はてなキーワード: リストアップとは
■早めに科目を絞れれば楽
身も蓋もない話だけど、
http://anond.hatelabo.jp/20111106114441
この人の話はその通り。
元増田は背伸びせずというのが希望のようだから、(あまり受験勉強をバリバリやらずに済むという意味で捉えるなら)、早めに受験校と受験科目絞って、英・数・国と、理科か社会を1、2科目で入れる高偏差値大を狙うのが良いんではないか。早稲田・慶應あたりか。国公立も今でも場所によってはそういう受験科目で受けられるところあるのかな。
第一歩は受験の情報誌とかネットで調べて、お買い得かつ自分が行きたいと思える大学・学部をよく探すことだろうなあ。段取りとしては、
1.偏差値で受けたい大学学部の下限を設定(偏差値60くらいか)
2.下限以上にある大学学部の受験科目を片っ端から調べ、英数国含めて3~5科目くらいで受験可能なところをリストアップ
3.リストアップした大学学部の情報をネットその他で調べて選別
4.選別して残ったいくつかの大学に足を運んでフィーリングを確かめる
あと、元増田が女子というのを考慮に入れるとすれば、大学出たあと仕事をずっと続けたいのか、早めにいい男(性格良し・外見良し・所得良し)をつかまえて結婚して退職して家庭生活に入りたいのかというのも大学選びに影響するかなと思ったり。
前者の場合なら、完全に「とりあえず東大目指しとけば間違いない」の人の言う通り。
後者の場合なら、入ってからの勉強が楽な学部を選ぶことをお勧めしたい。おしなべて、大学では入ってからの課題は理系より文系のほうが楽。なので、文系学部に入って学校での勉強はそこそこにバイトやサークルやその他遊びに精を出して、その中で将来有望ないい男を見つけて社会人になるまで何年か付き合って、24~26くらいで結婚というのがゴールデンルートな気がする。(でもそんな上手くいく例はあまり無いので、この方向で行く場合は、就活も頑張りつつそれなりの肩書きがつく企業に就職して、就職先で知りあう同僚と結婚とか、合コンで知り合った人と結婚とかのほうがよくあるパターンではある。この場合、結婚年齢はだいたい26~30くらいか。)
ちなみに、女子が工学部などの理系に進むと、男女比9:1という場合も普通で、元増田の容姿が並以上なら学部内では姫扱いかもしれない。入学当初1年くらい、あるいは、明確に彼氏ができたと周知されるまでは、学部内の男が群がってくるので、そのへんは良し悪しある。学部ごとの男女の入学者数は受験情報誌や各大学のサイトに載ってるので参考にすると良い。
自分の学びたいものを見つけるってのが地味に難しく、大学生や大学修士でもそんなのはわからないうちに卒業する人が多い。元増田が今高1なら、学校の勉強以外にも、バイトしてみたり、本屋や図書館をよくのぞいて興味が湧きそうな本を片っ端から読んでみたりすると、学びたいこと(あるいは、したくないこと)の輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。高2の秋以降は受験モードになるだろうから、これから1年くらいそんな習慣も生活に取り入れてみると良いかもしれない。
普段読む本が受けたい学部で学ぶ内容に直結していれば、受験校の小論、英語、国語などの出題内容にあらかじめ馴染むことができるので、他の人と比べて有利になる。これはちょっとした副産物。
(2012年1月書き直し。文章が長いという意見が多く見られたので箇条書きでまとめ直した)
独断と偏見による「本職巫女として神社で働くのに向いている人の特徴」をリストアップしてみました。
自分の経験と某神社の巫女さんの話、およびネット上の情報を基にしています。
なお、この記事では「そこそこの規模があって、本職の巫女さんが数名常駐している神社」を職場として想定しています。
巫女さんが一人しかいない神社や、いわゆるアルバイト巫女についての適性は論じておりませんので、ご注意ください。
・年齢が20代前半以下。
・着る服のサイズに困る程には太っていない。
・もし姑にあら探しをされても、心身のバランスを崩さないぐらいの精神力がある。
・職場での服装や言動には制限があって当たり前だと思う。
・人並みの筋力はある。
・最長で2週間くらいは無休で働けるだけの体力がある。
・パソコンが人並みに使える。
・接客は嫌いじゃない。
・簡単な作業をテキパキと要領よくこなせる。
・単調な作業を延々と続けることができる。
・少々のセクハラは笑って済ませるか、事前に回避できるだけのスルースキルがある。
