その先輩は本当に立派な人で、自分をはじめとした若手社員みんなが日商簿記の資格を取れるように、終業後に簿記の勉強会を講師として何回か開いてくれました。自分はもうその会社にいませんし、先輩に感謝の気持ちを伝える機会を逃してしまいましたが、このことは今でも忘れていません。
あのディルレうんちゃらで大騒ぎして犯人を社会的に抹殺まで追い込んだのに、何年も経ってからそれを大幅に上回る猫虐殺魔が登場するんだから、「繰り返してはいけない悲劇」は実のところ「越えるべき一線」になっているのではなかろうか
わざわざ首を切って声を出さないように工夫して、自分が入る風呂を血まみれにしてまで猫を殺した自分の逮捕後、
悲鳴をあえて聞くために死ぬまで熱湯かけ続けて猫を殺す動画を十本近く上げる人間が登場するなど、ディルレなんちゃらは想像できただろうか
思えば、昔殺人フィルムがあるないで大騒ぎしてたのに今やちょっとぐぐるだけで簡単に生きたまま人間の四肢を切断して殺す動画を見られるし、それが当たり前にさえなってるし
慣れってのは恐ろしいな
いつだったか、ぶつかりおじさんというのが話題になったけれど、
というか、わざとぶつかってくるのはおばさんだけでおじさんにぶつかられたことはない
たぶん背が低いからなめられてるんだろうな
おばさんと言っても20~30代ぽい若めのおばさんが多い事
私は自己肯定感が低い。
自信もない。
これまでに彼女はいたし、告った数と告られた数は後者のほうが多い。
童貞でもない。
しかしそれは私がモテたからではなくて、自信がなく拒絶されて傷つくのがこわくて手をこまねいている間にたまたま偶然運がよかっただけのことである。
その証拠に、30歳をすぎてからはそのような偶発的なことは一切なくなった。
所詮は学生時代や20代の若さがあってのみ成り立つものであったにすぎない。
30歳をすぎてから何もしていなかったわけではなく、いわゆる「自分磨き」的なことでできそうなことは現在も続けている。
が、一向に自己肯定感も男としての自信も高まりそうな気配がない。
過去よりも体力も筋力も経済力も仕事力も人間力も高まったはずなのに、自己肯定感と男としての自信だけは高まらないのだ。
それを何とかして埋めようと、月に1回程度「夜のお店」に行くが、いくら褒められても持ち上げられても、自己肯定感も男としての自信も満たされた気にならない。
それどころか、接客業としての癖か、相手の言動の真意を探ろうとしてしまう。
これは例を挙げたほうが早い。
「落ち着きがない→フットワークが軽い、好奇心旺盛」「マザコン→母親想い」などと、否定的な言葉を肯定的な表現に置き換えて発することがある。
これを逆算的に捉え、いくら肯定的な褒め言葉を並べられても、「真意は○○なんだな」と否定的な解釈をしてしまう。
(まあそもそもがそういう「商売」なのだからしかたないのだが)
そしてこのような卑屈な発想になってしまうのもまた、自己肯定感の低さゆえなのだ。
過去、夜のお店でのことではないが、相手の肯定的な言動を信じて好意を示したら、結果単なる私の勘違いだったという出来事があり、非常に恥ずかしい思いをした経験がある。
恥ずかしいだけで済んでいれば大きな傷にはならなかったが、あろうことかこの相手はそんな私のことを罵倒してきたのだ。
自分もまた私を勘違いさせるような言動を狙って行っておきながら、その落ち度は棚に上げて勘違いした私だけが一方的に悪であると罵ってきたのである。
この出来事は私の心に大きな傷を残した。
大袈裟な話ではなく、この時点から自己肯定感も男としての自信も失ってしまったのかもしれない。
もっとも、このような過去の苦い経験にいつまでも縛られていつまでも前を向けないのも、自己肯定感の低さゆえなのだ。
かくして、今私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻したいと躍起になっている。
視野狭窄にもなっているのだろうか、自分1人で考えた結果、男としての自信を取り戻すためには、過去やろうとして失敗し苦い思い出となってしまった「狙った女を狙い通りに落とす(←落とす、ってのは表現がアレだがわかりやすいかと)」という「成功体験」をすることでしか回復できないと考えている。
心理学的には、この成功体験は「代償行為」によって疑似的に満たすことでも心の変化があるといわれているようだけど、こういうことの代償ったってねぇ。
横だが、会社に堀北真希似の女子がいたのだが、先輩(男)の業務上の指示にいちいち噛み付いてて先輩大変そうだったから、彼女をかわいいとは思えなくなったし、次第に堀北真希をかわいいとは思えなくなってしまった。
このツイートがバズっていました。
結婚して12年。
「夫婦喧嘩を穏便に収めるにはどうすればいいのか?」を考え続け、リクルート出身の私としては「お前はどうしたいの?」と自らに問い続け、昨晩結論に至りました。
業務フロー図としてまとめましたので、お納め下さい。 pic.twitter.com/tg2bbwB6Xz— 浅井敏宏 (@chiro8) February 14, 2019
これは、自身の経験を夫婦喧嘩すべてに一般化しようとしていてジェンダーを固定化しかねないのでよくはありませんが、自分もこの気持ちがわからなくはありません。
というか今困っています。
妻がたまに、自分が原因なことも多いとはいえ、ささいなことで怒りが爆発してつらいのです。
たとえば、食事中、妻がふと席を外したときに本を読んでいて、戻ってきても読んでいたままでいてしまったとき。
伝えていたよりも帰宅が遅くなってしまったとき。妻が車を運転しているときにうつらうつらしてしまったとき。
あるいは、妻が職場やなにかへの愚痴や怒りを延々と続けているときに、一緒にいてつらくなって自分が聞き流したりしてしまったとき。
どれも自分が原因だしよくないことではあるけれど、ちょっと注意してくれたらすぐ直すのにいきなり怒りが高まっているようで面罵され、自分も、ついつい反論してますます火に油を注いでしまっています。
相手は、翌日にはけろっとしていることが多いけれど、自分は怒りを浴びた後、自己嫌悪とかもろもろで気分が沈むのが続いて、それがまた妻の気に障ってしまいがち。
これがずっとつづくならもうやっていけないな、とは思うのだけれど、相手はまた1-2日たつと、一転してキスをせがんだり、ぺたぺた甘えてくる。
そして自分もそれでいいかとあったことを忘れて、受け入れてしまう。そしてまたときたま怒りが爆発する。
このままではよくない気がしている。どうしたらいいんだろう?
月一くらいの頻度だし、ホルモンバランスが原因かもしれません。
アンガーマネジメントなのか、瞑想などの平静さを保つ心の持ちようなのか、あるいは相手が怒ったときにそれを受け流す術などかもしれませんが、なにかがあればはてな諸賢のみなさまにヒントをいただけないでしょうか。
結婚して1年。夫婦ともフルタイム勤務。子どもなし。妻は5歳ほど年上です。
家事分担はぼちぼち。料理の6割くらい・洗い物・ゴミ捨て・掃除(水回り・ルンバのほこりとり)などは自分が7割くらいやっているつもり。
買い物とか雑事は妻がいろいろやってくれています。
忙しさは、同じくらい、2人とも残業月60時間は超えていそう。
自分のことをこれだけ愛してくれるのは妻だけだし、妻を幸せにするのに自分より向いている男はいないとも思うので、別れるはない、と思っています。