はてなキーワード: 披露宴とは
http://anond.hatelabo.jp/20110414103921 を書いて4ヶ月、
せっかく死の身近さに気付いたので、ブラック企業を辞めてフリーランスとして独立することにした。
独立準備を進めていたところ、父の末期がんが発覚し、独立準備と同時進行で結婚式・披露宴準備を進めることになった。
やることが多すぎてどこから手をつけていいかわからなくなり、やる気もなくなっていた。
とりあえず愚痴ってみた。ここで↓適当さが好きでよく愚痴ったり励ましたりしている。
気の向くままに愚痴ったらいろんな人に励まされまくった。
励ましっていいね。親身な励ましはもちろん、適当な一言でも癒された。
根本的解決ではないんだけれど、心が楽になったー。
真剣さ適当さよりも、その言葉がリアルタイムであればあるほど。
助かりました。ネット上のどこかの皆様ありがとうございます。
従業員20名余の我が社で、彼男と後輩のカノ美が結婚秒読みらしいという事を聞いた。
彼男は私の同期、カノ美は後輩で、しばらく新卒を採用してなかった我が社のひさしぶりの新卒。
カノ美が右も左もわからない頃から彼男が色々教えていて、それがキッカケで親しくなった模様。
しかしこのカノ美、入社3年の間、色々水面下でやらかしてくれた。
私が知っているだけで
その他にも
などなど。出るわ出るわー。
なんで私がこんなことを知っているかというと、既婚者B→社員C→私と情報が筒抜けだから。
年寄りで喪でコミュ力ゼロ(口外しないと思われているのだろうか)の私には話やすいらしい。
おっぱいキャバ、G○EEの件は、検索したら出てきた本人のmixiに乗ってた。そんなん消しとけ。
分母が大きければいいってもんじゃないけど、社員100人以上の大企業とかならともかく、
僕は中学一年生、まだ12歳だった。いいことばかりではなかったはずだが、今振り返ってみると、毎日笑ってばかりいたことだけが思い出される。部活に熱中し、友達にも恵まれ、告白なんてできなかったけれど、小さな恋もしていた。楽しい日々だった。未来のことなんて考えもしなかったけれど、ただ明日も、その次の日も、今日のように、昨日のように、笑って生きていくのだと思っていた。
夏休みに入る前の週くらいに、小学校一年生の従姉妹がやってきて、夏の間中、うちに滞在することになった。
小さな従妹ははにかみ屋で、しばらくはもじもじしていたけれど、すぐにうちにも馴染んで、僕のことを「お兄ちゃん」と呼んで、まとわりつくようになった。僕の両親も、姉も、従妹を可愛がり、相手をしてやったが、そういう点では一番邪険な僕に特になついていたのが不思議だった。僕もそう意地悪な少年ではなかったと思うけれど、少年は少年なりに忙しかった。部活もあれば男同士の付き合いもあり、そうそう従妹の相手をしているわけにはいかなかった。
夏のある日、ふと空いた一日に、だらだらと寝転がってテレビでも見ていたら、暇ならば従妹を映画につれていけと母が僕に命じた。従妹は最近、公開されたばかりのアニメ映画「となりのトトロ」を見に行きたいのだという。たまたま僕以外の人の手がふさがっていて、まあ僕としても、いつもいつも愛想よく従妹に付き合っていたわけではないから、罪滅ぼしの気持ちもあって、従妹と二人、映画館に出かけた。
まだ、ジブリ映画が国民的な動員力を獲得する前のことだ。映画館はわりあい空いていて、お菓子を食べながら僕と従妹はトトロを見た。
ラピュタは好きだったが、トトロは子供向けだなあとその時の僕は思った。その一年か二年前に、休日の父をせかせて、ラピュタを見に行った僕だったのに、もうそろそろアニメの魔法を心からは信じないようになっていた。従妹の表情はスクリーンの変化に合わせてめまぐるしく変わり、どちらかというとそちらを見ていた方が面白かった。
トトロを見終わって、僕は従妹に聞いた。
「もう一本あるんだって。えーと、ひたれるの墓?暗そうな映画だなあ。どうする?もう帰る?」
「ううん、みたい。みていっていいでしょ?」
それは僕くらいの年齢の男の子と従妹くらいの年齢の女の子の話だった。作画が公開に間に合わなかったらしく、一部が描線のまま映し出されていた。普通に考えればジブリの黒歴史と言うか、前代未聞の汚点(なにしろ未完成品を映画館にかけておかねをとったのだから)と言ってもいいと思うのだが、そんなことは気にならないくらいに僕はその映画に引きずり込まれていた。
誰が想像するだろう。トトロの次に上映される映画が、あんな作品だなんて。
