増田です。いろいろなWebサイトを流し見て「いいんじゃないのー」と一人呟くことが多くなりました。
ところで、既にもう2年以上も前の話になりますが『Googleリーダー』が終了したことでRSSも終焉の道に向かったとみるむきがあるようです。
GoogleとしてはHomeページの"I'm Feeling Lucky"ボタンにあるように情報をダイレクトに利用者に提供することを社是としていたのですが、なぜかサイトと利用者を直接結ぶRSSはお気に召さなかったようで、これはもう利益にならないことはしないとのジョブスからのアドバイスを受けたセルゲイの思い切りが見えます。
小学6年生のときに毎朝一緒に通学してたサッカー部の男の子が居た。色黒で背が小さくて目が大きくてクラスの中心人物だった。俺は当時からゲイやらBLやらの世界に興味津々だったのだが、彼と毎朝話すうちに、もしかしたら俺もそっちのケがあるのかも、と思い始めた。しばらくしてのち、俺は彼のことを考えながらオナニーをするようになった。正直、自分がそっちの人間であると受け入れるのは抵抗があった。まずは母親に相談した。すると、お前は女の子からもてないから、男の子で気を紛らわそうとしてるんだろう、と言われた。12歳の俺でも、流石にこの言葉にはがっかりした。これはダメだと思い、クラスの担任に相談したら、相手が誰であろうと思いやりを持つことだよ、と言われた。これにはなるほど、と感心し、しかし彼には何も言うことがないまま、小学校での生活が終わった。
中学生のときは女の子が普通に好きになった。2回恋をしたが、2回失敗した。2回失敗して、女はクソだな、と思った。本当は自分が一番クソなのだが。
高校は男子校に入った。勿論周りは男だらけで、クラスメイトや部活の友人は文化祭で彼女作りてーな、とか、この間TwitterのDMであの娘のLINE聞いちゃった、みたいな話で盛り上がるのはまあ当然、でやっぱり俺はこの男に囲まれる状況に満足してしまった。バドミントン部の同級生、口を利いたこともない他クラスのサッカー部、自涜の材料を挙げれば枚挙に暇がない。特にバドミントン部の同級生は身体は比較的大きく、しかし童顔で声が高く、今ではあまり使わない言葉を使えば「紅顔の美少年」という言葉が相応しい見た目だった。彼と一緒に帰ることが出来た日なんかは気が狂いそうなぐらい嬉しかった。しかし、林間学校の宿泊先で彼と同じ部屋になりすっかり有頂天だった俺は散々彼に絡んでいたのだが、当時俺は「それ」のケがあるんだよねとネタ半分に吹聴していたのもあってか旅行の前日に「キスとかしないでね、本当に」とわざわざ個人LINEが来た。キスはおろか、過度なスキンシップは避けていたつもりだったが、やはり疚しい気持ちというのはそれとなく出ているのかもしれない。俺は深く反省すると共に、俺はネタでああいうことを言っているのであって真面目ではないよ、と、彼を安心させようと思う故の姑息な嘘をついた。12歳のときに両親に言われたことを殆ど同じように自分に言ってるじゃないか、という気分にもなった。また、同性から寄せられる性的好意の目はこんなに嫌悪されるのか、ということも学んだ。
そのうち部活で後輩が出来た。後輩は素直だし、何より見た目がドンピシャだった。とはいえ少し幼過ぎたので、最初はなんとも思っていなかったのだが、諸事情で1対1で面倒を見たりしていると単に後輩をかわいがるとかそういう感じでもなくなってくる。俺を信頼し慕ってくれている。根がどうにもアホなので人の態度をすぐ信じてしまうのだが、割とあっさり彼のことを本当に好きになってしまった。同級生はついぞそういうリスペクトの交換みたいなものはないし、そうなると承認欲求オバケである俺は後輩に自分のプライドとかアイデンティティを思い切り仮託して、それを受け止めてくれていると錯覚することによって好きになっている気がする。あと、女子に2回無碍にされたり母親に心ないことを言われたりしたせいなのかそうでないのか、ともかく俺は女が嫌いになっていた。