だったりします。
その人を見てると楽しい。同じ行動を取るとこっちまで楽しくなる。そんな時がありませんか?
これは、頭の中でミラーニューロン群という、少し特殊な細胞が頭の中で外の現象と同じような事を再現しようと動き、
そして、ぴったり一致すれば思わず体も動きだそうとします。この行動が"直感"と呼ばれるものだったりします。
なお、ドーパミンを始め各種ホルモンの分泌に男女差があり、この差が男女の面白さに差が出るのですが…
…ええ。多分殆どの人は知らなかったでしょう。楽しさに男女差がある事を。
その日、ぼくは普段飲めない酒をたらふく飲み、フラフラの足を引きずって帰宅した。会社で嫌なことが有ったから飲みすぎたのだ。道中では意識が朦朧としていたが、家に着くころには大分マシになっていた。
自室のイスに座ったとき、ふと考えが思い浮かんだ
「パッとヌイいて寝よう」
そう思ってPCのスイッチをいれた。何気ないこの思いつきが、後々大きな後悔を引き起こすとは知るよしもなかった。僕の意識はハッキリしていたと思い込んでいたが、判断能力なんてなかったのだ。
一体、どうしてアノ動画にたどりついたのか、それは今となっては分からない。その動画の中では、顔は映されず、ちょこんと女の子座りしていた。首から下は制服に身を包み、腕から下は黒くピッチリした手袋を身につけていた。なにかのコスプレなのだろうか。そんなことに頭を巡らす余裕もなく、血走った僕の瞳は性的興奮を求めて画面を凝視し続けた。画面の中のその人は、こちらに向けて手を振った。その仕草が実に控えめで、可愛かった。そして、手を振ったその手で、スカートをたくし上げる。黒いオーバーニーソの先には、純白の太股があった。いいぞ、これだ、良い動画を見つけたという気持ちで一杯になった次の瞬間、僕は画面の中に驚くべきモノを見たのだ。
真っ赤で、テカテカテカで、今にも破裂しそうな...肉の、棒...
手袋を纏った繊細な手は、そっと彼自身の竿に触れる。その手は、あるときはまとわり付くようにネットリと、あるいはシュコシュコと勢いよく、棒を刺激しつづける。僕は気づくと、画面の中で起こっていることと同じ動作に耽っていた。いや、それとは比べられないほどに激しく手を上下させた。画面の中で起こっていることを見ながら、僕は「自分のキモチイイところを知っているのは自分自身なんだなぁ」という言葉をしみじみと噛み締めて納得した。画面の中では、手の動きが速くなって一瞬、躰がこわばった。そして、黒い手袋の指先に白濁してドロドロとした粘液が滴り落ちていた。次の瞬間、僕の躰にもまったく同じ変化がおきた、ティッシュを取る手は間に合わなかった。
「はぁ...はぁ...はぁ」
不快な頭痛で目が覚める。朝だ。ふと、昨晩のことを思い出す。「とんでもないモノをオカズにしてしまった」と言う後悔と罪悪感が身体を襲う。あれは夢だったんじゃないか、そう思って視線をPCの方へ向けると、そこには白く液体の飛び散った跡が目につく。夢じゃない、現実だ。
あの日以来、僕はホモなんじゃないかという迷いは消えない...
