はてなキーワード: セクシャリティとは
http://anond.hatelabo.jp/20111231182558
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111231182558
2012年になってしまったけど、わだかまりが残ってると気持ち悪いから追記しておく。
crowserpent こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…。
crowserpent 私自身が当の「はてなの非モテ論者」だから、「慰撫を期待して裏切られた」という文句には私のことも入ってるのかもしれない。まぁ「慰撫を期待されても困る」と言えばそれまでなんだけど。
crowserpent ただ、この人に考えて欲しいのは、そうやって「男性の内面を断罪」している(ように見える)人たちが、この人と同じように、いじめや侮辱や偏見に晒されてきたかも知れないってことなのね。
crowserpent 「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。
<こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…>
繋がりません。
crowserpent氏がこの回路を用いてミソジニーを形成しただけで、自分にはミソジニーは無い。
ミソジニーが形成されるには、イジメで傷ついた自己の弱さを、マチョイズムによる強さの誇示によって補填するために、女性への支配欲や蔑視を強化する回路を用いる必要があるけども、自分は傷ついた弱さを弱さそのものとして受容して欲しいと願う感情が優位だったから、マチョイズムの対極にあって、ミソジニーは形成されなかった。あと、元増田記事にも書いたが、俺は巨大な散弾銃で属性を撃ちぬく行為が嫌いだ。憎悪を抱くなら憎悪の対象を流れ弾が無いように限定して撃ち抜きたい。
<「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。>
これは、「あなたは自らを被害者だと思いつつも、一方では女性に対しては支配欲の発露や性的モノ扱いを行う加害者でありミソジニストである…その事に気づいてみたらどうでしょう」といった『当て付け』を意味するコメントだろ。
イジメでの傷を受容してくれるなら、男性でも構わなかったし、直接的な人間同士の関わりよりは遥かに代償的になるけども『社会的メッセージ』でも構わなかったと明記している。つまり、実際の所、自分の内面にあった欲求は、誰か、あるいは社会的に弱さを受容して貰うことで、傷ついた尊厳の回復することであって、それは女性に対する支配欲の達成では回復されないものだった。
それに『この人を見て、この人と同じように』などと指摘されるまでもなく、自分と同じような立場にある人が女性に限らずいることは理解している。
というより、男/女に限らず居るだろ。小学生時代に『キモイ』とイジメられた、その後思春期に入り性別異和を抱いた、でも自分キモイという意識があって性的な自己表現が困難で生きるのが苦しい、だとか、そういった更に拗れてる人間も、おそらく存在するはずだ。『キモイ』とイジメられると、自らを恋愛などに繋がるセクシャリティの自己表現をすることが許されない、『性的無価値者』と規定してしまう意識が生まれる。ジェンダー規範に従えば、性的無価値を金銭などで補填し女性に対する支配欲で解決できる喪男より、価値を男性に見出してもらう事が必要な喪女のが苦しいだろうことは理解できるし、ジェンダー規範に自らの性的価値で立ち向かっていかなければならない『LGBTのT』は更に圧倒的に深刻だと推測できる。
性別異和とまでは至らずとも、肉体的性別と精神的性別の配分は別物だし、そのような個人の持つ絶妙さを全て一蹴して黒く塗り潰すのが『キモイ』という言葉であって、どや顔で『女性にも居るんですよ?』だとか、どれだけ下らない指摘をしているんだと思う。
従って、この全く的はずれな『当て付け』は、私の内面を精査して構成されたというよりも、むしろ、単純な恋愛社会とジェンダー規範に沿って構成されたと見える。
あるいは、crowserpent氏が、元増田記事を鏡としてcrowserpent氏の内面を発見してしまったわけですね。
他者の内面を断罪したがる人は、自分の内面を他者に見出してるだけだ。
だいたい、『ただ、この人に考えて欲しいのは…』この文面は『私も以前こう考えていましたが…』と書き連ねても、同じ意図は表明できたはず。
自分の元増田記事の主な意図のひとつは『勝手に人の内面に過失を見出すのはやめてくれ』という内容だった。『散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達がいた』と書いたけども、その記事へのコメントで、まさに直接に内面を断罪する銃で撃たれたのは酷い。さすがはてなだと思った。
crowserpent氏のようにはてなの論者は、自省の形式を取ることで自らを無敵化しつつ、『自省』を『他者』に押し付けて、内面の悪を『発見させる』論法を用いるから、極めて邪悪だ。
本当はTwitterでreplyすりゃいいんだけど、仲間内利用アカウントのみで、NaokiTakahashi氏と隣接するようなアカウントを持ってないので。
増田に書いとけば、そのうち氏のエゴサーチに引っかかりそうなのでココに書く。
ぶっちゃけ、日本(ということは全世界)の「シナリオライター」で現行の「オタク・二次元文化」に専門的に詳しく「ラディカル・フェミニズム」や「ジェンダー論」「セクシャルマイノリティ論」にも高度に詳しいのはこの人だと思う。
つまりNaokiTakahashi氏に一度でいいから「セクマイもの」のエロゲシナリオを書いて欲しいんですよ!!
