そもそも相手もヘリが来た後も街への攻撃を続行してんじゃん。
けっこう同意できることが多い記事。変わってたり、人と違ってると思うのは自由だけど、才能があると思うのは推奨できない。凡人だと割り切っておく方が謙虚にはなれるかと / “私は凡人。だから、できることに集中して、やり続ける
本物川さんの論法にもあって「もういい加減にしろよ」と腹が立ってるから言うけど、女の人の中でもネット上にヒステリー持ち込む人の傾向として、何かにつけて性犯罪に例えて相手を性犯罪者のようにレッテルをはろうとする傾向あるよね…。例え話に痴漢とかセクハラと言い張る人が一部いらっしゃるよね
あれさ、本人らはどの程度自覚があってやってるかしらんけど、例え話や振る舞いがキモいとか気に食わないことを「痴漢」「セクハラ」という言葉に(実際には言うほど性的でもない言語のやり取りしかないのに、なぜか性的なものと結びつけて)置きかえるのはご都合主義的に社会的ジェンダーを悪用してる
自分らがジェンダーを尊重しろ、旧来の社会的なジェンダーから開放しろと言いながら、社会的に新しくできた価値観はとことん悪用していくスタイルに見えてしょうがないんだよなぁ…。何かにつけ性的なものに例えて批判させない論法「男は子どもが産めない」「生理の辛さは男にはわからん」と近い何か
真摯な態度だったら、性犯罪に例えないですよね…。人を窃盗犯みたいだ、暴行犯みたいだと言わないように、簡単に性犯罪に例える人は言葉に重さがないか、そういう人こそ性犯罪をフランクに考えてるかな気がね…
一貫してフェミ的なものに警鐘を鳴らしてるけど、あの人たちが行き着くところは「男は子どもが産めない」「男には生理がないからわからないので女に最大限配慮すべき」だもの…。そのぐらい危ない発言してることに気づいてない人をちらほら見かけるんですよ…
kanose本物川
アレ?さん付けになってる。なんかあったんですか?
脳内でDOKIDOKI急接近みたいなイベントがあったんですかねぇ。
探してきますね。僕の本物川。
伸びずに終わったと思った増田が急に伸びることがある。
本命増田が伸びずに片手間が伸びたかと思ってたら本命が急激に追い上げることだってままだ。
増田が完全に死ぬ(伸びしろがなくなる)のってだいたいどれぐらいなんだろうか。
書いて3日ぐらいなら普通に0ブクマから急激に加速して3桁台にまで踊り出ることが可能だ。
1週間だと結構厳しい。
じゃあ間を取って5日ぐらいか。
決算が良かったのにドイツ銀行と奥様が並んで売りに来ていた銘柄というと7591エクセルを思い出します。5月20日に好決算が発表された後一緒に売りに入っていたGSは買い戻しに姿勢変更したのに奥様とドイツ銀行はその後もずっと売りを続け、結局7月のギリシャ・ショック後に村上ファンドが名乗りを上げて踏み上げられるまで2ヶ月間延々と株価を抑え続けていました。特に奥様はかなりしつこい印象があるので200億返済についてのIRが出てくるまでは延々と抑え続けられることは覚悟したほうが良いかもしれません。
0users越えくらいのうんこを紹介。
追記:最初の記事のはずなのにその前に何やら漏らしたことがありそうな問題については以前に考察してないのでうんこ我慢してくれ。
削除されていない記事の中では最初に美少女にはアナルが存在しないことを指摘した記事。
この3年後に俺はうんこ漏らした。
今でもうんこ改変だのアナル改変だので盛り上がってるけど、昔からこういう感じなんだよな。
お前のレベルだとそう見えるのか。
そりゃ偉そうにできるのは実際は偉くないやつだからだよ。
たまに仕事で豊洲に行くことがあるのだけど、たまにのことなので毎回経路を検索することになる。
たいてい、どこかで有楽町線に乗り換えるルートが最も早く到着できるが、ゆりかもめ利用の経路が最も早く豊洲着となるケースがある。
今朝がそうだった。
ゆりかもめは利用したことが無く、なんとなく乗り換えが面倒そうな印象があったので、ゆりかもめ利用の経路はずっと無視していた。
今日は「使ってみたら便利なルートだったなんてことがあるかもしれないし」と思い、ゆりかもめ利用の経路で豊洲に向かうことにした。
大井町でりんかい線に乗り換える段で、早くも後悔することになる。やたら深いところにホームがある。失敗したかなと思いつつも引き返すわけにもいかないので、経路選択の失敗に気付かないフリをしてりんかい線に乗る。
国際展示場で明るいドーム型の天井を見上げながら地上に出る。今度はゆりかもめの改札がどこなのかわからない。なんとなく人の流れに乗って歩き出すが、駅から遠ざかるだけの感じがして引き返す。
駅員に尋ねると、人の流れとは完全に逆の方向にゆりかもめの駅はあった。
夏らしい大粒の雨が降る中、アーケードもない国際展示場-有明を乗り換える。「こんな経路は検索結果から排除してくれよ」と経路検索アプリに悪態をつきながら、りんかい線とは対照的にやたら高いところにあるゆりかもめのホームに上がる。
置き去られた未来。といった感じのこじんまりとしたホームでは自分と老人が1人、電車を待っている。
ホームの外は東京とは思えない広大な空間が広がっている。やがてたった2両の電車が滑りこんで来た。乗りこむと女性が一人だけ乗っていて、スマホで何かを見ている。
平日朝8時台の都内を走る電車が2両編成で、その車両には自分以外にはたった一人。隣の車両を覗いても3人ぐらい。
大きな窓の明るい車両から見える周囲の空間は、開放的というより寂寥感あふれると言ったほうが感覚に近いだろう。
さっきまでぎゅうぎゅうの大井町線で、わずかなスペースを見つけるのに必死だった自分とのギャップに頭がついていかない。金属と金属がこすれあう普通の電車とは違う、ゆりかもめの牧歌的な振動も不思議な感覚を増幅する。
ゆりかもめが豊洲に向けて進むうち、ポツポツと人が乗ってくるが席の大半は空いたままだ。
窓の外には相変わらずだだっ広い空間が広がり、その中に建設中の大きな建物がポツリポツリ。海なのか河なのかわからない水面とその周辺の雑草が生えた広い土地。雨が降っているので地面も水面も空も、灰色で塗りつぶされている。
豊洲で地上に降りると相変わらず雨で、閑散としている。訪問先に向かううちに、あちこちから現れる人々がつくる流れの中に飲み込まれて、いつもの世界に戻ってきた感じがしてくる。
嫌な思い出も無いのに?
「卒業アルバムが見たい」と言って来たので
「(小中高全部)捨てたよ」といったら驚かれた、そして若干引かれた。(大学の卒業アルバムは希望制だったのでそもそも持っていない)
学生時代は友達は皆無だったがいじめられていたわけではないので、いい思い出はないけれど悪い思い出もない。
そもそも「思い出」というか「記憶」がない
他に写っている人々の名前をまったく覚えていない
そのくせやたらでかくて本棚のスペースをとるので何かの機会に捨てたのだ。正直捨てた記憶も曖昧だが、多分捨てたのだろう。
そんな感じなのだが、なんだか「卒業アルバム捨てるなんて何かよっぽど嫌な思い出があるのね…かわいそう…」みたいな目で見られるのだ
世の中の人は卒業して10年近く経っても卒業アルバムを見返したりするものなのか?
実はほとんどの人が捨てたりなくしたりしてるんじゃないのか…?