自分自身踏んでるところがあるから他人に不寛容なポリコレの人を息苦しく感じるのか、ものすごく考えています。
ポリコレの展開活動の上で正義は我にあり、みたいな態度をとっている人を息苦しく感じるし、そういう人は実は自己肯定ができないから正しさにすがっているのだ、という考えを持っていますが、踏まれる側にとってはそういう人ですら頼もしく見えるのかもしれない。
リアルでも草とか言ってんの?
リアルでも人とそんな風に話してんの?
普通の人は反論されるとめんど臭い、距離を取ろうと思う。しかし一部には否定もコミュニケーションだと考える人もいる。自分は後者なのだけどその反論により一々傷付いてテンションを下げられると逆に煩わしい。
ただのツッコミやんけ。
ただし、冒頭の通り、建設的な会話を積み上げたいと思う時もありそんな時にこの性格は災いする。誰にも、話し掛けられないのである。あの人の前では否定されるだろうという気遣い。なかなかそれに気付けない。普段何でも垂れ流すように話しているような人の前では特に。
それ、反差別主義者一般を主語にするんじゃなくて、「一部の極端な反差別主義者」にしてほしいなぁ。
どの場所に立っていても極端な人は出てくるもんで。
友達にも親戚にも親にも近所の人にも、「子供は?(まだ?)」とよく聞かれる。家族と、特に仲の良い友達以外は会うたびに聞いてくる。正直うんざりだ。毎回聞いてくる友達とは疎遠になった。今年に入って姉が出産してから、さらに言われる回数が増えた。聞かれるたびにつらくなる。
どうしてこうも、「子供がいないと夫婦として、家族として認めない」風潮が強いのだろう。日本人の90%以上は、結婚イコール子供という方程式の中に住んでいるのではないか。
私たち夫婦は、子供は欲しいけれど、子供を産み育てることで背負うリスクを考えると、そこまで…という考え方であることと、流れに身を任せているだけでは子供ができない体質(検査はしていないので不妊という言葉は使わない)であるという理由で今のところ夫婦2人で楽しくやっている。
子供がいなくても、2人とも趣味があるからそれなりに忙しいし、2人でいるのが楽しいし、今とても幸せだ。もし子供がいたとすれば、幸せなんだろうけど、お金のことや不妊治療をしてストレスを溜め込むことで今の幸せが崩れてしまうのが怖い。そう思って子供を産まないことは、臆病なんだろうか?自分たちが一番大切、ではダメなんだろうか?
「子供は早く産んだ方がいいよ」「産めるうちに産んでおいた方がいいよ」「子供かわいいよ」「(今作らないと)欲しいと思った時にできなくなっちゃうよ」
そんなことは重々承知している。でも今そこまで欲しいと思っていないのに産まなきゃならないなんて、なんか違う。周りにとやかく言われる問題ではない。そうやっていってくる人の半分は子供を産んだことのある人間だから、余計に厄介。でも、妊娠のために我慢しなくてはならないのは私だし、産むのも育てるのも私なのだ。そんなに赤ちゃんが欲しいなら自分で産んでくれ。私に期待しないで欲しい。私は今の自分が一番幸せだと思う生き方をしていたい。
そもそも結婚とは何なのだろう。何のための結婚なのだろう。こんな風に周りに言われて、その度に気にして、傷ついて、だったら別に婚姻関係など、いらないとさえ思う。結婚して、子供ができて、親になることこそ、結婚の醍醐味なのか?それが結婚の意味なのか?紙切れ一枚の誓約で、こんなに苦しめられるなんて思っていなかった。子供がいないことが悪いことのような気がして、子連れを見ると萎縮してしまうし、私は女性としての大切な何かが欠落しているのではないかとも思うようになった。子供がいないことが後ろめたい。子供のいない夫婦で、ゴメンナサイ。
産む人、産まない人、産めない人、産んだ人。それぞれにそれぞれの言い分があって、考え方があって、感じ方があって、きっと分かり合えることはない。子供のいない人は、子供のいる人に対してとやかく言わないほうがいいし、子供のいる人は、子供のいない人に対してとやかく言わないほうがいい。
私の場合は子供だが、これが未婚の人の場合は結婚になるんだろう。「結婚はまだ?」「いい人いないの?」「そろそろ結婚しないと、子供産めなくなるよ」「仕事ばっかりしてないで」、、、
デリカシーのない人が多いな。人の心配ばかりするおせっかいが多いな。
結婚してわかったことは、そんなことだった。
もっとのびのび、生きたい。
増田は「これまでは臨機応変に対応していたのにルールが出来てしまったからそれに従うだけになっている」的な論調だけど明らかなルールが存在するわけじゃないよね。
「性的マイノリティ」とされるものすら異同があるし、精神病におけるDSMみたいなのが用意されて、これに該当したら差別だから叩きましょうね…みたいな感じじゃない。
子供を一人で置いて、魔がさせる?
夫が先に帰り子を見ているのが「日常の当たり前」なら、妻に魔がさせる余地が、ひょっとしたらありうるかもしれないけどね。
その辺にすでに男女で認識差がある気がする。
恥ずかしがらないでお前のお絵描き見せてみろよ…
こちらこそ、そういう解釈の話にまで踏み込むつもりはありませんでした、すみません。意図をわかった上で否定するのと、頭から否定するのでは全然違いますが、その温度差に見合った説明が困難でした。
自分は何度も見直しているので細かい所をつついて擁護していますが、動画にマイナス印象を持った人に対しても見直すのが当然という考えではないです。
はてぶにキモくて頭の悪いコメント書いてるネトウヨのブコメ、ウザい(というかキモイ)のでブコメ非表示にしてるのだが、
そのうちまた、同じようなキモイブコメを書く奴が現れるのだが、何なの?
ネトウヨのはてぶアカウントって増殖してるの?ゴキブリみたいでまじウザい。
あと、きもいブコメみたら、「この垢を非表示にするかどうか」をチェックするために、そのユーザーページのブクマ見に行くようにしてる。
そうすると誰かが「ネット右翼」「カス」「クズ」とかブクマしてて、非表示に入れてる。
たまにそのユーザーページのブクマを非表示にしている人がいて、ブクマで名指しでクズとか言われて頭くるのはわかるけど、
例えば、性的マイノリティは肯定されるべきである、とかですね。
けれども、肯定されるべきというルールを守るのであればどのような肯定の仕方でもよいのかというと、そんなことはないと思うのです。
大っぴらに肯定してもらえるのがうれしい人もいるだろうし、否定だけしなければあとは放っておいてほしい人もいるでしょう。
そうしたところを個人に合わせて考えるのが気づかいであり、それを忘れてルールだけ守っていれば自分は正しいという態度をとる人は傲慢にしか見えません。
また、ポリコレも本来は様々な人を容認しようという考えの元生まれたものであり、個人に合わせて事情を汲み考えることこそその出発点なのだと思います。
けれども、そこを忘れた過度な一般化によって○○は××であるべきであるというルールだけが独り歩きし、その正しさを盾にして他人を叩くだけでなく、本来ポリコレによって守られるべき人まで踏みにじっている現状がありはしないかと疑念を持っています。
私の本来の主張とはかなりかけ離れた話ですし、私の現状認識が間違っていることもあるでしょう。
しかし私自身も結局言いたいのは自分にも他人にも寛容になろうということです。ポリコレ的な考えを否定するのではなく肯定的に思っていますし、だからこそポリコレの正しさを利用して他人に不寛容な人が目に余ると思っているのです。
元の殴るも物理的な殴るだと思う