ラディフェミやジェンダー論やセクマイ論がこっそり絡んでるような「セクマイもの」のエロゲ。
まあ商業ライターだし、これは売れないだろうなあ・・・採算取れないだろうなあ・・・とは思うんだけど。無理強いですね。まあネットに書くだけならタダなので。…市場需要を発信したく思いまして。
ヘテロ・ゲイ・バイ、性自認男、女、中性、色々あるけど、セクマイの中でもマイノリティな存在があるわけです。
肉体は男で、性自認的には男は余り好かない、MtFは違う、本当は中性的なのがよかったけど、でも現実には男だから男に適合しないといけない、ゲイにもなれずバイとも言い難い、じゃあヘテロかと言うと当然違う、恋愛が理解できなくて無性愛に近いけど性欲はわりと強い…
自分みたいなどこの枠にも嵌りづらいタイプで草食系だと、LGBTコミュニティの多数派にも適合しづらいし…
Twitterやはてなのおやさしくて良識的なインテリは勘違いしてそうだけど、ガチのセクマイの中でもマイノリティだと「二次元文化」とやけに相性がいいんです。なぜなら、現実の肉体・社会と精神面がズレ過ぎで、紙の上に描かれた想像のポルノが一番「自分の性」に適合してる気がしてくるから。日本の二次元ポルノは世界一多様なので。オタクは女性差別的って言ってる人は、メジャーなヘテロ用のポルノしか見てないと思う。でもメジャーな大通りがあるからこそ、マイナーなセクマイポルノも生存できるんだし。色々とズレるけど即売会だとふぁーすととか(でもケモノクラスタのセクマイ率高いよね)。ヘテロが嫌いだからって規制されたらセクマイも死ぬから困る。
「セクマイ」といったって、みんながみんな「セクマイ論者」で、あるいは「フェミニズムやジェンダー論」大好きだったりするわけじゃあないし。
セクマイ論者はあくまで「イデオロギー的に結託したセクマイの集合」。だと思う。
もちろん、彼らが結託して社会的に闘ってくれてるおかげで、自分みたいな弱小一般人のLGBTが制度的に楽できていられるのはわかるんだけども。
フェミニズムの語る「男は暴力性や支配欲がある」が大嫌いです。自分にはそんなものはない。
攻撃性が変に内側に向かってるし、性的には被虐欲強いとか言うアレ。でも実際に暴力は振られたくないですね。ただ「そういった作品」を読むのは好み。
はてなやツイッターとかでオタコンテンツを「ヘテロの暴力性丸出し」とか言ってる人も嫌い。
「人間の性」は、とくに「性表現」は、社会的に統制していいものじゃあないと思う。
作品が暴力性をまとっていたとしても、読んだ人間がどう受け取るか、人の数だけ多様なので。
ラディ・フェミの語る誰得論を知ったせいで、変に自分の性が拗れたんだけどー、まあ要はインプットが自己責任だしな。
つまり何が言いたいかというと、一般社会の男の枠組みの中で育ってはじめから拗れてる上に、実はヘテロ男ではないことに思春期に気付いちゃって、ゲイかと思ってたら違って、あれ性自認も男じゃなくね?って気付いちゃって、その上更にラディ・フェミの男に対する暴力性を内面化しちゃって、攻撃性や支配欲は内向きに拗れてて、もう色々とセクシャリティがメビウスの輪状態なんですよ自分。
どーすりゃいいわけ?これ。ほんと。でもこれ、陵辱系エロゲの素材としてウケると思う、主に自分に(←これが言いたかった)
それに、はてなとかTwitterで「どや顔でフェミニズム語ってる男」「女性の守護者ぶってる男」「セクマイに理解ありますな人」って脂ぎった肉食系中高年男性が多すぎだと思う。バブル世代あたりの。
なんか認識がすごい古いし、セクマイ理解のためにBLを嗜んで、したり顔してそう。
ああいう人達は自分が男尊女卑だからこそ、他人の中に「女性に対する暴力性・支配欲」が見えちゃってるんじゃないかと常々思ってます。
敵の論を学んで論戦とかしてた高橋先生なら「ラディフェミ」「ジェンダー論」「セクマイ論」を絡めた、主人公がセクマイの(できれば性自認は男でも女でもないほうがいいなー、ホモルートにもヘテロルートにも男の娘ルートにもいけるし)ドロドロの陵辱系エロゲーを書いてくれそうなんだけど・・・純愛でもいいです。どっちも好きだし。
まあこれって商業的じゃないよね。
