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はてなキーワード: 同期会とは

2016-05-09

この連休同期会のついでで同期の一人の家にお泊りしてきた。

いたことにその同期は客をいつ招き入れても大丈夫なように準備を整えているらしい。

自分の部屋は客を招くなんて事態を想定していないので散らかし放題だし、

服や下着なんかも洗濯したまま干しっぱなし吊るしっぱなしだ。

だいたい来客用の布団を用意するなんて発想は自分にはなかった。

どういう経験を積んで来たらこんな差が生じるのだろう。

でもまああれだな。

異性を連れ込んでお泊りなんかするような経験でもあれば、

いざというときに備えるようになるのかもしれんわな。

そもそもこの年になってもそんなことになる自分想像できてなかったというのは

やはり何らかの欠陥があるのだろう。

そういえば子供の頃からよその家に遊びに行くことはあっても自分の家に友達を呼ぶことはしてこなかった。

ベッドの脇にぬいぐるみが並んでいるのが恥ずかしいというわけでもないのだけど、

他人自分の部屋に入れることに対して妙に強い抵抗を感じる気がする。

何か潜在的コンプレックスでもあるのだろうか。

2014-04-20

入学式を欠席する担任教師に呆れてしまう理由を考えてみた

担任が「息子の入学式」で欠席、どう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11262/result

まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。

そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。

 

よく、国民教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラム教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。

公務員から職業人だから

今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。

私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。

 

日本人一般にある仕事優先論というのも、ちょっと違いそうだ。

批判している人は「担任なのだから」と言っている人が多い。

担任教師への高いハードル

呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。

なのに担任教師に呆れるとはどういうことなのか。

それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。

 

そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。

学校が親に課すハードルも高いのである

 

私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。

 

学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。

(この高いハードルを「親は学校/先生子供人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)

 

家族のために計画的休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。

からさまに生徒を二の次にすることへの反感

たとえば医師患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。

気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい大丈夫です」と言わなければならない。

実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。

 

でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。

たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」

「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」

 

このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。

 

担任教師の家族危篤場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの

でも、自分の子供の入学式に出るために計画的学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。

「誠意がない」と感じるのではないか。

 

「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。

 

蕎麦屋の出前」という言葉がある。

最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。

でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。

なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。

 

そう、ウソをつくのだ。ウソ方便

ウソ方便ではなく、ただのウソに。

これまではウソ方便で良かったのだ。医者患者優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。

 

だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。

 

そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。

ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。

 

今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。

今はもちろんそれはできない。

ウソはもはやただのウソ、悪なのである

 

後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。

 

「知らぬが仏」という言葉もある。

自分自身はどうなのか。

さて、では自分自身はどうなのか。

通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。

 

自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。

 

担任教師が休むことそのものが、子供教育にとって良いことだ、という意見もあった。

行動を通じて労働者権利ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。

 

とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。

でもこの話ではなぜか感情が先に立つのだ。

 

友人とも対話した。

 

友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法現場無視してよいのか」

自分担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」

 

友人「副担任や教務主任での代行ではだめなのか?」

自分体調不良家族の不幸以外は、認めがたい」

 

友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」

自分計画的休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」

 

友人「妊娠はどうか?」

自分妊娠計画的ものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」

 

友人「教師のなり手が減るぞ」

自分「有能でも信念がないのはだめだ」

 

このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。

そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。

 

昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分出身校に誇りを持っている。

(誇りがあるメンバーけが集まったのかもしれない)

同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。

(このサイトを見つけてメンバー同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県福岡県高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682

 

受験できる範囲内の県立高校としては一応トップ学校入学して3日目から、まぁ右翼ヤクザのような指導を受けるわけです。

高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。

「○せ」みたいな内容の。

希望者が入る部活でもなんでもなく、全員が。

 

親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。

その後の学校から親への態度も、基本的には一方通行だった。

課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。

夏休み冬休みも補習授業がある。

一方で体育祭ともなれば、放課後強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。

 

それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから学校先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。

その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。

公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。

 

こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。

そう、最初に書いたように「自分の個人的な体験に置き換えて語ってしまいました」ということなのだ。

2013-03-24

隠れ孤独

25男で、彼女いない歴=年齢

友達らしい友達がいない

小学生の頃まではよかった

家にゲームをたくさん持っていたので、友達もたくさん遊びに来た

中学の頃に2ちゃんを知ってしまったばかりに容姿性格ともにオタク化した

でぶでぶと太りだし、メガネをかけ、髪はぼさぼさテクノカット眉毛は伸びっぱなし

さら容姿の自信のなさからコミュ障を発症するに至り、

どこからどうみても一般受けする要素がなくなっていった

遊びにきてくれていた友達も新しい遊びを見つけたり

ちょっとワルに走ったり恋愛的に色気付いたりしだして

まわりのペースや趣味趣向についていけなくなっていた

幸いハブられるということもなかったけど、携帯も持っていなかったため

卒業とともに連絡をとれる小中の友達というのが一人もいなくなっていた

高校に進学し部活に入った

部活では友達ができたが、クラスなど部活以外のところでは友達ができなかった

でも友達もいるし部活に打ち込んだことで中学よりは気が晴れた

この時に容姿を磨くことを覚え、容姿面のコンプレックスはなくなった

この時の部活友達とは、年に数回の同期会などの飲み会には呼ばれる仲

とても気のいい人ばかりで、ここの居心地は悪くない

普通に会話に加われるし悪ふざけもし合ったりできるんだけど

よく考えると二人で遊んだり飲んだりできるような間柄の友達はいない

大学20人規模くらいの小さなリア充系のサークルに属していた

ここでも居心地が悪いということはなかったんだけど

中心的なグループのノリとは合わなかったので

卒業してから飲み会に呼ばれたりということもなく

もちろん遊びに誘える友達は結局できなかった

また、この大学ゼミ所属しなくても卒業できるという

珍しい大学だったため、コミュ障だった自分ゼミの授業を一つも

とらず、それ故ゼミ友達というものもできなかった

社会人になりそこそこの会社に入った

同期達が仲良くなっていくなかやはりコミュ障が災いして仲良くなれず

たまに呼ばれる飲み会で腫れ物のように扱われるような形

職場は小さな部署でそこの内では決して浮いているということはなく

仲良くはさせていただいているとは思っているけど

深い仲の人はできず、結局は仕事上だけの付き合いになっている

趣味はいくらかあるものの、一人きりでもできてしまもののため

ネットで募集しているようなオフや企画に参加してみたいなー

という気持ちはあっても及び腰になって参加できずじまい

一人で黙々と楽しんで寂しい思いをするだけ

25になり振り返ってみれば、友達がいない 恋人

携帯の履歴を見れば、ここ2ヶ月誰とも通話をしていない

メールも1件も来ない日の方が多いくらい 来ても要件のみで終わる

周りに人々がLINEとかFacebookとかでひっきりなしに

人と連絡をとりあったりして楽しそうにしているのが

信じられないと同時に羨ましくて仕方が無い

社会性が身につくと同時に寂しくてしょうがなくなってきた

だけど同窓会や何かの飲み会に誘われないということもなく

その場も取り繕って会話したりはできるし浮くわけでもなく

絶望的絶対的な孤独というわけではない

いわば隠れ孤独

多分惜しいところまでいっているのだとは思う

従って開き直ることもできない

僕は友達がほしい

ほしいほしい ほしくて仕方がない

誰か友達になってくれないか

2010-07-26

我が輩はモテるに非ず。

中学生時代に女子に虐められてからというもの、

大学卒業まで長い長い非モテの時代を過ごした。

そんな私であるが、社会人になってよき先輩や同僚と知り合う事ができ、

なんと彼女も作ることができた。未だに信じられないのではあるが、

事実なので、いかんともビックリしている。


さて、こんな月曜日になろうとしている深夜に(おそらく投稿する時は月曜になってるだろう)

