3年付き合って別れた人が毎年手紙くれてた。これからもよろしくみたいな内容のやつ。
まだとってある。
3通ある。
「嫌いではないけど、キミと結婚することが3年経った今でも想像できない。
はてブっていうのは、記事の拡散には意味があるかもしれないけれど、そのコメント自体に価値はほとんどない。
はてなブックマークでいちいち突っかかってくる奴がいるけれど、そいつらのコメントを見て何か得るものがあるかというと、正直これっぽっちも無い。
偉そうな「で、なんなの?」とか見当はずれの「つまり○○ですね、わかります」というコメント。
こういうこと書く奴は基本的に馬鹿だと思うし、実際たぶん馬鹿だ。
偉そうに人を否定するくせに、自分では何も生み出さないタイプの人間だ。
目ざとい記事を見つけては、何かとずれた観点でいちゃもんをつけたがる。
はてな初心者の頃は、「うわぁすごい人達ばっかりに絡まれた。まじでヤバイ」とか思ってたけど、実際大したことある奴なんていないからね。
99%は口だけの馬鹿。偉そうなだけで、実際何もできない屑だよ。
現実世界ではうだつがあがらず、ネットでしか怒りを発散できないタイプのアホだ。
お前らは、何かを自分で生み出しているのか?
お前らは、糞だって自覚してんのか?
何も生み出せないカスは黙ってろよ、クソが。
と言っても、馬鹿とゴキブリはどこまでもしぶとく湧いて出てくるから、俺ははてなブックマークのコメントは見ないことにした。
このやり取りもう何百回目かわからんが、ブコメは人に見られるために書いてるわけではないので、見たい人は見ればいいし、文句を言われても知らんよ
わざわざ「見ないことにした」なんて書いている時点で「顔赤くしてプルプルしているんだな」というイメージ以外もたれないのでやめとけ
ボケが。
「見られるために書いてるわけではない」とか言っても見えてんだよ。
「病院によっては、出産したその日はナースステーションで赤ちゃんを預かってくれるそうだ」
これが一般的になればいいって答えはもう分かってるんでしょ。
お疲れ様でした。
自分の知り合いは1歳になるまでずっと寝れずに、頑張って、そして鬱になっていきました。
愛情だけは母親並にたっぷり、でも育児の作業そのものはベビーシッターの仕事をしているように客観的にやるといいって言ってたよ
つまり、母親なのにできないとか、母親だからやらなきゃいけないという考えを極力捨てる。
育児はタスクであり、問題解決だと考える。親類やお金を払っての外部の協力なども躊躇しない
精神的に追い込んだところで生産性はそこまであがりません。これは仕事をみればわかりますね
母親の愛情がーと非難する関係のない他人は放っておきましょう。
目の前の問題を解決するのはあなたです。問題が解決しないことには注げる愛情も少なくなるしね。
285 ソーゾー君 [] 2013/10/15(火) 07:59:38 ID:UH88VKl2 Be:
非課税団体なのだぜ?
つまり「集めた金が幾らで何に使っているのか不明瞭」なのに資金繰りが厳しい?
目的は明瞭化だアホ。
↑こんなもん常識だろ?この癒着を無くすことが目的なんだよアホ。
て言うか宮司っているよな?アイツ等を誰がどのように任命してるんだ?
神社となった土地は無税となり任命された宮司=神道=宗教団体の持ち物になる毎年町内会から金を徴収する。
そして神社の建物と土地の整備は町内会や市や県や国や企業や個人が人や資金を出す。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
働く女性が増えているとの番組が多いですが、子どもの思いが1つも取り上げられない事が、悲しいです。
保育所を増やすばかりが重要と、声高に語る政治家や企業。生まれる前から預ける事しか頭にない母親。せめて、自分の思いを言葉にできる小学生位まではゆっくり過ごしてはいけないのでしょうか?長時間預けられている子どもはゆったりした家族の時間を知らずに育っていくのでしょうね。病気の時まで預けられ、親子関係が益々希薄になりそうです。乳幼児が振り向いた時に、そのまなざしを受けとめてくれるのは親ではなく保育士なのですね。寂しく思います。
番組内で働く女性を「両立」と表現していましたが間違いと思います。保育園に預けた段階で「両立」ではありません。一日の大半は保育園でその間は子育てしていないのですから。預ければ母親と接するのは子供の起きている間で2、3時間程度です。
それを「両立」と表現されては、一日中、大変な子育てを自分でしている母親に失礼です。
子育ては立派な仕事です。自分で子育てしている母親は、お金を稼ぐお勤めをしていないだけで、仕事はしているのです。