表現の自由、こればかりは、僕は何があっても否定される訳にはいかないものだ、と思っている、だって、こう僕が言うことも否定されてしまうから。
それは身近な例で、たとえば人殺しという表現について規制されてしまえば、現実に人殺しが在るのに人殺しという表現は無くなってしまう。
醜いものが在った時、見て見ぬフリし、聞いて聞かぬフリし、考えて考えぬフリし、思って思わぬフリするかの如くである。
どうなるか?人殺しについて学ぶ機会すら規制されてしまう、ということだ。
愚、とは間違いの歴史の集積である。何も無かった空間で人が不利益を被ってきて、そういう失敗を成功によって打ち勝つために育ててきた定義たちだ。
愚、という価値観について人は大いに学べばいいと思う。なのに、人殺し、という重大な愚に対して考える機会を奪ってしまうのか?
考える機会がなければ、人は愚に対して準備ができなくなる。
無知であれば無理解となり、無理解であれば人はどうするかわからない、どうしていいかわからない。
そうすれば、曇った思索の中で殺人を犯してしまうかもしれない、この可能性を少しでも積極的に減らそう、とその目的を果たすために人は愚を定義してきたのだ。
愚を表現し、表現された愚を知り、理解し、学ぶこと。これは果たして愚か?間違いか?
そうは思わない。人が最大限の悲しみを払って血を流し、受け継いできた愚を消そうとすること、これは相当な愚であると思う、人殺しとどちらが程度の酷い愚か、それはまた別に考える機会を設けるとしてもだ。
何であれ、表現の自由は何処までも許された方がいいものだ、と思っている。
でも、表現をするにしても、TPOくらいをわきまえた表現の実現は必要。だって、名誉棄損は名誉棄損だ。
ん?待てよ?
表現の有無、既存の表現を消せ、という話ではないか、規制し有罪となる表現の枠を考えよう、という話か。
だから、だとして、実生活と相関のない架空のものを描いた表現は無罪で、実生活と相関のある表現は時に有罪となるのだ、と思う。
だいたい、実生活を営むのは人だ、だから法は人の不利益に関するものが多いはずだ、人の肉体を傷付けたいだとか、人のお金を盗んだりだとか。
でもまあ、不法投棄、という罪もあるが、これもよく考えれば人が不利益を被る可能性がある。
なら、実生活と関連しない空想上の表現、これは人に不利益をもたらす可能性はあるだろうか。
これはもしかしたら、なかなか難しい問題なのかもしれない、さかんに議論されているのもこのためなのかもしれない。
こればかりはもうどうにもならない。
表現が好きか嫌いか、表現でどれ程好い思いをしたか、嫌な思いをしたか、このあたりに大きく関与してくる。
表現は人に好い影響も嫌な影響も与える。
殺人の不利益を学び、それを起こすまいと考える場合、そのまま殺人を犯す場合。
おそらく前者が好い影響であり、後者が嫌な影響だ。
こういう二つの場合が存在する中で、これをどう評価するか、といった問題は
知らない方がいいことがある、これに対する意見、姿勢へ繋がる。
知らないことは知らないままにしておいた方が幸福だ、間違えない、と考える人、
出来るだけ多くのものを知ろうとした方が幸福を掴める、間違えない、と考える人、これはもう個人差であり、一概にどうこう言えない。
醜い現実に対する姿勢はそれぞれだ、強いられてはいけない(ただ、生きるということに知るということは内包される気はする、そこから更に主観に基づく言及もできそうだが、またの機会だ)。
感情が理解の先に来るものと、理解が感情の先に来るものがあるように思える、前者は易しいこと、後者は難しいこと、とか一般に言う。
ふむふむと納得してから、アッ!と感情が湧いてくるものと、アッ!と声を上げてからそれを理解できるもの。
だいたい、感情が生まれるのはアッ!という間である、理解だとかそういう言葉で説明できるような何某が追い付ける暇はない。
だからだいたいの場合、感情の方が先に来るような気がするのである。
性、性交は前者である。この場合、何故、は感情の後に付けたされるものだ。
何故、そういうものに興奮するの?という問いは愚問だ、性的欲情の理由はあってないようなものだ
(先に架空表現が人に不利益をもたらす可能性についてもあってないようなものだ、と言及したのを思い出しただろうか)。
