はてなキーワード: 数学オリンピックとは
神童は、おそらく、人と頭の働かせ方が違うために(しばしば右脳的である)、人より多く脳を使うことになり、結果同年代の子供にくらべて圧倒的に頭がよくなる、というメカニズムで誕生する。
成長するにつれて慣れからか、教育のせいか、頭の使い方・使う量は一般人と漸近してくる。
成長してからも右脳を積極的に働かせるには左脳ドリブン的に行うしかない。
そこで、神童がその才能を持続するためには頭を使う訓練=勉強が必須になってくる。
神童は、中学校、高校と進学してから、たまたま外部から良い刺激を受けて勉強するようになることで、ようやく神童の名にふさわしい知力を手にすることができ、それに付随して学歴なり地位なりを獲得する。
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高校でおいて行かれる
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勉強が楽しくなくなる and 頭脳も周りにかなり追いつかれている
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という経緯をたどって、なんとか地方の中堅大学に進学して平凡に生きるか、少し人と変わった生き方を選ぶか、
徹底的に落ちぶれるか、しているのではないだろうか。
数学オリンピック入賞者が必ずしも数学者になれるわけではないことも以上の事実の裏付けになると思う。
数学者になるためには、数学に対する驚異的な熱意を持ち続け持続的に左脳ドリブンな右脳の運用を続ける
天才とは、人と違う頭の働かせ方を大人になってからも持続できる人間である。
ちなみに自分は、
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中学校でなまける
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Sランク大
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もっと正確に言うと経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
東大情報系院だが、自分には数学のセンスがない、と思いつつ、そんなこと言っても仕方がないから一応勉強している。東大理Iは、英語の配点が数学の配点と同じぐらいあるから、俺みたいに数学は平均点しか取ったことのない奴でも入学できるのよ。March+国公立の上位2??3割の人は、俺より数学のセンスがあるんじゃね?、とマジで思う。数学のセンスがあるかないか、という意味なら、世の中に優秀な人材なんて有り余っているのではないかと思う。
日本企業は新卒の学生が入社したら、どうせ大学時代とは全く違うことをやらせるのだから、理系は、純粋に数学のできる地頭のよい奴を取ればいいだけだと思うのに、何で学歴なんか重視しているのだろう。社員が数学わからないのであれば、数学オリンピックかなんかの問題をてきとーに選んで解かせて、単純に点数が上のやつから取ればいい。
コミュニケーション能力は、会社に入ってから鍛えれば、ほとんどの人はできるようになると思う。数学のテストの後、ちょっと面接して、「明らかにコイツはコミュニケーションに問題があるだろ」っていう人だけ落とせばいい。
下手に面接したり学歴とかで採用したりするより、単純に数学のセンスで人間を選んだ方が、プログラマーとか技術者に関しては、よほどマシな人材が取れると思う。
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。
経済学者になったと聞いたし、
もとのはてなダイヤリーを追ってもその頃の話が出てくる。
あの塾は今思うととても特殊なもので、数学マニアの少年たちと、
小島先生が去った頃くらいから、どうやらその塾の風向きが悪くって、
数学マニアの少年ときゃぴきゃぴしてる女学生(というか本当に受験目的な子達)が
バラバラの塾に行くようになってしまった。
俺の頃だと、数学オリンピック出るようなやつと一緒に女の子とデート行ったりしたのに。
(まあ、嘆かわしいのは、その受験目的な子達の行く塾が、ヤクザとつるんでたりとか、
上層部はキャバクラ通ってばかりって言ううさんくさいところなせいもあるけど。
僕らの塾から出たある有名な東大生も、いつの間にかそっちの塾出身ってことにwikiではなってるし。)
で、元に戻すと、そういう数学マニアの青少年が同時に抱く女子への憧憬ってのを、
小島先生の「数学迷宮」はよく書いていた。今でもどうしてもその影響でデデキントは悪いやつに思えてしょうがない(藁
で、もっとよりよく書いていたのは、小島先生書下ろしの幾何学入門みたいなテキストの序文だったと思うんだ。
うそかほんとかわからないけど、中学で女の子と数学が元で話し始めて、って言う話。
できたら、それをアップして欲しいな。
灯台の数学を全問正解するのは、数学オリンピックに出てしかもトップクラスでしたとかそんな奴くらいだ。
平均的な東大生は、6問中2問半ほど正解している、という予備校の統計がある。つまり半分も解けてないんだよ。1問完答で後はボチボチ…みたいな奴が一番多い。4問解ければかなり優位に立てる、あれはそういう難易度で調整してある。
正解まで行き着かない問題でも加点される。正解まで行き着く道が完全に見えていると判断されれば、それは相応に加点される(勿論正答時よりはかなり低いと思うが)。実際に解くか、失点覚悟で飛ばして次に行くかは時間配分と所要時間見積りの問題。難易度的に、解法は見えているが計算時間が足りないなんて事は普通に起こるからな。
(まあ、全問にエレガントな解法が思いつけば所要時間不足など起こらないのだろうが、泥臭い解法でも正解は正解。例えばπの問題は、最初から一般化したほうが圧倒的に早く正答に辿り着くのだが、見積もりすらせずに「ひたすら近似すればいつか解ける」という信念でひたすら多角形分割しても解けるし、当然正答と認められる)。