はてなキーワード: ナチとは
通称の「ナチ(独: Nazi (ナーツィ))」は Nationalsozialist の初め2音節を同音異字につづり変えた物で、「ナチス(Nazis)」はNaziの複数形である。元来は当時の対抗勢力がナチ党員および国家社会主義者に付けた蔑称で、敵対するドイツ社会民主党員および社会主義者も同様に Sozialist を短縮して「ゾチ(Sozi (ゾーツィ))」と蔑称されていた。したがって、映画などの創作でナチ党員が「ナチス」と言うのは本来は誤りであり、自分たちにナチおよびナチスという呼称を用いる事は無かった。党員自身は党名のイニシャルを略して「NSDAP (エンエスデーアーペー)」、「NS (エンエス)」或いは「Partei (パルタイ)」と呼び、党員同士は「PG (ペーゲー)」(Parteigenosse 、党同志の略)、「Kamerad (カメラート)」などと呼び合った。しかし、ナチスという呼称は広まっており、ドイツ以外の全世界では通称となっている。日本でもナチおよびナチスの呼称が当時から使用されている[注釈 4]。現在は他の非ドイツ語圏でもナチス・ドイツなどの呼称が広く使用されており、ドイツ語にも同様の Nazi-Deutschland などの用語もあるが、分断時代の西ドイツにおいても「NSDAP」などの呼び方が一般的であり、ナチスの名称はほとんど用いられなかった。
Mastodonというか分散SNSネットワークにネトウヨが居ないわけじゃない。
単にほぼすべての分散SNSネットワークユーザが「そういう人も居るよね。他人に強制しなければ好きな思想持ってても良いんじゃない?」と認識しているだけ。
Mastodonに居るネトウヨですらそう思っているためTwitterでいうネトウヨvs疑似リベラルみたいな対立は生まれにくい。
この問題は「そういう人も居るよね。他人に強制しなければ好きな思想持ってても良いんじゃない?」という根幹が揺れる問題のため分散SNSネットワーク全体で沸騰している。
まぁ言ってみれば「ユダヤ教を強制排斥したGab絶対許さないマン」が分散SNSネットワークへ登場して「Gabを強制排斥したらGabと同じやんマン」が反論対立している状態。
「特定の集団を強制排斥したナチは許されないけどナチを強制排斥することは許される」みたいな現代西洋自由主義の矛盾が分散SNSネットワークで可視化され炎上してるんだよ。
これにしたって、ユダヤ人やホモや障害者を殺したこと自体に直接の関係はなくて、ただ単に戦争に負けたから倒れたってだけだからなあ
しかも戦争が始まる前には「あんなのでも共産主義を殴ってくれるなら」と、みんなして甘い顔してた時期まである
「あいつらが負けたのは間違っていたからだ」などと後知恵で言ってみたところで何の意味もない
そうでないと、リベラルのスタンダードからすれば明らかに間違ってるくせに今んとこ負ける様子のない中国共産党を誰が批判できるのか
横だが本当にそうなんだろうか?
そもそも、弱者を殺さないで成り立つ社会になったのごく最近、ここ百年未満の話であって
それまでの歴史で弱者を殺さずに成り立っていた社会って史実のどこにあるんだろう?
もちろん逆説もある、たとえばナチに代表される弱者と見込んだら全て殺す社会はかなりの速度で滅んだ実績はある
まあそれを言いだすと、滅びてない社会ってどこにあるんだろうって話でもある。
「なるべく長く」「社会を維持する」という目的を達成するとき、弱者の切り捨てが絶対悪であるという証拠はどこにあるんだろう?
ナチだけ?そもそもアーリア人絶対主義はナチだけじゃなく、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、欧米諸国ではあの当時割と普通の考え方で
その代表が奴隷制度であり、KKKなわけで、たまたまナチスドイツが早めに滅びただけでしかない。
「個人の尊重」というのは太平洋戦争の教訓から生まれた新しい社会の考え方で、
それまでは日本も欧米も家、そして国、つまり社会を基本として社会を維持してきた、そこに異論は無いと思う。
では、フェミやポリコレ、弱者の切り捨てに代表される個人を尊重することで社会を殺していく場合
そもそも社会の維持とはなんだろうか?選択肢が多い社会の維持することだろうか?日本という国名が残っていくことだろうか?大和民族が生き残ることだろうか?
日本語が残ることだろうか?日本の社会インフラを子供達に残せることだろうか?年金を孫世代にのこせることだろうか?痴呆老人が死なない社会を維持できることだろうか?