感情の存在に善悪はあるか。それはわからないが、仮に消さねばならぬ存在が悪の感情があったと仮定して、感情の生成を阻止し切ることは可能か。
だいたい不可能である。感情よりも先に言語、などという記号を脳内に流し通すことができなければ幾ら特定の感情を否定しても、生成を防げない。
セックスは感情である。その感情の生成を先に防ぐことなど到底できない。
だから、こういうセックスは悪だ、とか言ってもその感情の発露を防ぐことはできない、その実行を防ぐことができても。
だから、何とかという否定されるべきセクシャリティがあったとして、その生成を阻止することは不可能である。
人は知るものと知らないものを持っている、もっと言えばその程度は、よく知っているもの、少し知っているもの、半端に知っているもの、あまり知らないもの、など様々だ。
だとして、知らないものは知らない方がいい、のだろうか、そもそも知らないものなど消してしまえ、害悪の元凶だから罪にしてしまえ、なのか。
この辺が、表現の影響の善悪が、知らない方がいいことがある、に対する姿勢に繋がると述べた理由だ。
しかし、これはもう解釈の違いでどうとでもとれてしまうので、唯一の解決策などない。あるとして政治的に言えば民主主義のお家芸多数決だ。
結局、架空表現が有罪か無罪かに対しての答えは、すごく曖昧で、有罪でも無罪でもあり、有罪でも無罪でもない、これに尽きる。
架空表現は、人の実生活からは断絶された存在であるから、それでどれだけ好い思いしたか嫌な思いしたか、その違いによって向けられる認識も変わる(断絶されているものが認識を変えるといった矛盾がこのセンテンスには含まれてしまっているが、他にどうしても説明がつかなかったためこうした稚拙な便宜しか思い付かない)。
レイプされた人(※例えば女)は、「あんな表現(※例えばレイプポルノ)に影響された人(※例えば男)がいけないんだから、あんな表現がいけないんだわ、無くなってしまえ」と言うかもしれないし、
レイプポルノでオナニーする人(※例えば男)は、「自分たちがこういう表現で愉しんでるだけなんだから、誰にも迷惑は掛けない、掛けていない」と言うかもしれない。
しかし、全ての罪、というものには基準、法則性など無い。有罪だから有罪なのであり、無罪だから無罪なのだ、理屈など無い、多数決だ。
これの、どちらが多く存在するか、単にこれが結論だ。
今現在、地球には何億の人が居て、それで男女はそれぞれ幾ら存在して、という話よりもここは僕の話をしよう。
僕は、架空表現により傷付いた人の肩を持ち、「性暴力に繋がる表現はよせ」と主張し、
片や、架空表現により笑顔になる人の肩を持ち、「実生活に関係はない、芸術は芸術だ、表現の自由は確保されてしかるべき」と主張し、
「ならお前は賛成反対どちらだ」と聞かれれば以上のような答え方をしてくるような平和主義者、事なかれ主義者、そして自称隣人愛好家だ。
(胡散臭い隣人愛好家だ、それにしてもなんと胡散臭いことか。ほんとに隣人を愛しているのか、それで?甚だ疑問は残る、大いに疑問は残る、そしれそれらは僕の好奇心を大いに揺さぶる。扨、饒舌が過ぎた。)
男性に対して先入観が無いと言えば噓になるかもしれませんが、基本的に男性に対して女性に対する接し方と
同じように接する事しか出来ないだけです。ちなみにレズと言う訳でもないと思います。
男性に対して親身になって相談に乗ったり、バカな話もしますがどうにも恋愛感情というものが抱けないんです。
この私のセクシャリティ?無性愛?は一つの私の悩みでもありますが
この悩みに起因する出来事に対して母から責められるのがどうしようもなく辛いんです。
三十路過ぎてデキ婚がみっともないと思うか、三十路過ぎて独身の方がずっとみっともないと思うかは
個人の価値観の違いでしょう。
1話だけみた。で、マコ君という男の子がゲイと思われてかつキモがられてるのがホモフォビアらしい。
ゲイとみなしてよい客観的な基準があるのかどうか知らないが、放浪息子のwikipedeiaを見ると
修一と同じ「女の子になりたい男の子」だが、修一とは対照的に「男の人が好きだから女の子になりたい」とはっきり自覚している。
