はてなキーワード: スタンプカードとは
福岡に来る前に、何故かhagex さんの夢を見てしまった//
きゃー
自分、そんなに入れ込んでるの?と思ったりして
豊洲も阿佐ヶ谷ロフトも福岡もグッズや同人誌も全てコンプリートして、都内から追っかけ!
それが、あんなことに…
私はサッと早めに部屋を出てしまったので、疎外感というか、ぼっちで寂しい感じのまま帰った
ファンの人たちが残って皆んなでイチャイチャしてるのが羨ましかった
犯人は中にいる人??とか考えた
違和感があった
いやそもそも比べるのがおかしいだけど…参加人数も会場サイズもそれぞれ違う
阿佐ヶ谷ロフトの時は ワイワイしながらトークする飲み会のノリだったので年齢層もカモメ勉強会より若かった
今回は私の僻み根性でアウェイだからそう印象に残っただけなのかもですが
ドア出て、出口の手前で暗い所に影に隠れてる風な男性がいて、ワッと出てきそうになるものだから…。相手も驚いたのかもだけど、こちらはビックリして、おどかすなよ…と思ったんですが、
悲しいです
ぼーっとしてしまう
夏コミでスタンプカードいっぱいになるはずだった、途中までで終わってしまったカードを見てもいつまでも寂しいままだ
もうあえないんだ
おっしゃる通りです。
一緒に行動してる会計時にそれであれば「私の分も押してもらいなよ」と言う場面もあるけど、予定が合わなくて会う予定無かったのにそのスタンプカードを私に渡すために会おうとするのが、スタンプカードの為には会えるのかよ…って思ってしまって…。
12回で1回無料になるスタンプカードの有効期限がそろそろだから、サービス利用したら押してくれない?って聞かれたんだが、集めるの無理なら諦めろよと思う。
今回で2回目。前回は渋々やったような気がする。
私もそのサービスは利用しているけど、そのスタンプカードを埋めるのは無理だってわかっているから最初から押してない。
私が押してないことを知ってるから、友人のスタンプカードに押してくれという。
その子は遊びとかご飯とか誘っても、お金が無いから高いのは嫌だとか安いものしか好まない。
なんだかこの頼み事が乞食なような気がしてとても胸クソだ。
集めきれないなら諦めてくれと思うんだけど、たかたがスタンプ×2回ごときで私の心が狭いのかなぁ?
胸クソ来たわーと思って、まだ返事してない。
因みに無料になるのは3600円分の1回利用分だ。安くはない。
私には小学生から20中盤までずっと通っている飯屋がある。大学を卒業し、自立してからは二週間に一度は必ず食べに行っていた。多い時は一週間に3回ぐらい通う事もある。そんな大好きな店がある。
私は比較的、食欲旺盛でココイチならライス600g、ラーメンなら替え玉2回、吉野家なら大盛り2杯が当たり前だのクラッカーであり、勿論この店でも3人前のサイズをいつも注文していた上にいつも同じモノを注文していたので店長さんやアルバイトの方達には完全に覚えられていた(きっと裏ではあだ名をつけられていたに違いない)
しかし最近、仕事がかなり忙しくどうしても食べにいけない日が続いた、約二ヶ月
9月XX日、仕事が少しだけ早く終わった(と言っても9時。)閉店は10時。なんとか車を飛ばし9時30分にお店に到着
こんな時間に迷惑だろうなと思いながらも入店。勿論、店には客はおらず、お店も閉める準備をしていた(多分)
状況を察しやっぱり迷惑だなーと思い一言謝り、帰ろうとすると凄く可愛い多分女子大生のアルバイトの方がどうぞどうぞと席を勧めてきてくれた。それはもう座るしかないだろう、据え膳食わぬは男の恥よ、満を持してどっしりと椅子に座っていつも通りメニューを持ってくる前に注文を告げた。しかし、よく見るといつもとシェフが馴染みの店長ではなく、初対面のシェフだった。シェフは私が注文するな否や、アルバイトの方に準備中の看板を立ててくる様に命令(とても語気荒く。)そしてシェフは面倒くさそうに何度もため息と舌打ちを繰り返しながら美味しい料理を作ってくれた(圧倒的感謝)勿論、料理を出してくれてからは洗い物をわざとガチャガチャ大きな音をたてながらやっていた。空を舞うまな板と平鍋には流石の私も震え上がった。洗い物が終わるとシェフは私が食べ終わる前に裏に帰っていった。どうやらシェフは私とアルバイトの方に二人の時間をプレゼントしてくれたらしい
残された私とアルバイトの方は、二人の空間を満喫....できる訳も無く、私は料理を食べ終わった後、一息つく間も無く起立し、一目散にレジへ向かい上限まで貯めたスタンプカードをレジに置き、大きな声で「ごーちそーーさまでしたー!」と挨拶をし、店を後にした。
規約など一通り読みましたが、暗黙のルール等に違反していたらごめんなさい。
手足の打撲で済んだのは運が良かったのか悪かったのか。
陰口や無視は日常茶飯事だったが、いじめがあったわけではない。
ただ息苦しかった。世知辛かった。
理由があったわけでもない。
同じ服を着た知らない人がたくさんいる。それが何故か怖いと思った。
意見が合わないと白い目で見られ、無理に合わせても白い目で見られる。
息苦しかった。
もちろん友達はいたが、ごく少数で、その友達とも次第に話さなくなっていった。
「あなたが生きていることが恥ずかしい」
「私を馬鹿にしている」
それじゃあ制服を着るだけなら、と思って着てみた。
手足が震えた。震えているせいでうまくホックがとめられない。
無理にホックを留めたがすぐに頭が痛くなり、過呼吸を起こした。
対処法は知っていたので、咄嗟にキッチンまで這って行き、ビニール袋でなんとか息をした。
ああ、私は病気だと思われていたのかと、その時初めて知った。
もう少しカウンセリングに近いものを想像していたが、実際はいくつか問診を受け、シートを記入しただけだった。
その時医師に言われた。
今でも忘れない。
一度たりとも学校を面倒に思ったことはなかった。
毎日きちんと行けたらこんなところに連れていかれるはずがない。
知っているような口を聞かないでくれと思った。
二度と心療内科には行かなくなり、学校も夕方にたまに行くだけになった。
そのうち2年になった。成績は死んでいた。
3年になった。気づけば受験生だった。
成績も出席日数も明らかに足りない。
この時期は受験生みんなが慌てるが、私は何もしなかった。
1年の教科書の問題を解いてみたりしたが、まったくわからなかった。
学校に行かなかったことは後悔していないけれど、提出物とテストを受けなかったのは後悔した。
結局定時制に行くことにした。夜間ならなんとかなるかもしれないと思った。
受験寸前になって必死に勉強し、問題集もだいたい解けるようになった。
「私は子供の気持ちを理解しているけれど、子供は私の気持ちを分かってくれないんです」
あまり覚えていないが、そんなようなことが書いてあった。
自分のことで精一杯だから不登校になるのに、親の気持ちなんて分かるわけない。
けれど子供ながらに悩んで、考えて、出した答えが登校拒否だったら?