ぐだぐだと長文を書き始めたわけだが、それは、私の経験がもしかすると

同じような事で落胆している多くの男性諸氏(時々女性もおられるだろうか)に

上手くやる方法をお教えできるのではなかろうかと思ってのことである。


ここからは、すこし私の話となり、恐縮なのだが過去10年以上非モテであった私は、

決して女性に興味の無いタイプの男ではなかった。

むしろ人一倍性欲が強い人間であり、

高校、大学時代も非常に女性に対し強い興味関心を持ち、常にアプローチを行ってきた。

隣の女子高校にて文化祭あれば、おなじような男子学生の同級生と

血眼になりながらチケットを貰い潜入したり、大学で後輩の女子が入ってきたといえば、

新人歓迎という名目の飲み会執拗に番号を聞き出そうともした。


しかし、私の方法ではただの一度も成功をした試しはなかった。

大学卒業するころには、惚れた女性の数は100人を超えたのではないかと思う。

そして、告白をし断られた女子の数も同じだけ増えていた。

大学卒業後、社会人になりやはり女子には非常に気を取られる毎日ではあったが、

大学時代に四方八方に告白したことにより人間関係が悪化し

大学に非常に行きづらくなってしまった経験考慮し、しばらくは女子に対しての

アプローチを行わないように注意して行動した。親しく話したり、食事したりしてしまえば

私のこの良からぬ欲求は彼女に対して向けられると思い、そうした行動も禁止とした。

当然、同期の女子とはほとんど触れ合う事がなくなった。とても可愛らしい彼女たちと同期会など、

同じ席で無言で酒をすするのは苦痛であったがなんとか堪えた。

そんななか、5月も過ぎようというころNという同期の男子と仲良くなった。

Nは私とは違い非常に社交的で、また美しい彼女が居た(写真を見せてもらった)。

私とは真逆タイプなのだが、彼と話していると非常に気が軽くなり、

気付けば毎週のように呑みに行く仲となっていた。


彼と呑み始めて1ヶ月も経った頃、私の女性の遍歴について話す機会が訪れた。

すぐ人を好きになる事。しかし、すぐにふられてしまう事。

いっそそれならばと、会社女性には変な気を起こさぬよう自重していることなどなど。

だいぶ酔っぱらっていた事もあるのだが、心の関が壊れたかのように私はしゃべり出した。

Nはしばらく黙って聞いてくれていたが、最後にこういった。

「J(注:私)は人を好きになると言うことが解っていない」

と。正直、まったく理解できなかった。燃えるような思いに心焦がされ、

場合には相手の家の近くまでいってしまうような、狂うような強烈な思いは

なんだったのだろうかと。即座に、彼にそのように反論をした。すると、彼は


「誰かを勝手に好きになる所まではJの考え方で良い。ただ、それを行動に移した瞬間に

意味が変わってくるんだ。」


この先、Nは随分と長い時間をかけ、私に「好き」というコトバの暴力性を語ってくれた。

Nが言うには、受け入れられない言葉は別の意味にすげ替えられるという。

例えば、「好きです」という言葉を拒否するとした場合、「あなたを性欲の対象としてみています」

という言葉になり「性欲の対象として受け入れてくれなければ、わたしは何かを犯してしまうかもしれません」

という事でつたわっているのだという。


なるほどと思った。


私は(実際にそうなのだが)100人近くもの女性に対して、「性欲の対象として受け入れてくれ」と

連呼していた事になる。大学時代に、さまざまな人間関係がおかしくなったのもうなずけた。

私は、Nにすがる思いで聞いた。「では、どうすれば好きになって良いのか?」と。すると、


「すべては言われた側が決める事。つまり、好きですと言う相手のことを死ぬ程考えるしかない。」


Nが言うにはこうだった。

相手の好きだと思うものを調べ、知識を仕入れておく事。相手の好きな話をすること。

相手の好きな食べ物、苦手な食べ物を把握して、相手の好みのお店に食事に誘う事。

好きな相手を褒める事。褒める際は、相手のがんばっている事を褒めること。

私は、彼の言葉一言一句忘れないよう耳を峙てた。

「そして・・・」

と彼はひと呼吸して、話し始めた。


「J自身を無くさない事。」

と言った。Nの話では女性に対してのサービス

(好きなものを与えたり、話したりする)はあくまでも入り口

もしくはオマケでしかないということなのだそうである。

「Jの説明くさい所とか、自己嫌悪が強い所とか、趣味が深い所とかそういうの、

好きって言ってくれる女子がきっといるし、そこで勝負しなかったら駄目だよ」

しかし、私は圧倒的に自分自身の内面に自身が無かった。

その事をNに正直に申し伝えると、意外な返答が帰って来た。

Nでさえ自分内面と波長があうような人間は多く無いとのことだった。


「でもさ、J。波長の合わない女の子は友達として仲良くするんだ。

