会話相手の話し方が頭良さそうだなあとおもったら、それを直接言語表現として
「お前頭いいんだなあ」って言ってしまうってのは普通に有り得ると思う。
で、結構な人が、いやあそんなことないよ、って謙遜するものである。
で、謙遜というレベルに留まるのならまあいいんだが、ときたま褒められたのを否定するのが必死過ぎる人というのがいる。
「なんだと?この俺レベルで頭がいいだとそんなわけがないだろうが!
いいか、頭がいいというのはそのそも~」
と、自分の考えた「頭がいいというのはなにか」を語りだす、などだ。
勿論、そいつの言う頭がいいということの定義の理論は、正しい思えるようなことであることが多い。
だからといって、自然な感情の発露として頭良さそうだなあってこぼしたのに対して
そこまで言うべきなのか?と疑問に思った。
どこで日記を書こうかなと思ってみつけたのがここだった。
いま、僕、じぶんのことを話せる場所がほかにないので、ここに書かせてください。
東京の有名な大学を卒業したけど、地元でゆるやかに過ごしたくて地元に帰った。
地元にはまともな雇用が少なかったけど、適当にまず一社受けてみたら受かったのでそこに入った。
本当はもっとちゃんと就活した方がよかったんだろうけど、就活って心が折れるじゃないか。
だから早く降りたくて、受かったところにはいればいいと思ってそこにした。
けれど蓋をあけてみたら、しっかりブラック企業だったので、すぐにやめた。
そのあと別のところで、バイトをはじめたんだけど、
熱心に働くフリと口先のうまさにたよった営業が上手だったせいで、1年くらいで正社員にされてしまった。
でもその会社は中に入ってみると結構あくどいことをしている会社だったので、
やっぱりしんどいなあと思って、正社員になったのを履歴書にうまいこと書いて、別のバイトを受けた。
つらいことはすぐに逃げようと思って生きている。
そして入ったのが今の会社で、ここはとても居心地がいい。
営業はもうしたくなかったので、デスクワークができるところということで選んだ。
時給は900円だけど、そのぶん、バイトに求められるレベルは低い感じでとてもいい。
他の人より楽をしながら成果を出すコツを覚えたので、周りよりとても楽に働いているのだけれど、
周囲にはちゃんと頑張っている人とみなされているし、気楽だ。
職場がメンタルにやさしいので、給料がひくくてもそこまで不満はない。
時給900円で暮らしていたら、ふつうの友人と遊ぶことはできないんだけれど、
地元へのUターンと2回の転職のなかで、友人を意図的にどんどん減らしていった。
いまの時代はSNSからいなくなってしまえば、その人はいなくなったも同然だ。
大学時代にじゅうぶん遊んだので、恋人も友人もなくても大丈夫だなと思うようになった。
セックスはときどきしたくなるけど、恋人はめんどう。心を使わなくちゃいけない。
それに時給900円の男が恋人をつくっても、穏やかな関係を作るのは結構たいへんだと普通に思う。
なので、一晩だけ遊ばせてくれる相手としかセックスはしなくなった。
それも去年は3回だけだった。今年はまだ1回しかしてない。
基本はもうセックスしなくてもいいんじゃないかなと思っている。
バイト先では「趣味に生きているから」恋人はいらないと話している。
趣味は映画と料理と読書なので、映画を見て本を読んで料理をして毎日を過ごしている。
正直、映画以外はお金がかからないので、時給900円でも暮らせてしまっている。
図書館で毎週本を借りて、毎日スーパーで買った食材で三食をこしらえ、
仕事は定時に上がり、週末はレイトショーの映画を見に行って暮らしている。
匿名でやっているSNSには料理の写真ばかりアップして、ちいさな人気を得ている。
別のところには映画や小説の感想を書いて、SNSでは匿名のつながりも得ている。
ある程度の承認欲求はそこで得られるので、
リアルな友だちや恋人はやっぱりいなくてもいいのかなと思いはじめて、
実社会でつながるSNSからはなるべく距離を置いた。LINEもわざとアカウントを変えた。
今では、人と濃く関わるとメンタルが疲弊する機会が増えると思っている。
職場でも薄い関係を保ち、SNSでも匿名で料理や小説や映画の話だけしている。
でもそうすると、実際の自分を話せる場所がなくなってしまったので、今日はここに書いてみた。
でもこんなことを書こうと思い立つこと自体、メンタルになにか危険があるのかな。
そうだとしたら、辛くなる前にどうにかしたいな。
じっさい、いまのくらしに少し不安はあるけどね。
このままいけばたぶんそのうちに社員になれそうな気もしているけれど、
もしこの会社を出なくてはいけなくなったら、履歴書ももう見た目が良くないだろうから、
次の会社探しには難儀してしまうだろうな。ここにしがみつかないといけない。
このままでいいよね。いいのかなあ。
好きなこと”だけ”でお金を稼ぐのはやめたほうがよいよ。
好きなことがお金に屈しなくてはいけなくなった時、その落差で魂を傷つけることになるから。
札束を前にして、自分のこだわりを犠牲にしてでも相手の言った通りのことをしなくてはならない場面は仕事を長く続けていれば必ず来る。
もし好きなことと長く付き合っていきたいなら、周囲から評価を得られる手段は他にももっと持っておいたほうがいい。
でももし寝食や生活を犠牲にしてでもいくらでも好きなことを続けていたほうが楽しいと増田が思っているなら、その才能は活かすべき。
それ以外のことで多少の苦手があっても、ずば抜けた能力を持った人は必ず周囲がフォローするから。
もちろんどちらかを選ばなくてはいけないということではないけど、いざ自分の好きなものがお金に屈しなければならなくなったとき、怒りでその場を後にして世の中を恨んでしまった人や死んだ目をしながらしたくもないことを続けている人を山のように見てきたよ。
頑張って私立に行った人から、私立だけどいじめが酷いなんで頑張ったのにこんなことにってとか愚痴を聞かされるような状態だったけど。
どちらも学校という構造で運営してるものなんだから、私立だから荒れないなんてのは不可能なんじゃないんか。
それよか、PTAがないとか軽いとかいう理由で行く人が多いと自分の周りでは聞いた。実際には、それも裏切られた人も居たけど。
中学受験組は東大に行かせたいというよりも、掃き溜めみたいな地元の公立にいかせたくないからってだけで勉強させられてる子も多いよ
流石に金もらえても限度があるわ。
いくら高級でも過労死はしたくないに決まってるだろ。なんでそんなことがわからないんだ。
「仕事量が多すぎで死にそう?その分高給だろうが我慢しろ!」だと??
確かに、大変だけど給料が良いから我慢するべきってのは、大概の場合でそうなんだろうけど、限度ってもんがあるだろ。
死にそうでも高けりゃいいって、死ぬことを前提としたら対してもらってねーよ。
一流の大学が全てなんか小学生から血の滲むような努力をしないと無理、そうじゃなかった奴らは一生底辺ww
みたいな言説を見ると、自分の周りの東大とか言った人がそうでもない人だらけな現実とくらべて違いすぎるだろうと思ってた。
そもそも勉強が足りずに落ちたような人も、東大が第一志望の層だけあってわりと結構なところに行ってる人が大多数な現実もあるし。
公立中学に普通にいって、公立上位なり、私立の外部進学なり行って、難関大に受かってる人なんて田舎ではかなり聞くし、
たかだかちょっとサボったぐらいで即一生底辺レベルにしかなれんとか厳しい強い言葉を言うのが好きな人は
いろいろと間違ってると思う。