・定年(20代半ば~30歳)後は結婚か、転職できるアテがある。
・黒髪ロング。
・新しいやり方を試すより、慣れた方法でやる方が好き。
・体育会系。
・日本文化に興味がある。
・きちんとした言葉遣いができる。
・外国語が話せる。
・口が堅い。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
私は女です。
昨年に大好きだった人と別れて、それ以来です。
就活の時期がやってきて、それしてたら気が紛れるかと思ったから
がんばってました。てか今もES書いてます。けっこうキツイです。
簡単にいうと、「ぼっち」な日々が続いてます。「寂しい」です。
都内で一人暮らしなんだけど、帰ってから一人になるのがホント寂しくて。
友達もいるけど、みんなだって忙しいし、毎日遊ぶわけにはいかないし。
バイトとか学校では明るく振る舞うのに、家に帰るとネクラな自分がいます。
だから、その寂しさを紛らす為に
友達同士で使うのが普通なんだけど、知らない人同士でも暇つぶしに話したりすることが出来るって。
それで、スカイプで遊べることがわかって遊んでるうちに、
福島県に住んでる、27歳の男の人。
Aもカメラ持ってて、私もあったので、お互いの顔を見ながら話すことが出来ました。
優しそうな人で、イケメンってほどではないけど、まぁ悪くもない感じでした。
向こうは私のこと、可愛いねと言ってくれました。なのでとりあえず合格なんだと思いました。
Aは仕事も割と忙しいみたいだったんだけど、かなりどうでもいい話しに付き合ってくれて、
ちょっとイイ人なのかもと思い始めました。
それだけだったんだけど、週末に会おうよって誘われました。
こういうのって客観的に考えたら危険だろうけど、なんとなく、この人はそんな悪い人じゃないだろーと思ってました。
好意を抱くってほどじゃないけど、友達みたいな感じで会えるかなーって思いました。
こんなので会ってもいいのかなって思ったけど、深く考えず、OKしてしまいました。
待ち合わせは、週末の夜。
Aが福島から東京に出てきて、東京でご飯食べることになりました。
会った印象は、カメラで見るよりはちょっと違う・・・かな。
背は180くらいあって、短髪で、その日も会社に寄ってから来たとかで、スーツで、
向こうは私のことをどう思ったかわかりません。
でもなんか品定めのように顔をじろじろ見られたような気もしました。
話は色々したけど、なんかイマイチ私的には面白味に欠けるとこがあって、だからご飯食べたら早く帰ろうと思いました。
まだ割と早い時間だったんだけど、家の場所の話しとかになって、
「帰り、電車大丈夫?」って聞いたら、大丈夫大丈夫…と最初答えてたけど、
「何時くらい?」と聞くと、いそいそと携帯を取り出して、調べ始め、しばらく無言だなと思ったら・・・、
向こうが笑って、「やばい(笑)無くなった。電車。(笑)」と言いました。
えええ。
今更気付いた私はバカです。
でも私はそんなことするつもりなかったし、
「なんとか帰る方法ない?私は帰るから。」と強めに言いました。
こっそりあとで調べたら(大体の場所を指定して検索)、電車はありました。
やっぱり確信犯なんだと思いました。でも私は帰ろう。それで問題無い。
とりあえず店を出ることになり、お会計。
支払いは、学生だし女の子だしって感じで傾斜でした。3:1くらい。
遠出して来てくれてるしそんなものなのかなと思う気持ちと、
社会人と学生なのに、傾斜か、と思う気持ちとありつつ、ごちそうさまですと言いつつ支払い終了。
もしかして、なんだかんだ言って、向こうもさっさと帰るつもりなのかなと思いました。
するとAは、
「ちょっとこのあたり歩こうよ。夜風にちょっとあたりたいわ。
でもまだ時間も早いからさ。XX(私の名前)は電車もあるんでしょ?」
と言ってきました。
確かに私は終電まで結構時間もあったので、それくらいならいいかと思い、
Aは、学生時代は東京で過ごして、それなりに楽しい生活をしていたらしいです。
こんな有名な人と会ったとか、色んな大学の学生とイベントやったとか、いわゆるリア充っぽい話でした。
でも就活ではなかなか苦労したそうです。大学は「そこそこレベル」のところへいったことと、
なんとか最後までねばったことで、Aの地元にある、それなりの安定した、
でも、大学名と会社名は教えてくれませんでした。というか、聞きもしなかったけど。
これっきりになるだろうと思って。
ただ、今の私と同じ、いわゆる「就職氷河期」の頃の人だということで、妙に親近感を覚えてしまったのは事実です。