全ての女はアホだと思うようになっていた。事実関係として女がアホかどうかは別として、というかそんなことは俺からすればどうでもよいのだが、ともかく俺の目からはそういう風に世界が映るようになってしまったということだ。しかしそのように自分のことを輪切りにしてみたつもりになってもどうにも授業中や部活をやっている最中も彼のことは頭を離れてくれなかった。なんとしてでも彼をどうにかしたい、だがどうにもならない。挙げ句の果てに俺は彼女の一人も居たことがなく告白のコの字とも縁がなかった、要するに全くもてない男だし、女に好かれようともしない男をどうして女が好きで当たり前の男がまかり間違って好きになることが出来るだろうか?ふと、林間学校前日に同級生から届いたLINEが頭を過る。男が男に好かれるのは、そんなに身の毛のよだつことなのか。そういえば俺の好きな後輩も「最近、○○先輩(俺)が僕を見るときの目と他の後輩を見るときの目が違う気がする」と同期に漏らしていたらしい(林間学校の件で学んだ俺はセクハラじみたことをできるだけしないように気をつけているつもりだった)。でも、それでも俺は君のことを心から愛しているんだ。例え気持ち悪がられたって構わないじゃないか、とヒロイズムに浸ってみれば、見た目へのコンプレックスが俺のヒロイズムをバカじゃねえの、身の程をわきまえろこのクソが、と蔑み、そしてそのように卑屈になって自己憐憫に陶酔している自分をバカにする視点があって、さらにその視点は…と、俺の劣等感と後輩への歪み切った愛情は無限後退を繰り返す。でも俺は本当に彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。どうにかして彼とどうにかなりたい。
俺は来年の4月で大学生になる。青すぎると笑いたければ笑って欲しい。でも俺はこの増田という場で恥部を文章にすることでしか自分を慰めることができない。好きな男の子のことを考えながらチンポを握るのってめちゃくちゃ虚しくて悲しくなってくるからな。この文章は俺が最高に気持ちよくなれるオナニーだ。皆、俺のオナニーを見てくれ。
意思を持った人間なら、利害判断をして行動するし、嘘だってつくし、嫌いなことは嫌いだと表明するし、身の危険を感じたらこちらを攻撃してくることもある。
一方、二次元キャラは存在の根底がポルノだ。意思を持っておらず、ただただオタクに都合の良い振る舞いのみをする機械。
だから、二次元キャラが心地よさを与える存在としての強度が高いのは当たり前。
何かっていうと、単に私が、正常な意思を持った人間の正常な行動に耐えられないくらいに弱いってだけのことだ。
人間怖い!
鮮魚コーナーのところにポップで
(……ひとでかよ)
「くっくっくっ」と一人でひき笑いを起こしたら、
逃げるようにその場を去った。
しかも、先にカゴに入れていた「すだち」をすっかり忘れてしまい、
おかげで今晩はすだち祭だった。
スーパーで閉店間際に店員に惣菜に値下げシールを貼れと言いに行く人がいる。
そして店員に
「まだこれは貼れないんですよ。」
と言われると、
「なんだよ、あっちは貼ってあるだろ。これも貼れよ、どうせ売れないぞ。」
と怒っている。
おかんに甘えられんかったら誰に甘えたらええねん
中二病、とはよくいったもんで当時は自殺願望がむくむくと膨れ上がった時があった。
いじめとか、勉強とか具体的なことはなにもないのに死のうと思った。
死にたい、よりも死んだら回りの人間が自分のことをどう思うんだろうということに興味があった。死にたいではない。自分がどう思われているか確かめたかったに過ぎない。
さすがに死のうと思ったわけでもないし計画したわけでもない。
ふと、ああ死のうと思った。
明日俺が死んでもなにも起きない。
子供にとって「他人からの否定」って大人にとっての「他人からの無関心」と同意なんではないかな。
子供が自殺するたびに、やれ親の責任だ学校の管理だ犯罪だなんだって騒ぎ立てるけど、いや、こんな軋轢の中で生きるのは大人だって辛いんだ。
誉めてやれ。