この人が何をもってそう判断したのか知らないが設定がそうなのだから具体的なカミングアウトがなくともスタッフが「そうみえるような演出」をしたのかもしれないし、もしかしたら眉毛のかき方ひとつで伝わったのかもしれない。表現とはそういうことでしょう。だから主観的にゲイ臭が出てるとみなすのは特段おかしいわけじゃない(言い方の問題はあるだろうがw)。
ただ僕の主観としては一話ではマコ君が男に気があるかはよく分からない。むしろインパクトがあるのはマコ君の「女の子っぽさ」である。しゃべり方もさることながら主人公と電話しているときにクマのぬいぐるみを抱いていたりするのは強烈だ。いわゆる「女の子らしい」とか「女の子っぽい」である。
ここで、マコ君の設定の「男の人が好きだから女の子になりたい」という箇所がひっかかる。これの隠れた前提は「男を好きになれる。または付き合えるのは女だけ」「男が男と付き合うのは駄目」ではないか。これってセクシャリティとしてのゲイの否定じゃないのか?マコ君もホモフォーブだったのか!いや、まあこれもテーマのひとつなのかもしれない。
マコ君は「健全な」社会通念によって「毒」されて、ゲイでなく、「女」になることによって贖罪されようとしているかわいそうな子なのかもしれない。これは被害者によって引き起こされる無意識のホモフォビア?。もしそのような認識がトランスジェンダーを引き起こすのであれば、トランスジェンダーとセクシャリティが無関係だということはできないだろう。(あとゲイでないが異性装をする主人公にとりんが「自分がよしのの恋愛感情をわからなくした」と言っているのも興味深い)
そういう「歪んだ」もしくは「遠回り」のゲイもゲイとみなすのであれば、「女の子っぽさ」はまさしくゲイ臭となる。今は「ゲイ」と断定できなくとも、話が進むにつれてマコ君のセクシャリティが明らかになれば「ほーら、やっぱりゲイだったじゃないか。俺の嗅覚は間違ってなかった。」となる。
となると真っ直ぐでないゲイは気持ち悪いというのは分からないでもない。もし先程述べた「毒された」というのが真実なら、彼は「ゲイから解脱しようとする犠牲者としてのゲイ」であり、逆に自らの意思でそう思っているのであればまさしく「ホモフォーブとしてのゲイ」ということになる。いずれにせよムズムズする。
だからもし、マコ君が自分のジェンダーを一切無視して、男を好きになっているような感じであれば、「キモさ」は払拭されるのかもしれないわけである。(でもそうするように彼を抑圧していいのかどうかは知らんw)
批判するに当たってあげつらうのもいいかもしれないが、ホモフォビア自体の二重構造とかトランスジェンダーとの関わりについて考えてもいいんじゃないかな。「こうこうこうだからキモいと思うんですよね?」と説明し、相手が膝を打った瞬間に問題が共有される。
俺、バイなんだけども。
友人感情と恋愛感情の違いは非常にシンプルで、ヤりたいかどうかって一点だと思うんだよね。
自分が「男には友人感情」「女には恋愛感情」って人間じゃないので、その辺の区別は逆につくつもりなんだ。
性別関係なく、ある人には恋愛感情を抱くし、ある人には友人感情を抱く。
同性もイケる俺にとっても、友人感情はあっても恋愛感情はムリって人がいるんだから
そりゃ、異性愛の人にとって同性が「友人感情はあっても恋愛感情はムリ」ってのは当たり前でしょ。
そりゃまぁ、性別っていうデカい壁はあるにしてもさ。好きな人間に恋愛感情を拒絶されるなんて、
どんな人にもあることなんだよ。それはさ、別に誰にとっても変わらない。
「バイは得しかしてねーだろ」って言われることもあるけどさ、同性に恋愛感情を抱いた時のしんどさっつーのは同じなわけで。
もっと言えば、それは異性に恋愛感情を抱いて拒絶されたのとも結局同じなわけで。
「ぼくはゲイなんだ」っていうのを、あんまり特別視し過ぎない方がいいと思う、それはフツーの恋愛でみんなが通る感情だよ。
そりゃ、「みんな」よりはしんどい面があると思うけどさ。そんな小学生じみたことをしちゃうのは、ゲイ云々でなく
恋愛をする上で未熟ってことだよ。
あと、個人的に自分のセクシャリティはさっさとカミングアウトした方が楽だし、恋愛の可能性も増えるよ。
自分が、このセクシャリティを抱えたままで幸福になる、と決めて生きていくにはそうした方がいい。