で、そろそろ私が帰ろうかなと言いだすと、
Aは、急にトーンを落として、困ったような、哀しそうな感じで、
「帰るの?本当に?」と繰り返し聞いてきました。間をおいて、少なくとも5回以上。
「友達に連絡したけど連絡つかなくて泊まれなさそうなんだよね・・・」
「夜ってなんか寂しくない?」とか。
で、最終的に、
そして・・・それに対して私は最初は「帰るよ。」「大丈夫。」「何もしないとかウソでしょ。」とか
なんと、終電が終わってしまって、私もまじで帰れなくなりました。
それで「何もしない」という約束で、結局、一緒に夜を過ごすことになりました。
で・・・・、詳細は省くけど、結局、「何か」ありました。
嫌だ、やめて、って、リアルにあんなに言ったの生まれて初めてです。
やっぱりオトナって怖い・・・っていうか、男ってそういう生き物なんだなって理解しました。
ただ、襲われたといっても、さすがに脅されたりとか、暴力振るわれたりとまではなかったし、
傷も一つもないし、「軽く騙されて遊ばれた」レベルかもしれないです。わからないです。
でも自分で書いてて思うけど、私頭悪いですね。だからこんな風になったのかな。
でも、こういうことがあった後になんかあったら怖いと思って、
Aが寝入った後、こっそり、Aの財布を覗きました。
もちろん、何か盗るつもりとかじゃないです。
万一あとで私の身体に異常があったりとか、妊娠してしまったら・・・っていう
悪い妄想で頭が一杯になって、軽くパニックになって、何かあったら、最悪の場合、
Aの身元が分かってた方がいいって思ったんです。
翌朝、何事もなかったかのようにフツウに起きてフツウに接してきたAは、
フツウの年上のお兄さんのようでした。
まじまじとこっちを見て、頭をなでながら、
「昨夜はごめんね。」「隣にいたら、自分を止められなくなった。」と言ってきました。
私が「・・・Aって、本当の名前?」って聞くと、
一瞬止まって、苦笑いをして、
「本当は違う、**って言うんだ。」と、教えてくれました。
ただ、下の名前だけ。苗字はお互い言ってないし、聞かなかった。
そのあと、Aは、私の目を見ながら
「また会おうよ。」と言ってきました。
私は何も答えませんでした。
その夜以外は、「フツウ」に思えたAに対して、私もフツウに振る舞いました。
気をつけてね、と、なけなしの笑顔さえ浮かべました。笑顔に意味はありません。ただバカなんです。
バカだけどこれで一生会うことないだろうなというのは思ってました。
それから連絡は来ませんでした。もちろんこちらからもしてません。
それが3月第一週の土曜日。
そして翌週の金曜日、午後2時46分。
ものすごい揺れを感じました。
家族と連絡取ったり、友達と連絡取ったり、学校から連絡来たり、
就活中の企業からメールきたり、バイト先の店長から電話来たり、大変でした。
私は関東圏の出身だけど、たまたま母方の親戚が宮城にいる予定だったらしく、
親戚中総出で連絡取ろうと必死になったら、
親戚はなんとたまたま予定が変わってまだ都内にいることがわかって、
急に力の抜けた母親が泣いてたりして、なんか、とにかく大変でした。
時間が経てば経つほど被害が明らかになっていって、被害規模が恐ろしく拡大していって、
そして、1日もしないうちにネットやテレビで地震の情報が溢れてきて、
被害を報道したり、原発のこと議論したり、海外のメディアがどう日本を見てるかとか取り上げられたり、
時間が経てば経つほど、もっともっとすごいことになってきました。
都内でも人で道が溢れてたり、公衆電話にものすごい列が出来たり、
普段行かないような町の電気屋さんみたいなとこにも買い物客が増えて乾電池無くなってたり、
NTTだけでなく、携帯会社でも伝言ダイヤル色々設置したり、レストランが無料で食べ物配ってたり…
そして今日知ったんですが、ツイッターとか、グーグルとか、情報のまとめサイトもどんどん出来てるらしい…
これはすごい・・・と思って、Google Crisis Response見てたら、「消息情報」ってのを見つけました。
名前を入れると、消息不明の人のリストが出てくるらしいんです。
あの人は、そういえば、福島の人だ・・・・
人生のいたずらか、何かわからないけど、先週知ったその人は、被災したのだろうか・・・と頭をよぎりました。
偽名だけだったら調べようもなかったはずだけど、
でも家族でもなんでもない私が、その人の安否を「調べる」ことって、してもいいのかな・・・・
仮に、不明って出てきたらどうする?