親が無理に行かせる理由がどこにあるのか。
無理に学校に通わせられ、疲れ果てて卒業式直後に自殺した先輩を知っている。
死に対する恐怖に、心の疲労が勝ってしまった結果だと、私は思う。
誤魔化すことはできても、消費はなかなかできない。
スタンプカードがいっぱいになったら私もきっと自殺していただろう。
遺書は公開されなかったが、同じ境遇でなくてもとても苦しんでいたのは想像できる。
まとまらなくてごめんなさい。
不登校や登校拒否をするみんなが生きやすい世界になりますように。
追記 12/1
たくさんの反応ありがとうございます。
誰かに聞いてもらいたくて書いたのですが、こんなにたくさんの意見を頂けるとは思いませんでした。
ひとつひとつの言葉が暖かくて、読んでる最中涙が止まりませんでした。
私の周囲に不登校を受け入れ、理解してくれる方が少なかったので、こんなにも受け入れてくれる方がいたんだと感動しました。
定時制に向けて受験勉強していますが、通信制高校に勧めてくれる意見が多々あり、少し考えてみようと思います。
それだけでなく大学に行ったほうがいいとのコメントも頂き、真剣に考えるきっかけになりました。
この文章を読んでくれた方の中にも、同じ年代の方がいるのではないかと思います。
僕はブックリストが怖い。
はてな民とか、あとは読書系サークルに近寄るとぶつけられるアレだ。
僕はアレが怖くてしょうがない。
ひとこと「本読みます」と言ったが最後、彼らは口々にお勧めの作品を提示する。
それらはしばしばリストの形をとり、数冊単位、時には10冊、100冊なんて単位をとることもある。
作品を羅列するひとは、とても楽しそうだ。かなりの熱意をもって、矢継ぎ早に「これ面白いよ」「これも読んでおかないと」と勧めてくれる。
僕にはそれが苦しい。
僕はリストをメモに書き留めながら、心の中では昔行った祖母の家での記憶を再生している。
祖母は遠方から僕たち孫がくるといたく喜んで、次々に食べ物を出してくれた。山のようなおやつ、晩ごはん前の前菜に茹でたとうもろこしを挟んでたくさんの揚げ物、ごはん、ごはん。
僕たちは祖母の熱意に押されて断れず、苦しいくらいにごはんを食べたものだった。
あの時の感じと、ブックリストをぶつけられる感じは似ている。
勧める側と勧められる側の非対称性とか。勧める側の、与えよう、啓蒙しようという感じが僕は何となく苦手だ。
彼らは勧める相手を対等に扱わない。
教化しようとしている。
自分はそんなことない、上から目線で押し付けたりしていないという人もいるだろう。
そういう人も、ちょっと思い返してみてほしい。
あなたは、自分がリストを作る時にかけたのと同程度、相手がそのお勧めトークや作品じたいをどう受け取ったか、それを感知することに知的エネルギーをかけているか?
相手は困惑したり、あなたが勧めた本を今まで読んでいなかったことを恥じ入っている様子はないだろうか?
そもそも相手は積み上げられるリストにうんざりしている様子はなかったか?
僕に本を勧めてくれた人の多くは、リストを作るのが好きな人は多かったが、感想をじっくり聞いてくれる人は少なかった。
たいがいの人は、僕が読んだことを確認したら、そそくさと次の本を勧めにかかった。
僕がまるでスタンプカードのように、リストに則って粛々と作品を勧めてきた。
ある種の人々は、仮想読者(非オタの彼女、サークルの新規会員など)に勧めるためのブックリストを作ることを無上の楽しみとしているように見える。
そこで仮定されるのは、たいがいが新参者、異邦人など、「自分より立場が弱い者」だ。「上司に勧める10の○○」だの、「婚約者の父に勧める10の○○」だのはあまり見かけない。
(存在しなくはないかもしれないが、全体を見た時の割合としては例外といって差し支えないだろう)。
ブックリスト作りはブックリスト作りで、読書をめぐる楽しみの一つなのかもしれない。
しかし、それを実際に受け取るのは生きた人間なのだ。あなたの頭の中にしかいない、啓蒙を待つひとではない。
せっかく熱意を持って勧めるのなら、同じくらいの熱意を持って勧めた相手の感想にも耳を傾けてほしい。