余裕のある人が、自分より他人を選択する、という点で寄付には意味がある。対象は多数の寄付者がある程度ばらつくし、人気がないところには余裕を回してカバーすれば良いから、気にしなくて良いと思う。
東京から大阪に5年くらい転勤で行っていたけど、関東と大阪では交渉の仕方が違うと思っていた。
お互いの真ん中に決着点があったとしても、まずはお互いに自分の要望を最大限相手に伝えてから、「そら無理ですわ」「これなら何とかなるんやけど」とか言い合いながら真ん中を探す。
ドケチ文化。交渉が上手くまとまれば最大限の利益を得られる。商人の街。
お互いの真ん中に決着点があったとしても、まずは予め決められいた部分から少しづつ譲歩を引き出すorなにも言わずに相手からの譲歩を期待する。
とらつえさんは一応主人公です
多様性という生存戦略を、遺伝子の進化だけじゃなく思想(ミーム)の進化にも使っているから。
生命は突然変異した遺伝子が、環境に応じて生き残ったら次の世代に伝えていく、という戦略を取っています。
こうすることで全体としての多様性を確保し、カンタンに全滅するのを防いでいるのです。
逆に人間が調整して作り出したバナナは一様なクローンなので、栽培しやすい反面、ひとつの木が疫病にかかれば、すべてが共倒れするリスクがあります。
人間の頭の中にある考え、ミーム、もまた、他者に伝達される中で変化していきます。
keshimini 属性による偏りが問題になるのは例えば税金のような公正な分配が求められるリソースであって、増田の財布の中身は増田の好みで自由に使って良いんだよ。増田の考えは究極まで突き詰めると私有財産の否定になる。
IthacaChasma 増田が吉野家で牛丼を食べることが、すき家で働くバイトや、マックの食材を生産してる農家や、サイゼリヤの経営者を差別していることになるか? 答えは「ならない」。私有財産の使い道を選択しただけ。
おそらく、どちらかが一方に影響を受けて書いているでしょう。
ポメラニアンに財産を割くのを正当化する一方で、黒い犬を助けると言っている人もいます。
日本政府が完璧ではありません。おそらく、完璧になるのは難しいでしょう。
言論による自由なミームの交配を促すことで、増田さんがなさったようにミームを競争にさらし、向上する余地を与えて
◯してもいいですか?
増田個人の考えも一つだと思うので反論はしない。好きにしたらいい。
弱者男性はかわいそうに見えないから助けてもらえないということについては、男性は自分の弱者性を認めたがらず、ウィークネスフォビアがあるために「自分は可哀想だ」と訴えることができず、他の弱者とされている者たちを攻撃することばかりして自業自得なので助けなくていいと思います。
みんなすごいやろ
今まで自分を突き動かしていた欲望が無くなってしまい、自分が生きていなければならない理由が見いだせなくなったので、また人生について深く考えなければならなくなってしまった。
ほとんどの大衆は自由など望んでいない、なぜなら自由とは全てを自分で決めなくてはいけない状態であり、それは苦しいことだから、というのが今は理解できる。あまりに自由で選択肢がありすぎて、唯一の正解も存在しないので何も決められない。
かといって不自由も望んでいない。
自分がやりたいことをやればいいというけど、やりたいことがない。
人間的に成熟した同年代の女にいかないのは幼稚だとか言われてるけど、人間的に成熟した同レベルの40女なんて激レア過ぎて出会うのが不可能。若いだけの女はそこら中にいるから、そっち狙った方がまだ現実的。
張り合ってないという意味でライバルじゃないってだけであって、アイドルpvは4億回再生で可愛くてごめんも早見沙織のだけでも億越えで倍率は4倍以下なのだから死体蹴りってほどのことでもないよね?
言いたいことはすごくわかる。
純粋にリソースの充て方という意味では募金も一つの使い道でしかないわけで、募金に使われなかったとしたら生まれていたであろう利益をつぶしているという見方もできる。
今回の地震が無く募金が無かったら夕飯がほんの少し豪華になって、募金で使っていたお金が八百屋さんか肉屋さんの懐に入っていたのかもしれない。逆に募金をしたことで彼らの売り上げは落ち、状況次第では買えたはずのものが買えなかったりサービスを受けられなかったりということが起こっているかもしれない。
彼らの懐に入っていたら彼らの生活がまたほんの少し良くなって、という感じでお金を使うことが回りまわって誰かの生活を助けているという社会構造からみると「被災地がピンチ!とにかく募金!」という行為が本当に正しいかどうかはよく考える必要があると思う。
募金で~円集まりました!ありがとうございました!ってやっている裏で損をしている業界があるのかもしれない。
預金から出しているだけだとしても、回りまわって自分が使うであろうリソースを蒸発させているだけのように思う。
実のところ自分は共同募〇会に近しい業務をしている団体職員だが現行の募金システムには疑問を感じている。
困っている方の支援や被災された方の話を聞いたりしたが、募金は社会システム上困っている人を助ける行為は無くてはならないもので、そしてその助ける行為の中で一番合理的で喜ばれるのはかさばらず臨機応変に使い分けられるお金渡しというのは間違いない。純粋な善意で募金してくださる方には頭が下がるし、募金をすることで善行を積んだ気分を買うのが好きな方も困窮者は助かるのでやらない善よりやる偽善という言葉の通りぜひ続けて募金いただきたい。
しかし募金というシステムが始まった昔とは違い今はデジタル化が進み、リソースの交換や変換のされ方が自由になっていると感じている。
救世軍のころから続く街頭募金や戸口募金みたいな善意や社会的同調に基づく徴収をして様々な団体を通して当事者へ渡す形より、直接的に困窮者へ届ける形がもっと広がるといいと思う。