はてなキーワード: ロッテマートとは
5일
5日目
ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。
釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光やお土産購入、食べ残した釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。
まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。
まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入や路地の工事。
本当にやってるのだろうか。
路地をクルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。
釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。
卵とハム、チーズが挟まれたトーストは、洋食なのに滋味深かった。
シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。
南浦洞は西面と並ぶ釜山の繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。
手元の3000円を両替する。
ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。
南浦洞から引き返し、港町、釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。
広い市場では、いけすの中にカニやエビなどがひしめき、山盛りに積まれたサザエやホンビノスなどの貝類、太刀魚などの魚、イカ、タコ、ナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。
ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。
海が目の前だった。
海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語の演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽が韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。
ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。
漁師や港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。
歩きながら日本と韓国で意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。
このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。
目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。
日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民の生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ちは理解できる。
市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。
バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。
実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。
市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道が結構急なのだ。
「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。
甘いカフェラテが身に染みる。
デッキではカップルがロマンチックな風景をバックに写真を撮っていた。
辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。
実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人の存在が薄かった。
しかし、ここでは中国か台湾、ベトナム、ヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。
韓国の民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。
村の坂道や階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。
興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服の少女が同じく学生服の少年の写真を撮っていた。
ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。
プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。
さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバスは運転が荒い。
座れてなかったら大変だった。
チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓と鈴の音が聞こえてくる。
デモだろうか。
韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。
時節柄、ちょっと緊張する。
前からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。
彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国の民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。
音は此処からだ。
そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。
岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。
南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的、ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。
生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。
形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。
しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。
でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。
さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートでお土産を買う。
出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。
ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。
なんとか時間的に間に合いそうだ。
ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。
地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。
山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストとドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。
とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。
異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。
バーガーキングのカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。
ちょっと迷ったが、海雲台駅から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。
30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。
龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾の九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。
しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。
距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。
既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景を写真に収めることができた。
満足したので引き返してバスを待つ。
やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。
椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれてバスがなかなか進まない。
その上、運転が荒い。
外国のバスの運転は概ねこんなものだと思ってはいるものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。
このワイルドな運転にも韓国の若者は涼しい顔をして立っている。
どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。
ユラユラ揺れる自分も、友達や恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。
渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。
釜山最後の食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。
「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。
ごはんを入れながら食べる。
パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。
台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似の料理があるという。
四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。
これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。
個人的な旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。
今回もカメラのレンズのアクセサリーリングが所在不明になった。
別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。
こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。
4일
4日目
チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。
芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。
遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。
散歩と軽い朝食ついでにロッテマートでお土産のインスタント麺を買う。
広いとは言えない韓国は地域の対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。
曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」
近世の新羅・百済・高麗の対立からともいわれているし、朴正煕時代の選挙戦の影響とも言われている。
観光でちょっと撫でただけ、その上言葉も不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。
韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。
男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。
青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃんは日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。
光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。
バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。
5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者の韓国」と「弱者の韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。
日本・韓国双方の財閥や日韓間の慰安婦合意に否定的なのも、「弱者の韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義で弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。
大統領の権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。
上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領の悲劇的な破滅の歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。
うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動で韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。
果たして彼を待っているのは、改革の英雄の未来か、理想主義者の蹉跌か。
実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。
日本人にとってメジャーな観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。
釜山へ
3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。
乗客がどんどん降りていく。
「しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」
さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。
「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.
Do you mind teach me How to go to Busan?」
お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。
「Busan.」
西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外の総合バスターミナルらしい。
比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。
ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部にアクセスできる。
東横インは日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。
これで不安はかなり減った。
夕食を食べに行こう。
地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。
地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。
そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。
対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。
日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。
西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。
韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。
豚肉入りのスープご飯。小皿の薬味を混ぜて、自由に取れるキムチをつまみながら食う。
名店の名物だけに間違いなく美味かった。
美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。
やっぱアレは特別辛かった。
一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。
釜山は韓国の大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。
22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。
黒いマスクをした10代の若者から、ワンレン肩パットのお姉さん(マジでいる。しかも結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服の青年兵まで、ありとあらゆる若者のエネルギーで通りは充満している。
日本で10代の特に少女に韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。
韓国社会では、まだ若者の存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギーの絶対量が多い。
そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。
メインストリートの入り口では、2人組デュオがストリートライブをしていた。
2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」