そうしていると、波長の合う子を紹介してくれる事がある。」


ということだった。実際Nは会社で既にもう何回も飲み会

参加しているようだった。さて、私はその後、Nの協力により

数ヶ月で彼女を作ることに成功するのだが、それはまた別のお話

2009-11-30

もう勘弁してください。

もうあなたは奥様がいて、お子さんもお二人いらっしゃいますでしょう。

もういいかげんに大人になってください。

そもそも私は会社を辞めた身です。いちいち同期会だとか名目をつけて呼び出さないでください。

あなた以外の元同僚には恩義も感じておりますので、そちら経由で呼ばれてしまえば特に強い理由でもなければ出ないわけには参りません。

しかし、あなたの企画する場、私とても居心地が良くありません。

もう30代なのですから、フットサルで無理して顔面から流血なさっても私少しも哀れだとかかわいいとか感じません。

もう30代なのですから、ハイキングおやつは300円までなとかああここにオーバーやつしたやつがいる悪いんだとか本気で言い出すのはおやめください。心底うんざりいたします。

あなたももう30代なのですから、大して酔いもしないのに店員にからんで少しでも有利になろう、良いつまみよい酒を少しでももらおうとするのはおやめください。

しかもしばしばチェーン店で!

私などもう30も半ばに近いのですから、もうちょっと美味しい料理しっとりとしたお酒を飲みとうございます。なのにあなたはいつもチェーン店飲み放題コースばかり予約してくる。高いばかりでまずい料理まずい酒、しかも今時15年前の学生ノリで発泡酒のジョッキを一気飲みするコール。

「いいとこみてみたい」ってもう10年前に散々見せたでしょう。

同じ安酒ならまだトリスロックをゆっくり飲むほうがましでございます。同じ安酒なら赤玉ポートワインで楽しく焼き鳥をつつきたいのです。

私あなたの勤めている会社を辞めた際に本当に嬉しかったのです。理不尽仕事をやめることができて嬉しく、またあなたの企画する飲み会に毎週参加しなくても良くなったことが嬉しかった。

ですが年に数回私を呼びますね。しかも直接でなく私の恩人を個々に使い分けてまで。なぜですか。やめていただきたい。

今はもう私は私の人生をあなたと違うところで歩んでおります。私は私の仕事をつかみました。あなたの業界から消えました。

今度はあなたが消えてください、私の視界から。

お子様や奥様の心配は要りません。もともと彼女は優秀なエンジニアですし、そちらの社内でまだ彼女を好きな方が何人もいらっしゃいます。

どうぞご心配なく。どうぞご心配なさらずに。心置きなく消えていただいて一向に構いませんよ私は。いかがですか。

2009-01-04

覚悟の問題だよ

http://anond.hatelabo.jp/20090104121827

女性だって結婚するまで家事出来ない人だっているわけだからさ。今は出来なくても出来るようになろうって意志があるかどうかの問題だよ。

若い頃、夢があってこずかい程度しか稼いでない男と同棲していたことがある。私が仕事から帰ってくると「メシまだ?」と聞きくさったので1年3カ月で別れた。自分のほうが時間があるならメシくらい作っとけと思った。それぞれ他の人と結婚して、私は専業主婦、彼はコンビニ店長になった。大学クラブの同期で、最近同期会があって久しぶりに会った。細かいことは書かないけど事情があって2人とも独身になってて、お互いにしんどいことがあってなぐさめあってるうちにヨリが戻って、今付き合ってる。

で、改めて付き合ってみると、彼と私ではまったく「家事」というものに対するイメージが違うということに気がついた。私は食事と言えば自炊なんだけど、彼は外食および出来合いのモノを買ってくるものと思っている。私は皿洗いなんて1日分溜めといてまとめて洗えばいいと思っているのだけれど、彼は使う度に洗う。私は洗濯ってのは毎日するものだと思ってるんだけど、彼は汚れてるのが気になったらコインランドリーで洗う。私はお風呂は2日に1度でいいと思うんだけど、彼は毎日シャワーを使う。いわゆるお湯を溜めて浸かったりしない。私は掃除ってのは隅々までするもんだと思ってるんだけれど、彼は使うところだけキレイだったら、ほかのところは2センチほこりが積もっていても(見ない)で済ます。

正直言って、こんなのと同居したのが間違いだったんだ。としみじみ思ってる。だけど、付き合う分には楽しいし優しいし気を使ってくれるし、いいんだよね。このままずっと、恋人同士でいたいなと思う。けど、一緒に暮らしたいとは思わない。

彼がどんなことを「生活」と思っているのか、よく観察したほうがいいと思うし、どこまであなたと一緒に生活を築く気があるかどうかも訊いたほうがいいよ。まだ若いんだから、歩み寄る気があれば、どうとでもやっていける。歩み寄れないのであれば、好きでも別れたほうがいいかも知れない。

2008-03-30

同期会、別に良いものでも無いですよ?

