梨生を逆恨みして、フリー記者として追い詰めるようになって、最終回で莉央を恨み続けて加瀬と揉み合い転落死。
あまりにも最悪すぎた。
性犯罪の被害者だからなんでも許されるとか鬱だから許してやれとかじゃなくて、描き方が雑すぎてドン引きした。
性犯罪の被害のせいで、性格も人格も歪められてしまいなんとか懸命に生き続け、過去明るいムードメーカーだったしおりは「いつもつまらなそうにしていた」状態になり会社を辞め真田の悪事を暴くことだけが生きがいになってしまった。
怒りの矛先が加害者の康介ではなく梨央に向かうほどに、しおりが精神的に追い詰められてしまったのは紛れもなく性被害のせいなのに描き方が雑すぎて
「逆恨みする橘栞は死んで当然、死んで嬉しい」
っていう全く頓珍漢かつ無神経な感想が飛び交う始末になってしまった。
両親は離婚。
大学でどんな生活を送ったんだろう、休学理由を話すことはできたんだろうか
深く深く傷ついたしおりに周囲はどんな反応だったのだろう
父親にも性被害に遭ったことが知られたんだろうか、狭い親戚や近所にも?
莉央は優と離れ離れになった不幸さはあるものの、梓と梓の会社という後ろ盾のおかげで優のための薬の開発ができた、未遂に終わった梨央は勉強や研究を熱心にできた。
0から自分だけの力で人生をやり直そうとした努力し続け、賞を受賞するほどにもなったしおりが報われず、どうして同じ努力でも親がたまたま梓でたまたまお金持ちな梨央は報われて、大輝との幸せまで手に入れたのか?
現実でも不幸な人はずっと不幸で、ドラマでもそんなもの見せつけられて最悪の気分。
加瀬さんの犠牲の上で幸せを成り立たせていた莉央だけがきれいなままで、優は殺人犯だけど幸せを手に入れた。こんな残酷な話ありますか?
メンタルクリニックを転々として薬も変えていたしおりはひたすら不幸なまま物語が終わってしまった。
それだけならまだしも、
「梨央に執着し会社を辞め逆恨みするようになってしまうほど、性被害で歪められてしまった」という事実が見えづらくなり、
「ただただ逆恨みで性被害からいつまでも立ち直らないで拗らせたしおりが死んでスッキリ」
このドラマを作ってる人は、世間が頭いいと仮定して作りすぎてると思う。
かぼちゃの煮付けとたまごサンドとヨーグルトを記憶障害に結びつけたり、大輝黒幕説をあっさり信じたり、加瀬と莉央が親子であると言い出す。
あの最終回で加瀬がなぜ莉央と優に執着するかわからないという感想が出てくるわけだから、性被害に遭ってしまい人格を歪められてしまうほどの苦痛を想像してみろというのは無理な話。
加瀬さんが昭に叫んでも、性犯罪への男女の意識の差は全く埋まってない。
挑戦的だし楽しく見てたけど、最終回が気持ち悪すぎて最悪だった。
両親がいない加瀬さんを取り込んで汚い手段も使わせて会社を守らせた梓と梨生。
罪を背負い込ませ死亡してまんまと逃げた達雄。
達雄や梓、梨央、康介のような人物に出会わないことこそ人生で大切なこと。
これめちゃくちゃおもろいやん
アドラーって日本人じゃないと思うので、日本語の「尊重」という言葉を使ったのでは多分ないと思う。英語だと respect という語がある。これに近い言葉を使ったのではあるまいか。これは尊敬というよりもむしろ尊重に近い。
公務員は上級国民だから、この程度の書き込みでは罪を問われないのかあ
厳格なルールで隊員さんが縛られてると宣伝番組では言いたげだけど、やはりそういうのはCMだけの建前だけの事なんだというのが分かる
暗殺とか物騒なキーワードをどうどう口に出しても罰することが出来ないとか、日本がどんどん戦争の方向に動いていく理由がハッキリ分かる
横だが、理解していてもここで実行する気は無いだけかも知れないだろ。というか、そういうことだろ。
寒暖差アレルギーてのがあるらしい
鼻水が激出るけど
頭痛しない
熱でない
眼も赤くならない
朝起きて窓開けまくって換気した時たしかに
激寒だったけど
そのせい💦かなー
鼻かぜの人は熱とか
鼻水色がついてるとかあるらしい
鼻水売れそうな程透明……。
限りなく透明……。売ろうかな。
なんか嫌な思い出でもあるのか?
🐈フフ……。ネコチャンはいつも人気者ニャ
とある中国系の武術の本に「10年立って禅を組めば気が出る。気の力は何にも代えがたい」と書いてあったので、学生の時から1日1時間ぐらい禅を組んでていた。そろそろ10年ぐらいになるつい最近、本当に気が出てきた。
ある日寝ようとしたときに突然血流が増し、寝れなくなったのだが、この次の日あたりから体の中で何かもぞもぞしたものが動くようになった。足の裏が一番多く、次に背中、仙骨、ふくらはぎの裏ぐらいが良く動く。
体外の気については、まず掌が一番感じやすく、温かい電気のようなものがある。その磁場的なものを捏ねていると、腕全体にも粘り気が出てくる。体の陽面は感じやすく、陰面は感じにくい。脚は手より感じにくく(足裏は除く)、顔面と頭部はいまだ感じられたことがない。中国武術は頭部も武器として使えるので感じられないはずがないのだが、とにかく難しい。眼だけならいける。
一方で、気が出てきたからといって、運動が劇的にうまくなったかというとそうでもない。全身の気を統一して構えれば多少は早く動けるが、アマチュアだと早いかなぐらいで、超人ではない。
気を出すには自然のあるところで禅を組むのが良いのだが、最近は寒い中でも禅を組めるようにはなった。昔は冬は5分も組んでられなかったが、今は風雨のなかで1.5時間ぐらいならできなくもない。寒さの耐性と疲れにくさは養ったのかもしれない。要は健康にはなった。
色々調べていると養気と錬気は違うらしく、気が出てもそこから練らないと武術などでは使えないらしい。よく本で書いてある内容は養気のほうで、錬気は文献が少なく、中国語の本や昔の仙道の本などに当たると多少書いてあったりはする。
最近は構えた瞬間に手に気が一瞬で流れるようにはなってきているが、将来的に超人的なこと、例えば子指1本で相手を抑えるとか、牛の首を切れるとかができるか正直わからない。今まで言うとおりに練っていると大体その通りになってきているので、たぶんできるんだろうとは信じている。
先師の手前、あまり言いたくないのだが、おそらく気が出るまでに10年はかかりすぎた部類だと思う。気功、仙術、煉丹術だと早ければ数日、長くても100日とか1年ぐらいと書いてあることが多く、先師の修業は気が長すぎると思う。最近気が出たのは、気功を増やしたからではと思うところもある。とはいえ、立禅自体の下地はそれはそれで大事ではあるのだろうが。
太極拳はやらないのだが、動作の一部を試してみると明らかに気が流れるので、あれは気功なのだろうとは思った。腕を回すだけで何年も練るってどういうことだと感じていたが、確かに気を感じてから套路に入ったほうが結果的には早そうだ。中国系武術の本は色々読んでいたが、今まで表面的な理解しかできていなかったのを反省している。
たまに中国武術を力学的、戦術的観点からしか語らない人たちがいるが、精、気、神、意などの道教、中医学あたりの背景を理解していないと、昔の自分のようだなと思う目で見てる。伝統的な空手とかはこのあたりもちゃんと引き継いでいて、研究していて面白い。