今この歳になって考える。なぜジブリはあの時、あの作品を作ったのだろうかと。ああいうテイストの作品はその後はジブリは作っていない。安心安全のジブリブランドだ。他のジブリの映画の好き嫌いを僕は即座に言える。一番好きなのはラピュタだ。でも火垂るの墓は。好きなのか嫌いなのか分からない。二度と見たいとは思わない。でも、場面の細部まで、あの夏のあの映画館のように、今でも頭の中で上映できる。
とにかく、火垂るの墓を見終わった後、僕たちは疲れ切っていた。そのまま映画館の座席にうずくまっていたかったけれど、そうもいかなかったので、僕は従妹をおぶって、またバスに乗って家に帰った。帰ってすぐに、飯も食べずに僕は寝た。
8月も終わるころに、従妹の父、つまり叔父が死んだ。末期のガンだった。叔母が看病に専念するため、従妹をうちに預けていたことをその時になって僕は初めて知ったが(叔父が入院していたのは知っていたがそんなに悪いとは聞いていなかった)、従妹は知っていたのだろうか。
葬儀の際中、従妹は僕を隣に置き、ずっと手を握っていた。たったふたりきりで生きようと思ったあの少年と女の子のように。
先日、三十路のその従妹がようやく結婚した。もう結婚しないのかと思っていたが、どこからか朴訥な年下の青年を見つけてきて、あれよというまに披露宴を開いていた。花嫁衣裳を盗み見に行った時、何を思ったか、僕の手を握って、従妹が言った。
「ねえ、お兄ちゃん、あの時、手を握ってくれていてありがとう」
あの時ってどの時?と僕は疑問に思ったが、野暮なことは言わずにうなづいていた。分かったふりをするのがいいことは人生にはいくらでもある。もちろん僕は彼女に幸せになって欲しいと思ったけれども、先のことはわからない。けれども生きていればとにかく人生は続いてゆく。それはどうであれ、おしまいになるよりはいいことなんだろう。
記憶はただ頭の中にだけあるのではない。夏のにおい。まぶたに焼付くような熱い色。いつか彼女は、夏の日に夕焼けを見ると、彼女をおぶったあの夏の僕の背中を思い出すと言った。体温や匂い。いろいろを。その中に彼女は、小さな女の子だった時の、あの日々の思い出を縫い付けている。笑ったり、泣いたり、どうしようもなくてたちすくんで、ただそばの人の手を握ったりしたあの日々のことを。
いやだから、すまん言い方が悪かった。結婚する前から、デートもカラオケとかやっすい居酒屋みたいのばっかで、結婚指輪とかも普通に持ってない人もいるし、5万円くらいの人もいるし、とにかく、そういう儀式的なことにこだわりがない人が多くて、そんなたっかい指輪もらったり、ものすごい派手な披露宴とかした友達があんまいなくて。で、結婚後もそんな感じ、ってのが言いたかった。すまん。年収とかも、そこまで気にしてないというか、自分も働いてるしいっか、みたいなそんな感じで、マイホーム願望とかも薄い、そんな人が多い。ちなみに子なし夫婦が多い。別に、高い指輪や披露宴を馬鹿にしてるとかじゃなくて、そういうのに興味がないというか、うん、そんな感じ。
祝う側が見返りを期待すんのが間違ってるだろ。
祝われる側が儲かるくらいじゃないと祝ったことになんないし、
それが気に入らないなら披露宴なんて行かなきゃいいだろって思う。
祝う気ねーんだから。
ホント、私以外の友人は披露宴にもご招待、だったらまだ良かった。どこかで私が大学院に行っている事を聞いて、貧乏学生の私を気遣ってくれたんだ、と思っておしまい。
知らない人と盛り上がることが出来るか……下戸に加えて人見知りなので、このままじゃ良くて「スパルタ式人見知り解消道場」にしかならないことは明確。
しかも、どうも(私が招待の有無を聞いた)友人全員、彼女が結婚すること自体、初耳らしい。中には元カレとついにゴールインか!……という反応もあるくらい。
コソコソしなきゃいけない結婚なんだろうか、私が詳しく知らないだけで。極めて真面目な女性なんだが。
とはいえ、あなた社会人でしょ……こういう言い方はしたくないけど市の職員でしょ……おまけにこれから人の配偶者になる人でしょ……と言いたい。
けど、せっかく招待していただいているのに、他人(新婦)の行動に難癖つけている自分が、何だか嫌になる。
もっと素直に友人の門出を祝えないものなのか。
そして、こうして招待してくれる人の結婚に関しては「ご祝儀より学費……」という考えが真っ先に頭をよぎるのに、
披露宴等はやりません、親類だけで済ませます、という人の結婚に関しては「同窓会も兼ねてパーティーやろうよ! 学生で社会人のみんなよりは暇だから幹事やるよ! もちろん主役はお金払わないでよいよ! お祝いしたいから勝手にお祝いするだけだから!!」とノリ気になるのはなぜだろう。
「てきとーなパッケージ演出」と「手間隙も金も掛けた演出」だったら普通は後者の方が「見栄」認定されるんじゃ?