「隣の芝生も青くないんだなぁ。異動を希望するよりは転職か…」ということを感じてみたりとか、そんな情報交換の場。

2008-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20080113211113

うーん、私は初対面の男性からオマエと言われたときがあったけど、別にいやじゃなかった。

特別な感情もなかったけど親近感の表れかと解釈したから。

> 彼女が私と仲良くするときは、自分の都合良い時だけなのです。自分から食事に誘うことはないし。定時になればさっさと帰る。残業の苦労を分かち合うこともない。帰り道や昼休みなど、だらだらお互いの素地を見せ合っていくような時間を、「そういうの無駄」というように切り捨ててきた人なんだよね。べつのメンバーがお互いの為に「親身になる」時、彼女はそれをしない。仕事面では多少あるけど、それは親身になるっていうのとは違うんだよね。

定時で帰れるならそれはありふれたことなんでは。お付き合い残業ってあんまりすべきじゃないし(よほど切羽詰ったチーム作業でなければ)。お昼休み散歩したい人もいるし、勉強してる人も昼寝してる人もいる。それぞれだったよ、うちの会社は。だからと言って仲悪いわけじゃない。同期会では仲良かったし、エレベータの中では挨拶したし。ドライであることは別に悪いことと思わないけど。お昼もいったんでしょ?「会社」なら当たり前のことだと思います。ほんとに会社なら。だけど。

増田はむしろその他が気になるんじゃない?仕事以外で「親身になる」ってどういうこと?それとタメ口関係ないような。「都合のいいときだけ」ってどういうこと?同期なんだし距離を縮めたいと言う意思の表れならいいんじゃ。会社でいざと言うとき頼りになるのは同期だし。ほんとに「会社」なら同期らしくお付き合いした方がいいと思いますですよ。プライベートならお互いまずやることがあるような気がするけれども。

2007-02-07

心に残る言葉があるのと同様に、いつまでも心に残る沈黙というものもある。いや、残ってしまうというのが正しいのかもしれない。きみがあの時何を言いかけたのか、僕は未だにわからないでいる。

そもそもそんなに近しい間柄ではなくて、僕が帰ってきたときにみかけたらちょっと立ち話をする程度で、それでも仕事の用事でたまに来るメールは、同い年のよしみもあったのだろう、すごくくだけた感じで、僕はそれが好きだった。

その時も、偶然に君をみかけて、玄関まで歩いていくついでに世間話をした。めずらしく僕が話を振ったりして、その後ふと訪れた沈黙のあとにきみは何かを言いかけて、やめた。僕は一応問い返してみたのだけれど、きみは「んーん、何でもない」と言ったっきり黙ってしまい、僕は沈黙に耐えかねてほかの話題を振ったりしたのだけど、そのうちに道のりは尽き、きみは「じゃあねー」と軽やかな一言を残して引き返していった。

きみが会社を辞めることを知ったのはそのすぐ後のことだったと思う。僕はそれを同期宛のメーリングリストにきた、いつもどおりのかるい文面のメールで知った。

送別会という名で久々に開かれた同期会で、僕はこの前言いかけたのはこのことだったのかと聞いてみた。するときみは、「うん、この前はなんだか言いそびれた」といかにも歯切れ悪そうに言った。このとき僕は、飲み込まれた言葉は二度と口にされることはないのだろう、とそう思ってしまった。

多分それは僕の勘違いなのだろう。そして、きみが話した事がすべてなのだろうとも思う。だけど、そのときありもしないものの存在を信じてしまった僕は、それが何なのか今でもたまに気になって、そしてきみの事を思い出してしまう。しかし、残念ながら、あるいは幸いなことに、それを確かめるすべはもうない。

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