例えば、今大学生なら就職先も塾考した方がいいよ。内資の大企業、社員寮ありの転勤族とか本気で最低だから。
あのムラ社会ではホント辛い。俺自身は転職するまで数年をムダにしたけど、とにかくよく考えた方がいい。
セクシャルマイノリティであること程度では揺るがない社会的評価を勝ち取っていかないと、後々辛いよ。
逆に言えば、それさえあればホント楽。世の中、「能力さえあれば別にいいんじゃね?」「フツーでしょ?」ってとこも
まぁ、それなりにあるから。セクシャルマイノリティこそ、勉強すべきだし努力すべき。
自分をとりまく環境って一つじゃなくって、たとえば会社の仲間とか、大学のときの仲間、趣味の仲間・・・とか色々あるわけだけど、
自分をとりまくそういう異なる輪の中の人たちが、個々に混ざり合ったりするのはとても嬉しかったりするわけですよ。
でもmたとえばそれがセクシャリティーにかかわる仲間だったりして、具体的には例えば自分が同性を好きだったりするときに、
セクシャリティーなんて切っても切り離せないものだから、他の仲間達と一緒にいてもそれは自分の一部であったりするから、そこも少しずつ混ざってしまえばいいのにと思うんだけど、それが楽だと思うんだけど。
そんな簡単じゃないって思う。何だろうな。嘲笑が怖いんだろうか。
つまり、「ヤベェ性癖持った奴も、コッソリその性癖を持ち続ける自由がある」みたいな意味?
誰かに自分の性癖がバレたとしても、「あいつはアナルオナニーするぞー」と触れ回られない自由ってことか。
えーと、それって結局普通の法の範疇じゃないか?「内心の自由」だと思うわ。
その領域に辛うじて近い思想家といえば、ジュディス・バトラーかなぁと思うけど。
あれは「世界の色んなセクシャリティのみんな!自分で「変態」(クィア)という称号を名乗ることで
「変態」(クィア)の意味を無効化しちゃおうぜ!みんなクィアなのさ!」
って理論だし、そもそも性癖のようなものが内心の範疇っていうのは現代法ではむしろ常識の範囲だろうし。
その部分を今更理論付けてる思想家って、ちょっといないと思うなぁ。
そもそも、「プライバシー」って感覚が構造主義以降の思想とはあんまり馴染まないし。
むしろ、「内容が事実であっても名誉毀損が成立する」っていう辺りの普通の判例引っ張った方がいい気がする。
柳美里の判例は、「セクシャリティ」が表現の自由を打ち破ったわけじゃないしね。それはあんまり関係ない。
他人の話をそれが誰か特定できる形で出版して訴えられたら、そりゃ負けるよ。しっかし、柳美里はキチガイ過ぎてどうしようもない。
相当吟味してカミングアウトしたつもりの相手でも、過剰に動揺されたり、あなたはそんなんじゃないから大丈夫だよとなぜか励まし的な口調で言い張られたり、思春期みたいでかわいいねと笑われたり、聞いていないフリをされたり、忘れたフリをされたり、異性の良さを分からせてあげると言われたり、なぜか迫られたり、まあ、いろいろあるわけです。
そんなこんなで多少のことには慣れたアラサーのレズビアンですが、やっぱり家族へのカミングアウトにともなう緊張感だけは別格です。彼らも死ぬ覚悟で来たと思います。恥ずかしい台詞は彼らなりのせいいっぱいの盾であり矛です。
私は、ゲイの仕事仲間も沢山いるような、非常にリベラルな両親にカミングアウトするのにも10年間かかりました。両親はもちろん私のことを認めてくれましたが、同性のパートナーをもつことによる生き方の現実問題とか、あるいは私自身のセクシャリティの細かいニュアンスだとか、そういうことは、親だからといって一度にのみこんでくれるわけではないんだなあという驚きも得ることとなりました。それらは一生をかけて見せていくしかないんだろうなと思っていますし、弟さんたちも努力しなければいけないのはこれからでしょう。
何もかも即座に認めるべきとは思いません。状況からして仕打ちと考えるのも当然と思います。ただ可能なら彼らを厳しく見守り、カップルとしてきちんとしたところを見せろと叱咤し続けてあげてほしいです。
だったら言わないほうがいいよ。
セクシャリティの問題なら、今後長く付き合いを続けたいなら言ったほうが楽だろうけど
バイとか女も抱けるゲイじゃないべ? ただの男とセックスできるノンケなんだべ?