パッケージ演出では「見栄」なんて張れないよね。誰でもやってる事だし金も大してかからないし。
そこは理解できる。
どっちも程度があれ見栄だし、
手間隙と金は見栄に直結するだろう。
だが問題は
披露宴の費用が増えるのって、大抵は「見栄」ではなく「大切な友人やいつもお世話になっている人を呼ぶのにあまりに酷い内容では申し訳ない」
という心境からなんだが
ココだと思う。
見栄の大小はあるだろうけれど
どっちにしろ参加者を思ってしているわけじゃない。
別に自己満足でも面倒くさいからパッケージ、でもいいと思うんだ。
だが、それを頑なに「参加者のためだろ!」って言い続けるのは
おかしいだろ、と。
元ツリーの
http://anond.hatelabo.jp/20101124111749
なーんか非モテの「素のままの飾らない俺を好きになってくれる女との恋愛こそが善、モテようとして女に媚びるのは害悪」論を髣髴とさせる。
これの真逆で、女がやたら着飾って金使ってるのを
男が「どうかと思うよそれ。無駄じゃない?」なんていおう物なら
「アンタのためじゃないのよキー!!」って目を吊り上げるのに似ている。
なんでここで「私が好きなんだからいいじゃない?」って言えないんだろうな、と。
http://anond.hatelabo.jp/20101124111749
披露宴の費用が増えるのって、大抵は「見栄」ではなく「大切な友人やいつもお世話になっている人を呼ぶのにあまりに酷い内容では申し訳ない」
↑コレと
http://anond.hatelabo.jp/20101124131049
↑コレ
は、ほぼ同じ事を言っている。
http://anond.hatelabo.jp/20101124133144
↑
↑主張変わってコレ本音
参列者のためだろ!って言い続けるよりは良いと思うよ。うん。
純粋に訊きたいだけなんだけど、「地域社会に根づいた家」だとそんなに周りの人が助けてくれるもんなの?
俺も親戚はいるけど、例え披露宴に読んだり年賀状やり取りしたりしたとしても、何かあったときに助けてくれる様子が想像できないんだよね…。
つーか、ネットの「披露宴やらない賢い俺(キリッ」論者はそういうのが何よりも嫌いだから意味分からないと思うよ。
彼らは親戚付き合いなんて田舎の老害の間の忌むべき風習である、と言う感覚しか無いっぽい。
忌むべきかどうかとかじゃなくてあんまり親戚付き合いがないのよ。今時。田舎以外は。
うちの姉の結婚式もこじんまりしてて親兄弟と爺さん婆さんおじさんおばさんしか呼ばなかったけど、
付き合いある親戚ってその親兄弟爺さん婆さんおじさんおばさんぐらいなのよ。
だから、親戚付き合いを「切る」とか、
結婚式にあの人を呼ばないとかじゃなくて、
元から無いの。
親戚と険悪とか蔑ろとかそういう問題じゃなくてさ。
結婚式(+披露宴)は、ふつうはご祝儀でほとんど元は取れるから、金の心配はしなくてもいい。
100人あつまれば単純計算で、300マン集まるし、親戚や会社の偉い人なんかは結構つつんでくれる。
実際結婚の準備はかなりめんどうで、やりたくない気持ちもわかる。でも、親類関係を維持するためにはやる意味がある。具体的には、たとえば一生に数回しか合わないだろう遠い親戚でも、親が死んだときとかには連絡をとりやすくなるし協力もしてくれる。誰かのお祝いや葬式に行ってもきちっと家族単位で迎えてくれるようになる。もちろん子供がうまれればお祝いもたくさんくれるし、七五三や入学のお祝いもたくさんもらえる。(もちろん親類の誰かのお祝いには払わないといけないが)
逆に結婚式を挙げないカップルは親類に家族としてみとめられないのでそういうことがないので可哀そう。
なので、結婚式は金がかかってもやるべき。