はてなキーワード: 自称とは
自称ホワイトカラーのジジイがが無意味なブレストをやってるが、それよりも高度な議論をGPT4で実現できる
あるいは特定の処理をするソースコードのテンプレを出力させれば、そのテンプレを手作業で作る仕事はなくなる
まあ仕事がなくなるってのは、働く人がいなくなるという意味ではなく、仕事のプロセスが部分的に省略できるぐらいの意味になるかもね
文春砲の後、松本およびダウンタウンを崇め奉る記事は多数書かれているが、その多くで「ダウンタウンは笑いの天才である」という表現がある。
以下の記事でもダウンタウンは、いじめや無礼を平気で行う悪童キャラとして「時代に求められた2人」だったとブレイク当時の様子を書いている。
デイリー新潮「常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし…「天才」2人の歩みは今になって重なる」
とはいえ、当時から賛美一色ではなく、苦情の投書も多かったことは併記されているのだが、
ダウンタウンの笑いが受け入れられなくなっていったことを「時代のせい」にしていることは問題である。
この記事では「お笑い人の常識が時代とズレるのは珍しいことではない」とし、
かつての大物芸人も自分の常識を修正し、時代に合わせてアップデートしてきた人が何人もいたと書いているが、
そういう人たちは、単にやっちゃだめなことをして怒られて、反省して常識的になっただけであり、決して「時代のせい」ではない。
あえて時代的背景ということを考えるのであれば、
ダウンタウンがブレイクした時代は、日本社会全般として、今より上下関係が厳しかったり、若い人に対するシゴキというかパワハラが酷かったのかもしれない。
年上世代に日々苦渋を舐めさせられている若者たちがダウンタウンのテレビに魅力を感じる理由があったとすれば、
若い2人が先輩に楯突く様子がカッコよかったり、どんな人の前でも傍若無人な振る舞いをするダウンタウンに憧れたりしていたのかもしれない。
だがそれは、攻撃的な気持ちを発散させるための一時的な憂さ晴らしに過ぎず、「笑い」と呼べるものだったのか、自分には疑問でしかない。
この記事では、松本はアップデートを拒否したとして「一方で自分が納得することが第一だった松本は修正しなかった。むしろ積極的に修正を拒絶した。」と書いているけど、
前にバズっていた『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』という話じゃないけど、
「教養を意識して身に付けなさい」という父にその理由を聞いたら「教養がないと冗談のレパートリーがセクハラとパワハラと下ネタだけになる」とのことで納得した
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1832733
(パクツイらしいけど)
結局のところ、松本は何歳になっても教養や社会性を身につけることができず、
「わがままを言って大暴れして周りを恫喝する」以外に人を動かす方法を学べなかったというだけのことなんだと思う。「天才」がやることじゃないよね。
まぁ、こういう暴力的な幼稚性を持った芸人の威を借りて、やりたい放題やっていた吉本やテレビ業界の連中も共犯ではあるんだけどさ。
ちょっと話題になってた頃に何巻か読んだんだけど、例のポリコレアフロみたいな読後感で印象はあまり良く無かった。
いかにもいかにもな「さぁ!このミソジニー全開の自称高スペック勘違い男を叩きなさい!叩けぇ!!」という作者の思想なのか読者層へのアピールなのか分からないけど
そういう厭らしさや媚びを感じて、ぶっちゃけそういうのは作品に混じると途端にノイズになるので田中さんメインのストーリーを追ってたい読者としては邪魔でしか無かった。
死後、「男性の事情にも配慮したバランス感の取れた作品だったのに…」という感想をちらほら見かけて、「えっ、あれで”配慮している”んだ!?」って本気で驚いた。
さぁこの雑な男性像で形成されたミソジニー男を叩け!っていうフェ味どころかミサンドリーすら感じる代物だったから…