地方勤務という選択肢もあるけどな.痴漢のために引っ越したくない,痴漢のせいで自分の人生を変えたくないって思ってる人が多数なんだろうな.
元増田に便乗。
「発達障害」という言葉は定義が定まっておらず、人によってイメージするものが異なるし、「障害」という部分に噛みつく人もいるので、「神経発達症」あるいは「神経発達症群」という言葉に統一して、定義もDSM-5あるいはリリース予定のICD-11に準ずるべきだと思う。
今はとくに当事者あたりが好き勝手に「俺の考えた発達障害」を語ってて頭痛くなる。
DSMの神経発達症の定義ならシンプルだし、「社会との適応の問題なんだから社会のほうが変わるべき!」とかいう、どこをどう勘違いしたらそういう発想になるのか意味不明な主張も消えてなくなるだろう。
いい歳したオッサン(34歳独身)だけど、常々「働きたくない」「会社辞めたい」と思ってる。
でも辞められない。
この前辞めていった会社の先輩は親が社長か会長だってことで、次の就職先とか真剣に考えずに辞めていった。
あー、羨ましい。
何も考えずに辞めたら待っているのは餓死だ。
34歳じゃ再就職も難しい。
あー、この先26年、リストラの恐怖におびえながら働くのかー。
嫌だなー。
働きたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20170602214735
の増田を読んだ。
新婚の女だけど、結婚してからなんとなく感じていたことが言語化されていてうっすら感動すら覚えた。
その理由はもはや何とはわからないほどにとにかく結婚したいと思っていた。
今の旦那とは同棲したのちに、何かと結婚の二文字をちらつかせ、紆余曲折ありながら旦那が根負けしたかたちで結婚に落ち着いた。
結果として、今、特に後悔しているということはない。むしろ好きな人と結婚したのでよかったと思っている。
だけど、あれだけ気に病んで、時にはケンカをしてまで焦って結婚に向かうべきだったかどうかというと、違ったな、と思う。
正直、もともと同棲していたこともあり、結婚したら一緒にいられるという変化もなく、
共働きなので家計も変わらず、子どもももう少し先かなと思っている。
当時何故だか猛烈に焦り、憧れ、結婚に突き動かされた結果は、大した変化はもたらさなかった。
なんとなくわかってはいたけれど、軽く拍子抜けした。
結婚の意味がないというよりも、結婚への期待値が高すぎたのだ。
なんでこんなに無用に急かされるのか。
私なりに冷静に考えてみた理由が以下だ。
1.結婚自体が幸せなもの、ある種のゴールとして刷り込まれている
幼い頃から目にしていた童話や、漫画や映画などの恋愛ものでは、主人公が好きな人と結ばれてプロポーズされたり、挙式のシーンがあるものがよくある。
今でこそ、「結婚しなくても幸せになれる」とゼクシィが言ったりするようになったけど、
結婚のことをゴールインと表現することがある程度には、結婚=愛されている女がたどり着く終着点というイメージがあると思う。
これは世代もあるかもしれない。
もはや頭ではわかっていても、拭えない刷り込みだ。
2.SNSの影響
アラサー女性のfacebookには、毎週末、必ず誰かの結婚式の投稿がタイムラインに入ってくる。
特に同年代の結婚を知る機会が増えると、周りはどんどんと結婚していく‥と取り残されている感覚を感じる人も多いと思う。
しかも綺麗なドレスに身を包み、大勢のゲストに祝福される写真はもれなく幸せそうで、尊い以外のなにものでもない。
非難されるって言ってるやつがいるけど、正直話が抽象的すぎて何言ってるのかわからないので非難もしようがない
具体例が何一つ思い浮かばない
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/05/30/205952
このブログ記事で「嫁」を始めとした漢字の成り立ちが、現代にそぐわない思想であり違和感があると述べられている。
男尊女卑がおかしい、男女は平等であるべきという考え方に異を唱える気はさらさらないが、
そもそも「嫁」は「家にいる女」という意味でつくられたのだろうか。
紹介した記事内のマンガでは「初めて漢字をつくった人」という説明書きのされた人が「よめか……外にも働きにも行かず、ずっと家におるし女編に家でええやろ」と言っている。
ブログの筆者は「調べた」と述べているが、出典がないので確認はとれない。
私の方でもネットで「調べて」みると、
http://gaus.livedoor.biz/archives/6242769.html
のような記事が見つかり、別にずっと家にいる女だから嫁ではないことがわかる。
とはいえこんな出典では頼りないことは確かだ。しかし「家にいる女」という主張は同じ程度なのである。
「家にいる女」というのは、現代人が「女と家」そして昔は男尊女卑がひどかったという情報を結びつけて考えついた話ではないだろうか。
繰り返すが、男女平等に異を唱えたいわけではない。差別的な表現を変更しようということにもだ。
しかしその問題となっている語が本当に差別的表現なのか、こじつけなのかはよく見極めなければならない。
そうしなければ、もはやほとんどの言葉、特に漢字なんてものは使えなくなってしまうだろう。
同じブログ内の別の部分でおかしいと感じるのは、ブログ筆者の考案した「ひきこもり」の漢字(人偏に家)である。
“ちなみに作中で、家にいる人と書いて「ひきこもり」という字を作ってみたことで
お怒りになる方がいるかもしれませんが、
まさにその感情を世のお嫁さん方が持ったとしてもおかしくない漢字な訳です”
嫁については(成り立ちの前提を「家にいる女」だとして)問題点は「よめ」が家にいることが当然とする思想そのものを表していることである。
「よめ」(よめの語源についてはまた別の問題であるため触れない)は結婚している女性であり、この段階ではなんの問題もないが、
漢字が女+家で「女は家にいるもの」という思想が反映されているのでお怒りなはずだ。