・・・・どうにもしようがない・・・
名前が出てこなかったら?
・・・・・・無事なんだろうとホッとする?
調べる理由が私には無いはずでした。
だけど・・・・・
調べてしまった・・・
一度でも顔を合わせたその人。
私の中に入ってきた人。
遊びのつもりが、私がまさか、「さいごのあいて」になっていたとしたら・・・・
そんなことが頭の中でぐるぐるまわって・・・、調べてしまいました。
Aはそこにいるのか・・・おそるおそる入力してみる。
のどがなんだか渇く。
目もなんだかしばしばする。
不意に携帯が鳴った気がした。見てみると何もなかった。気のせい。
首筋がなんだかゾッとした。これも気のせい・・・・。
一番最後のページまで見終わるのに、なんだか異様に時間がかかった気がした。
のんびり見てたつもりではないんだけど・・・・・・でも、そこにはAの名前は無かった。ちょっとほっとした。
理由は・・・わからない。何かが怖かった。あまりにも非日常すぎたからかもしれない。
ます田にこんなこと書いちゃっていいものか迷ったんだけど、ごめんなさい。
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「結局なんだそんなオチかよ」って感じですみません。
ただ誰にも言えなくて・・・でもどこかに吐きだしたくて・・・・・。
被害がこれ以上大きくならず、現地の復興が進むことを願ってます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
http://anond.hatelabo.jp/20090713004520
の具体例として書いてみる。
都内を走るのに、ロードよりのクロスがいいなと思って、さあ買いにいこうと思ってもやっぱり悩む悩む。
ので、いくつかよさげ、もしくは5万円付近で定番のものをリストアップしてみた。
ただ、言えることはどんなに悩んでも買ってから乗ってみるとめっちゃ楽しい。なのでこの中でもそうじゃなくてもいいけれど、なんでも買ってみるのをおすすめ。
そろそろこどもでもつくろうかなと思いこども相談センターに行った。
まずは与信審査のようなものがあり、本当に支払い能力があるのかチェックされる。
それが終わるとIDとパスワードが発行されるので、センターの端末だけではなく自宅からもサイトにログインして、登録された数万人の女性を選ぶことができる。
はじめは写真やプロフィールをひとつひとつ見て決めようと思ったのだが、プロフィールには年齢や血液型だけではなく、生い立ちから遺伝子解析結果まで載っているので、すべてを見るのはむずかしい。
そのため条件を入れてフィルタリングしてくれる検索や、こちらのパーソナルデータから適合度の高い女性をリストアップしてくれるマッチングなどを活用することになる。
結局、遺伝子の相性がいちばんいい相手を選ぶことにした。相手が決まるとセンターに精子を提出して終わり。後は10ヶ月後くらいに子どもが生まれ、センターが英才教育を施してくれるので、定期的に送られてくる映像を見るくらいだ。
自分で子どもを引き取るセンターもあるにはあるのだが、あまり評判は良くない。
男性が引き取ると養育費は浮くので安く済むのだがベビーシッターや保育所を活用してもやはり仕事の関係で上手くいかないことが多く、女性が引き取ってもひとり分の養育費だけでは足りないと次々に出産して種違いの兄弟が増えることでひとりひとりの教育が疎かになることが多い。
そのためセンター自体が教育を受け持つところがでてきた。平均年収、経歴、犯罪率の低さ。センターごとの追跡調査を見てみれば教育施設を持つセンターの有意差は一目瞭然だった。現在では教育施設を持つセンターが主流であり、このセンターもそのひとつだ。
そのおかげか、センター設立当初によく言われたこと、親権やこどもの人権に関する諸問題、あるいは人身売買の一種であるという批判もほとんどなくなった。
形式的に見てみればお見合い結婚したふたりがこどもを寄宿舎に入れるのとほとんど変わらない。男性の方だけにではなく、女性の方にも定期的にこどもの成長は送られてくる。今では相手の女性に同じ親としての親近感も抱いているほどだ。
独身と比べて大いに優遇される税制のためにこどもを作る人もたくさんいるらしいが、私は親になることのすばらしさという点でおすすめしたい。こどもを持つということはやはり良いことだ。すくすくと育っていくこどもの映像を見るたびにしみじみとそう思う。この充実した満足感は何ものにも代え難いものであると、そう思うのだ。