タダでやる人がいなきゃお金払って人を雇うとかで雇用が増える道があるのに。
ブックマークコメントってのは本来はタグ機能の亜種でしかない。
個々人がブックマークするに当たって管理のために残すコメントでしかなかった。
でも10年前は今みたいになんでも100文字に圧縮して語ろうとして滅茶苦茶なレッテル論や茶化しに走るだけの連中ばかりじゃなかった。
何故か。
それは「具体的に言及したいときは自分のブログに記事を書いてそのURLをコメントする」という文化があったから。
特定の話題について本気で語ろうとする連中は皆なにかあるとこぞってブログに記事を投稿してそれをバチバチに投げつけあった。
主戦場はブクマじゃなくてそれぞれのブログであり、あくまでブクマはそこに誘導するためのリンク集でしかなかった。
それがいつからかブログなんていちいち投稿しているよりも適当に100文字で下記散らかして絨毯爆撃的にスターを集めたほうが気持ちいいって考える連中の巣窟になっていった。
あんまりにもその有様が酷いものだから、はてなブログをメインで使ってたユーザーは他のSNSへと逃げていって、ブログ記事への誘導もそっちでやるようになった。
結果として今ブクマカとして元気にやってる連中の大部分は100文字以上の文章を書けない白痴の群れと化した。
こう言うと「あの人がいる」「この人もいる」って名前が挙がるわけだが、同じ程度の投稿頻度を持っているブクマカのうちでそうやってブログも一緒に使っているユーザーの割合を考えてみて欲しい。
昔と比べて驚くほどに少なくなっているから。
不射の射の如く技を極めてその必要がなくなったというわけではない。
単に楽な方へ楽な方へと進んでいくうちに能力が退化していっただけなんだ。
でも今のはてなで楽しく遊ぶにはソレで十分なんだな。
だがな、それは酷く幼稚で知性を感じさせないクソの投げ合いに落ちぶれているんだ。
既に便所の落書きでさえなくなってるんだよ。
ワイトもそう思います
ちなみにテスタさんの言ってることは正論ではありますが、「投資家が何言ってもしょうがない」というのと「自分は生き残れる」という前提あっての話で、投資家がもっと力があればたぶん別の言い方をしてたでしょうし、何より自分が環境が厳しくなったら勝てなくなると思ってる人はこうは言えないでしょう。
つまり、テスタさんが本物の投資家であるということを意味しているだけだったりします。
あと、基本的に、日本に独自政策をやる選択しなんてそもそもありません。正確に言えば権利はもちろんあるんですけど、日本だけが新資本主義なんてやっても意味がないんですよ。ゆがみを正すといえば聞こえはよくて短期的には支持率も上がるかもしれません。実際一番厳しい時期に民主党政権を当選させたことがある国ですから、その時から特に進歩はしてない。でも
その結果として余計に経済競争で負けて全体が貧しくなる。その政策は最初こそ印象がいいけど全体的に貧しくなったら国民は慌ててその首相をクビにしてもとに戻る。
精神疾患や重度の発達障害で深刻な困難を抱えている人を含めないのであれば
俺よりもソーシャルランクが低いヤツは黙れっていう意識に尽きると思う
ただ『動物として強そうor好感が持てる』と『お金がそこそこ稼げるor家に小金がある』は決してイコールにはならんのよね
そして繰り広げられるディスコミュニケーション!!!!!!
ガリヒョロチビデブとかチー牛をたててくれるのは会社内だけだぜ!!!!!!!!
人気漫画家煽ったら沢山スター貰えて気持ちよくなってた所に冷水ぶっかけられたもんだからブクマカがマジギレしてんのクッソうけるな。
一部の連中の顔真っ赤っぷりときたら酷いもんだぞ本当。
あれはキャラデザ含めて「週刊ストーリーランド」のパクリだろ
100文字でずっとやってると100文字以内で言語化出来る方向に思考が最適化されるって話は納得感があるんだが、如何せんソースが印象論でしかねえな。
惜しかったな。
リスペクトって要するに「気を使ってくれ」っていう甘えだろ?
その違いが如実に現れるシチュエーションだと、はてなのIQがツイッターのIQに大きく水を開けられる状況もままあるんだよな。
そういうときにはブログを使えばいいって昔の村民は知ってたもんだが、最近は面倒くさがって100文字に収めようと無理した結果IQを下げる方向で妥協しやがる。
100文字以上使わないと喋れないような内容は最初から考えないようにしてるってことだ。
そうしてみるみる頭が悪くなっていく。
世の中に発信した時点でそれは無限に続く批判の渦中に叩き込まれる覚悟を決めるってことじゃないのか?
真摯な批判ってのはときに相手の人格を顧みないものにならざるをえない。
仕事は仕事、感情は感情、そこをハッキリ分けないと身につくものも身につかない。
読者は作者のためを思って心を鬼にして口酸っぱいことを言うこともあるわけで、そうしたとき時には相手に対する敬意なんてものを持ち合わせる余裕がなくなるのも仕方ないだろ?
なんなんだろうね。
絵が下手くそなら下手くそと、パクリならパクリと、展開がありきたりなありきたりと、ハッキリ伝えてやってこそ次回作に活かせるってもんだろ。
本当に面白かったらもっと金を出してやろうってだけのシビアな関係でしょ。
なんなんだろうね。
つまんねえ作品につまんねえと言っちゃ駄目なの?
滑ってる作品に滑ってるぞと言ったらそれは相手の漫画家としての人格を否定するものなの?
むしろ逆だろ。
つまんねえのに愛想笑いで面白かったですよって言われる方が傷つくだろ。
プロなら尚更。
マジ意味分かんねえわ。
「店側が間違ってるから言ってやってる」(だいたいクレーマーの方が間違ってる)って言い張るけど、世の中には店員より正すべきものが沢山いるよな。
反社とか。
なのになんでそっちに絡まない?
そもそもクレーマーの「正しいor間違ってる」のジャッジってほとんど「自分が気にいるor気に入らない」だから聞く意味ねえんだよな。
単なる口癖じゃないか?