陰謀論とか反ワクの人たちって「気づく」「気づいた」って表現が多いのは何でなんだろう。
自分の場合は意見が対立したり自分とは価値観が合わなくて平行線になったときって
「自分は~だと思う(考える)」
って文面になると気がするんですけど、何故かそっちの人たちは
あんまりそういう人たちの感想を自分から探したりましてや晒し上げるようなことはしないんだけど、
ここ数日ウクライナ-ロシア情勢のことを軽くTwitterトレンドから追っただけでちょこちょこそういう人のツイートを見かけるんですよね。
相手を攻撃する意図があるから、ってのもありそうなんですけど、
同じくらいやっぱり「気づいた側」っていう優越感のようなものが承認欲求をモリモリ満たしてくれるのかもしれないですね。
だからタコピーのまりなちゃんママみたいな何にも満たされない感情の行き場になりやすいのかもしれない。
と「気づいた」。
兵士としての素質を求めればこそ、きちんと個別に採用基準に照らし合わせて性別関係なく採るべきでしょ。
女性は男性に劣る、っていうのは自分の女性蔑視に気付いていないんだから、ある意味フェミに噛みついてるバカ共より問題は深刻だぞ。
子供を産む女性は重要、みたいな話も、そもそも生む前に殺されちゃ意味ないだろ。
で、その身を守るときに軍人としての適性の前に考えなしに性別でえり好みしてたら、調達する戦力が弱まるじゃん。
そんなの遠回りな自滅じゃん。
下らねぇ拘り捨てて全力で立ち向かえよ。
どちらかというと動画勢として活動することが多かったキズナアイやゲーム部プロジェクトでさえ中の人を交代や増加させたら大炎上したのだ。だが彼らもたびたび生配信を行い、コミュニケーションを取っていたからこそ受け入れられなかったのだと思う。
しかしキズナアイが幼い頃何をしていたとか、好きな漫画が何なのかとか知らないぜ?
キズナアイは終始、デジタルワールドにいる年齢4歳の性別なし AI として生きていて、生配信でそこから外れたことはないと思うんだけれど。
Vtuberファン側の解説はレアなので助かるが、しかし説明は的を外してると思う。
そこで、中の人が交代してしまうと、たとえ被っている絵やキャラクター設定が同じでも、リスナーが見てきた人格も記憶の連続性もないものになってしまう。それはすごく気持ちが悪い。何年も追ってきた人が、人格も記憶もないまま外見だけ同じになるというのは凄まじい違和感があるわけです。ゾンビを見ているような気分になる。おまけにコラボ配信とかでは他のVからは全くの別人格なのに「同じ人」として扱われてしまうとしたら、想像しただけでホラー映画なのだ。
バーチャルなんだから中身の実体人を取り替えてもいいだろう、いっそ本当に AI でもいいだろうと思うVtuberファンの俺からすると、この論は、人格の交代は違和感があってホラーだ、と感情を高ぶらせてるだけに過ぎないように見える。実際に生配信における人格の表出の齟齬を目撃したならともかく、中身が変わったという事実だけでなぜそこまで怖れるのか。
逆に「中の人」はそのvtuberと人格や記憶を共有しているわけで、それを全く別人とは思えるかと言ったら難しい。もちろんvtuberとして活動している間は綺麗な面だけ見せて演じていることくらいは分かるけど。それでもやっぱり絵や設定よりは人格の方に連続性を見たくなる。
なぜ見たくなるのか? やはりこの部分も説明が欠落しているように思える。
以前、ネクロマンサーの設定を持つ Vtuber が「自分には霊感がない」と配信中に明言した事があって、俺は「えぇ…」と思ったけど、結局スルーされて騒ぎにはならなかった。
霊感がなくてもテクニックだけで死霊術は使えるのだ、みたいな解釈ができなくもないが、話題にならなかった事から考えると、設定の細かな差異も顔の違いと同じように重視しないリスナーが多いのは事実だと思う。しかしなぜ?
生配信における、会話の端々から漏れ出る中の人の人間性の表出。
その細かいキャラクター性も出来る限り設定にエンコードして、次の演者に受け継げばいい。
ミスで違和が生まれても、上手く解釈してリスナーの中で腹落ちさせてくれるはず。
バーチャルと銘打っているのだから、そのくらいは当然だと思うのだけれど…
さっぱり分からん。
一人だけじゃないよ。
でもあれの場合、タイミングとか社内不和とかいろんな要素が重なってたから普遍化できるかっていうと微妙じゃね?
ゲーム部のゴタゴタで運営=悪ってイメージができあがってたり、内部告発めいた意味深noteが出てきたり、公式からのアナウンスがポエミーだったりで、失敗するべくして失敗した感がある。
疲れてへろへろやん
安倍くらいのチョロいやつだと思ってたんだろうな