なら、もう事は済んだんだし、後からフォロー入れたら余計胡散臭くなるだけだと思う。
どうしても一言言っておきたいなら、実は挿入まで行かないけどペッティング的なことはしたことあるとか言えば。
(相手の女の子も処女で痛がって最後まではできなかったけどとかなんとか)
ウリセンしてたっていう事実そのものがどうしても後ろめたくて引っかかるなら、
それはその当時のリスクが今に回ってきたんだと思って本当のことを言えばいい。
ただ、その場合も、彼女の様子を見ながら慎重に、少しずつな。
元増田です。ただし、@酔っぱらい
男性用のそれと違いだぜん敷居と危険度が高いよなというのが実感です。
出会い系も少なからず試してきましたが。
男の人もそうだと思うけど、恋しいのは人肌。
「1度だけでいい、やらせてくれ!」と言われたら断る理由ないなぁ
男性はやはり女性には奉仕されるもの、という考えがあってこそ、のジェンダーなんですかね。
「だれでもいい!」とかは言ってもやはり個人個人の
ひとつでもの魅力ポイント、セクシャリティーありきなんだよなぁ
先週、数じゃ月前に一回はずみでやった男の子に髪撫でられて嬉しかったなぁー
おお!良かった!そう言ってもらえると、自分もほっとします。
最後から三行目を読んで、貴方が貴方だから、妹さんも打ち明けたんじゃないかと思いました。
うまく言えないけどね。セクシャリティの問題は、仲が良いだけの兄弟じゃカミングアウトできないと思う。
やっぱり貴方は良いお兄さんだ。お兄ちゃん!って呼びたくなるよw
あなたの言葉に少しホッとしました。
ありがとう。
「昨日は驚いてしまって、微妙な反応をしてしまった。すまん。
お前が幸せになれるなら、俺は応援するから」
長々としたメール書いてみたけど、踏み込みすぎて過ぎてしまうような気がして結局こんな文面にorz
コミュ下手過ぎて嫌になる。
そしたら妹から返事が来た。
(内容要約)
・軽蔑されたかと思っていた。認めてくれてありがとう
・自分のセクシャリティのせいで、兄には今後迷惑かけるかもしれない。本当にごめんなさい
迷惑なんか全然ないのに。
でも、メールを送ってみて良かった。
タイトルどおりなんだけど、なんで同性愛者を嫌がる人がいんの?
その嫌がる理由が分からん。
俺はどヘテロもヘテロで完全異性愛者だけど、同性愛者どう思う?って言われたら、嫌だとか以前にぶっちゃけどうでもいいんだけど。他人のセクシャリティとかすげぇどうでもいい。関係ないし。好きな子のそれだったらまあ気になるけどさ。仮に好きな女子が、女子が好きとかいったら俺の恋はそこでエンドなわけで、それはまーショックだけど(つってもどうしようもねえけど)、それ以外の全く関係ない人のセクシャリティとかマジどうでもよくね?なんでアメリカとか、そもそもあんなに熱心なのか全く理解できない。
喫煙者とかは分かるよ。俺、嫌だし。ああいうの嫌がるのは分かるよ。だって明確に迷惑だし煙うぜーし。でも同性愛って別に男のカップルが歩いてたら煙が流れてくるとかいうわけでもないし同性同士のカップルがいきなりヘテロに殴りかかってくるわけでもないじゃん。別に迷惑とかじゃないじゃん。なのに何が嫌なの?
