帰宅途中、交番の前の信号で警官に呼び止められる。自転車登録の確認をしたい、とのことで、特に急ぐ必要もないから応じた。今は防犯なんとか期間らしい。警察も大変である。
善良な一市民として警察のこうした活動にはなるべく協力することにしている。今までの経験からしてすぐに終わるはずだ。しかし、信号が二、三回変わってもなかなか確認が始まらない。警官は2人いて、一人はしきりにトランシーバーを聞き、もう一人は後ろに立っている。トランシーバーからは自転車の登録番号らしき記号が聞こえてくる。恐らく別なところの確認がつかえているのだろう。とうとうしびれを切らして、また少し好奇心もあって、「こんなに時間がかかるようならもう行きます」と告げて歩き出してみた。当然警官は引き留めようとしてくる。私は「任意ですよね?」と言って再び進もうとするが、一人は「いや任意ですけど…」と説得を試み、もう一人は前に立ちふさがってきたのでやむなく停止した。気付けば2人体制だったのが3人に増えている。どうしても防犯登録確認をしたいらしく、「すみません、端末ですぐ確認できますから」とポケットからスマートフォンを取り出す。「すぐできるなら最初からそれでやってよ」と愚痴ると、「あれ(トランシーバー)のほうが正確なので……」と言い訳をする。警官のスマートフォンを覗き込むと、安っぽいUIをしたアプリに番号を入力している。こうしてようやく防犯登録確認が終わった。
一旦拒否して歩き出したところを数人がかりで止められたことに全く不満がないわけでもないが、これは仕方がないことだと思っている。この程度の引き留めなら適法であることは知っているし、仮にこの程度のものも許されないなら警察もやっていけないだろう。ただ、確認方法は腑に落ちない。この時代にもなっていちいちトランシーバーで確認しているのはどうなのか。トランシーバーのほうが正確、という警官の弁明もとても信じられたものではない。本当だとしてもその手法に頼り続けるのはシステム整備の怠慢と言わざるを得ない。こういうところで市民の信頼を失っていると思うのだが……。
なんかそれとは違う気がするんだよなあ
日本でやるような数学の問題って問題のための問題って感じがする
まさにつまんないテトリスって言うか
薬は余計症状が悪くなるだけ
何しててもダルくてしんどかった
言われるまま病院に行き言われるまま薬を飲んでたけど何も変わらない何もよくならない
カウンセラーも一緒
こんな赤の他人に何を話したって相槌打ってくれるだけで意味なんてないとずっと感じていた
20代後半にまた体調が悪くなり薬を飲んだ瞬間に10代の頃の地獄を思い出した
このままこんなものを飲んでいてはいけない、また人生がダメになると思った
環境を変えた
今はろくに働いてもないけど
うちの親は精神をやられた子供に対して病院へ連れて行くという対処しか出来なかった
意味ない
そこがすごく不思議なんだよなぁ。。。
保育士では子供がもてませんとか不平不満をいいつつ、保育士を続けるその感覚がさっぱりわからない。
自らの鎖の自慢を始める奴隷のような生き物なんだろうか。
博士の待遇、実はあんまり悪くない、というかむしろ良いと思うんだけどどうなんだろう。。。
アカデミックに残れば微妙だけど夢を負う職業にしてはそれなりにリスクも少ないし。
とりあえず、広義の物質科学や情報科学とか統計をツールとして使う分野(有り体に言えば理系なら)
国内でも外資選べば新卒 700 万くらいは選べばある訳なんですよね。
リスクもアカより更に低いし、英語にしたってアカで生きれる人ならまぁ余裕な訳です。
たぶん博士卒が安易にアカに残らずに、民間に流れることによってアカも色々変わってくると思うのよ。
その潮流を作れるかどうかは、今の我々にかかっているのではないでしょうかね。
2000年代後半に自分は、2chのヲチ板をよく覗いていたし、コピペブログも巡回していた。2chの差別意識の強さにはうんざりだったが、他人を貶める空気は居心地がよかった。
Hagexは、2chまとめサイトにしては珍しく、嫌韓ではなかった。それに、ほっこりブロガーを揶揄しているようで、女そのものを叩いているわけではないようだった。炎上案件のまとめにしても、すすんで対象にガソリンをぶちまけていくスタイルは、片手間にはできないだろうと面白く眺めていた。
学校を中退して引きこもっていた時代にネトウヨにならなかったのは、もしかしたらhagexの読者だったからかもしれない。なんやかんや仕事が決まって働きだしてからは、本日の一曲や映画や本のレビューも楽しみになった。hagexがきっかけでオーディションも観た。
自分にとってhagexはただのウェブ上のコンテンツに過ぎない。過ぎなかった。けれど、もう二度と彼のゲスゲスゲスという呟きを目にすることはない。人間の悪意や嫉妬や自尊心や虚栄心をつつく遊びは下等であると、わかっているからこその視点があったと思う。今はただ悲しい。