アレは、事故だったんだ。僕は、ホモじゃない、断じてホモじゃない。
ぜんぶ ミラーニューロンのせいだ
https://twitter.com/zakka10wasabi
発達障害の人が就職活動するのって相当欺瞞的にやっても苦戦する。しかも、苦戦の度合いが普通の就職活動生ってレベルじゃない。なぜなら企業は発達障害の知識を学んだとしてもそれを排除の手段としてしか使いたがらないから。適応障害起こして詰む人もいるんじゃないかな。まぁ、発達障害なくても起こす人いるからやっぱりこの状況自体がご臨終。
知っているかな?自閉症の就職率は知能が低いほうがよいというデータがあるんだぜ一般的に高機能自閉症(または一般的にアスペと言われる)の人たちの方がパニックを起こすような知的障害併発の自閉症よりも就職しにくいんだよな。総合職がエリート扱いされている世の中で発達障害の凸凹の相性悪すぎや。日本の企業はそれぞれの苦手をカバーしあうことをもう少し強化すべき。なんでホンダが2人で起業したのか考えてみろ
https://twitter.com/zakka10wasabi/status/568537680067166208
発達障害の脳は補償機能によってもともとダメな知能の分野をほかの分野がカバーするから。アスペ系の人の言語能力が高いのは空気を読むミラーニューロンの分野がダメな部分を言語分野などでカバーすることが多いから。ただ、言語関係といってもこれは4つの能力の違いがあるんですよ「言語の4機能 読む 書く 喋る 聞く」これらの能力は独立していて、読むのが得意でも喋るのが苦手なパターンとか、書くことが得意でも人の話が聞けないということは十分にありうる。この4つの能力のうち、生活に支障が出たりするのが言語性LDという解釈でいいと思う
だから、異常なまでに人の話を一字一句覚えている能力のあるような人は若干でも発達障害の要素を疑ったほうがいいかもしれない。全部覚えられるのかよ!すげえ!!と思われるかもしれないけど、これは裏を返せば嫌な思い出が忘れられないということだからね?ちなみに、映像記憶が抜群によい人はフラッシュバック起こしやすいので注意。東大の試験とか、証拠を調べるという能力ではこれ以上最強な能力はないけどね。
ところでこの発言を、とあるなんとかの斜方前進(ビヨンドジイマジネーション)の人がRTしてた http://mypage.syosetu.com/52127/
目で見た物事の模倣
聞こえた音の模倣
同じ味を再現する能力
同じ匂いを再現する能力
同じ肌触りを再現する能力
共感、単純な喜怒哀楽は、それが自分自身でも相手に共感したのか、その場空気に合わせ模倣したのか解らない時があったりする
第六感というとアレだが情報として感じた事、受け取った事にたいして模倣したり、模倣してしまう能力がある
前者は五感で直接受け取った歓喜や悲痛に対しては同調し同じ気分になるが
後者は報道等による文字情報のみで受け取った歓喜や悲痛に対しても同調し同じ気分になる
しかし、後者は普通、その自分自身の共感作用に対し客観視を行っているが故にその文字情報に対しても同調可能なので
五感で直に感じる歓喜や悲痛に対しても客観視というフィルタを通してマインド(感情)をコントロールできてしまう
だからといって、冷静になれる事がその場での歓喜や悲痛に対しての共感度が低いというわけではない、そう見えてしまうのは仕方ないが
さてでは、この前者と後者の違いは何なんだろうと考えた時に一つのキーワードとなるのが“ミラーニューロン”だと思う
前者の“偉大”な能力として注意が必要なのが後者の行う抽象空間での共感を“記憶”によって模倣できるという点である
世界は動き出すだろう
@awaikumo
そんなわけで、右派系な人のブログで、過去、石原知事の発言を、
ネットを一切見ない還暦過ぎのうちの親父がまさにそういう態度(「言論の自由」なんて言ってないが)だが
うちの親父は情強なのかい。
そんなのあんまり見た事がないんだけど。
過去、問題発言が話題になるたびに、ウヨは「マスゴミが恣意的に発言を切り出してる」とか怒ったけど、
実は石原知事の発言をノーカット生放送(今回のは雑誌記事だけど)するとこういうことになる、
というのはわりと知ってる人は知っていた。
別に秘密でもないことを「限られた情強の俺達だけはしっていたが!」と騒いでるようにしか見えないし
あなたの脳のミラーニューロンで作り出した「ネトウヨ」と取っ組み合ってるようにしか見えない。
ネットの若年層にせよ
非ネットの年配者層にせよ
論点次第では石原不支持に説得することは十分可能だと俺は見る。
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。