なんか好きとか嫌いとか以前にどうでもいいだろ。なんでそんなに気になるのかがさっぱり理解できない。なんかアメリカとか法案改正めぐってあーだこーだ結構やってっけど、もう逆に、なんか同性愛反対論者みたいな奴って、お前らよくそんな関係ないことにカッカできるエネルギーあんな、みたいな感じだもん。まぁ同性愛者とかが頑張るのは、抑圧されてっから、そういうのやめろよ的なアピールなわけだから、それは分かるけど、ヘテロで同性愛反対者とか、あいつら別にそういう面では抑圧とかされてないわけだし、ただ一方的にバッシングしてるわけだろ、それってもう何がやりたいのか意味不明状態じゃん。お前らに何の利があんのよ?それやって。的な。なんか2chの荒しみたいじゃねぇ?お前のっちスレ荒らして何が目的だよ、みたいな。のっちがお前に何かしたのかよ、みたいな。
まだ猫のえさやりについて(だっけ?)加藤一二三とやりあってた町民の方がマトモじゃねぇ?あのバトルの方がアメリカでの同性愛者議論より絶対マトモだから。町民は「えさやったら猫がその辺糞とかすっだろ!迷惑なんだよ!」VS「猫かわいそうだろ!飢えてしなせろってのかよ!」みたいな、どっちにもちゃんとした理由みたいなのがあんじゃん、一応。
でも同性愛者バトルとか、まず別に迷惑とかないからVSが成り立たないじゃん。異性愛者は何が嫌なのよ?全く理解できない。それより駅のホームでガムとか吐く奴の方が百倍迷惑。煙草吸う奴は万倍迷惑。
同性愛者とかマジどうでもいくねぇ?大体、自分が好きな奴以外のセクシャリティ情報なんて明日の天気予報より価値ないだろ。「俺実はうんこ、バナナ型なんだよね」とかいわれるくらいどうでもいい。
刈り上げごときじゃどれか分からないよ!
ざくっと「女が男の格好」と「性嗜好」くくって分けるけど
↑と↓は全く別物。
どの場合も、異性と恋愛・結婚する可能性がゼロって訳じゃない。
「性同一障害->外科手術->異性と恋愛->子供を作った」ってケースは時々ニュースにもなる。
「どれも男女じゃないか」って人ならしゃーないけど、
孫の顔云々言うなら、孫の前に自分の子供を理解しようとしてもいいんじゃないかな。
でもどの場合でも、肉親に告白するのはものすごく勇気が居るよ。
何を言われても、自分の子供だ!受け入れてやる!って懐がないなら、
自分に心構えが出来るまで、待つ(待ってもらう)のがいいと思う。
少なくとも、男手ひとつで育てたからダメだの失敗だのって考えはやめてね。
失敗でも駄目でも、なんでもないんだから。
(ただし、苦労はする。間違いなくする。
でも、今までだって苦労一杯してきた本人には今更だと思う)
個人の趣味はそれぞれだと思うが、自分の周囲に、同性から性的対象と思われたらちょっと嫌だ。
ましてや、この増田のように、スポーツ感覚で尻を狙ってくるような精子脳がいるかと思うと、不快感は増す。
多分やられたら、たとえ未遂でも、ガチで殺すな。社会的に徹底的に潰す。
気持ち悪いて思う人間が多数派であることを理解しないで、たとえ増田であれこういう事を言わないでほしい。
自分のセクシャリティは少数派であることを認め、心の中だけ、もしくは同好の人たちと楽しんでくれ。
そこまでは否定しない。ただ、同性愛に理解ない一般の人にスポーツ感覚とか二度と言うな。
妄想するのは自由だ。百歩譲ってコミケとかで自分らが書いたマンガを売るのもいい。
けど、それを昼間のマクドとかで、読みながら、あーだこーだ言うな、気持ちが悪い。
マニアックな性癖の人って、今までもいたけど、もっと恥じらいをもってなかったか?
日陰にいろ!とまでは言わないが、せめて、多数派と違うんだから、それなりの配慮をしろ。
感情となると、100%本能とはいいきれない部分があるような…。ある面で、社会的な価値観とか文化とかに影響されて
作られるものでもあるんじゃないかなと。やっぱ「カッコイイ」男がもてるし、女は好きになるわけだけど、何が
「カッコイイ」かとかってその社会によって変わるわけだし。そういうのを、ジェンダーとか、セクシャリティとかで
解明しようとしてるんじゃないだろうか。そして、ちなみに、恋愛が本能とするなら、同性愛とかAセクとかはどういう位置づけなんだろ?
あと、「理屈がない=自然(本能)」という定義は、ちょっと強引すぎかも。
あくまで、今の時点では理屈として説明できる語彙を探し当ててないよというだけで。