はてなキーワード: ホテル・ルワンダとは
映画『ブリスター』で、山崎裕太*4演じるモデラー・ハサモトが
「フィギュアは美しくて当然なんだ。人間が理想と思う記号を集めた塊だからな!」
と言うシーンがありますが、言いえて妙。「萌え」るキャラクタというのは、まさにその記号の塊ですし最も最適化された作品だと思います。レースという目的だけに特化したF1マシンとか、人間に勝つという目的だけのためにスーパーコンピュータを40台くらい接続したチェスマシン*5のように組み上げられたのがああいうキャラなんだろうなと。
で、「萌え」キャラの出てくる作品というのは、その理想と思う記号が映えるように、そしてその映えた記号の集合体に想いをはせるために(これが「萌え」という感情ですか?)設計されるわけですよね。これがまた曲者なんですよ。もしかしたら、記号より、こっちのほうが本質ではないかと。「萌え」の。
まぁ、どこにも存在しない思春期なんですよね、選ばれるのが。ああ、こういうのあったなぁって感じるノスタルジーではないんですよね、そこに見出せるのは。実際の自分たちの経験してきた思春期は、はっきりいうと灰色だったんですから。どうでもいい日常だったはずです。さっさと終われ!みたいな(苦笑)自分とは違う連中は青春を謳歌してるに違いない!女の子とも遊んでどっか行って・・・みたいなルサンチマンを抱えていたはずです。たしかに一部の学生はそういう日常を送っていたのかもしれませんが、ほとんどの学生は似たり寄ったりの青春だったはずですよ。どんよりとした灰色の。『ナポレオン・ダイナマイト』みたいな感じの(笑)私も例外はありませんでしたしいまとかもあんまり変わりませんから(苦笑)
「萌え」作品を何本か観たら、キャラよりもこっちが気になりましたね。なんだか、あの灰色の日々だった頃にこうだったら最高だったのにな、という要素をすべて描いてるな~と。ボケ~っと授業中に窓の外眺めてるようなときに妄想したような。視線の先が女子の体育の授業だったりするんですけどね(笑)ぶっちゃけて言うと、彼女作ったり、Hしたり、女の子とバカみたいに遊びたかった、ってところでしょ?その妄想を元に再現したらこうなった、みたいな感じですかね。リュック・ベッソンがその思春期の妄想を元に作った『フィフス・エレメント』みたいなもんというか。ちなみにフツーの思春期男子の妄想なんかそのまま再現したら確実に『学園ソドム』になるか『ホテル・ルワンダ』みたいになるかのどっちかでしょうからね。確実に捕まります(苦笑)
横だけど。
その異常性は本人に由来するものなのか、環境に由来するものなのかって議論はあり得るんじゃない?
後者を重視する立場なら、「誰でも、それなりの環境にそれなりの時間置かれれば、異常犯罪を犯し得る。圧倒的多数の人が凶悪犯罪を犯さないのは、「それなりの環境」に置かれることが滅多に無いから」ってことになるでしょう。
私は両方あると思うけどね。100%環境のせいではない(異常性、凶悪性を外に出しやすい素質はあるだろう)けど、だからといって本人に全くその素質が無い(どんな環境に置かれても異常な犯罪を犯すことは決してない)という人もそんなに居ないと思う。それまで普通に混ざって社会生活を送っていた人たちがいきなり殺し合うようになることだってこの世にはあるんだし (『ホテル・ルワンダ』観た?)---それは極端な例だと言うかもしれないけれど、連続するスペクトルの一端じゃないかな。そこまで極端でなくても、現代の日本社会でだって個人のレベルで追い詰められる人はいるわけだ。
ホテル・ルワンダを見た後に感じた憤りはいつのまにか忘れていた。
シティー・オブ・ゴッドを見た時には、自分の送っている生活とはあまりにもかけ離れた環境はあまりにも非現実的に思えた。
イタリア旅行したときに見たアドリア海の向こうにはユーゴスラビアがあって、テレビの中で見た空爆が少し現実味を帯びたけど、それも結局はそれだけ。
雪山を越える人々が狙撃される映像を見たときも僕には何もできなかった。
今回の事も、半年後にはまた忘れるだろう。そしてまたふとしたときに思い出して、無力感を感じるんだろう。
もちろんこれは僕の戦いではなくて、彼らのものだから誰かが、砂漠好きの某超大国のように直接的行動にでるのはお門違いだ。
先日飲みの席で中国人女性になじられた。60年前の祖父の世代の蛮行で。
でも彼女は知っているのだろうか?過去形ではなく現在進行形で彼女の世代がそれを行っていることを。
無知は知でなく、罪だ.