私は元小学校教員です。授業を妨害したり思春期になったらこの子は大丈夫かな?親は何も気づいていないけど・・・という子供は父親の収入で生活できるのに、母親が外でお勤めをしたくてしている子が大半でした。例外は祖父母と同居、またはすぐ近くに住んでいて「おばあちゃんがお母さん」になっている子でした。やはり、健やかな子育てには子供を第一にする大人が誰か必要なようです。
派遣社員として働いてる人達にアンケートに答えて貰うという奴。質問内容自体は客が用意したもので、トータルで500人くらいから回答があった。その一部が以下。
「派遣先で業務上発生している問題やトラブルに対して、有効な解決案を思いついた、あるいは事前に知っていた事がありますか?」
はい→74%、いいえ→16%、その他(分からない、回答無しなど)→10%
「前段で『はい』と答えた方に質問です。その場合、その解決案を派遣先に提案していますか?」
はい→14%、いいえ→70%、その他(分からない、回答無しなど)→16%
「前段で『いいえ』と答えた方に質問です。提案しなかった理由は何ですか?」
・提案しないよう指示されているから→15%
・その他→23%
…という結果が出てきたので、派遣社員のノウハウは宝の山ですぜ旦那ァ!、みたいな所感を添えて提出したら、これらの部分だけが削られた状態で採用されていた。
妊娠前は深夜帰宅のそこそこ激務なIT系ブラック企業に務めていて
学生時代にはスポーツをしていたから、心身の健康にはまあまあ自信があった。
私は健康優良妊婦だった。つわりは人並みにあったものの、血液検査の結果も尿検査の結果も毎回良好、血圧も正常。
陣痛は、予定日を3日過ぎた日の夜中にはじまった。
陣痛は、私のちんけな想像をはるかに凌ぐ、ものすごい激痛だった。
痛みの感じ方には個人差があるというが、私にとっては鋭いナイフで下腹部をえぐられているかのような痛みだった。
はじめは軽い腹痛みないなものなのだが、時間経過とともにどんどん痛みが増してくる。
脂汗が全身から吹き出し、痛さからなんとか逃れようと、体が勝手にのたうちまわる。
陣痛のピーク時には、あまりの痛みに気絶し、また痛みで覚醒する、というのが数十秒〜数分ごとに数時間続く。
本当に地獄だった。
見ていた実母が言うには、私は白目をむいていたらしい。
あとから見たら自分の腕が傷だらけだった。こぶしを握っていた手のひらからは、血が滲んでいた。
永遠に続くかと思われた陣痛を超えて、分娩台に移動し、死ぬ思いで我が子を産み落とした。
でも想像してほしい。8時間もの間、一昼夜を越して不眠不休だ。
食べ物は一切口にせず、激痛に体をこわばらせ、死に物狂いでお腹から3キロの塊を出すのだ。
産んだあとは骨という骨がきしみ、体中が鉛のように重く、分娩台から上半身を起こすことさえできなかった。
どこにも力が入らないのだ。
助産師の手を借りて体を起こすと、頭がふらふらとする。
自力ではとても歩けなかったので、分娩台から長い時間をかけて車椅子に乗せてもらった。
その後、入院する部屋のベッドに寝るまでの間、トイレで二度倒れた。
猛烈に体が疲れていた。こんなに疲れたのは生まれて初めてだと思う。指一本だって動かすのがおっくうだ。
体中が汗と血でベトベト、身をよじりまくっていたおかげで、髪の毛は鳥の巣のようだった。
股間は麻酔が効いていたが、鈍い痛みが続いていて、姿勢をかえることすら一苦労だった。
前日から何も食べてないし一睡もしてないし、とにかく疲れきっていて、ゆっくり寝たかった。
だけど、産んだ直後から、母子同室で3時間おきの授乳が始まった。
分娩台で1時間休んだあとは、すぐ個室で赤ちゃんと二人きりにされた。
ゆっくり寝ることも体を休めることもできないまま、ハードな育児の始まりだ。
こんなにボロボロに疲れているのに、すぐとなりに、かよわく、自分で首一つ動かせることもできない赤ちゃんがいる。
「私はゆっくり休んではいけないんだ」という暗い事実は、くたくたの私にとって絶望だった。
この体中の疲労に身を任せた瞬間、赤ちゃんに何かがあったら。この子の命は、この精魂尽き果てた自分次第なんだ。
体中の疲労とともに、ヒリヒリするような緊張感と責任感が重くのしかかった。
産んですぐに母乳がでるお母さんは、実は少ない。
赤ちゃんに吸われることで、それが刺激となって脳内ホルモンが乳房に働きかけ、母乳が出るようになるという。
だから、でなくてもとにかく3時間おきに赤ちゃんに乳首をくわえさせなくてはいけない。
でも、産まれてすぐの赤ちゃんは吸いつく力も弱く、「吸う」こと自体がとても下手くそだ。
赤ちゃんの位置、乳首との高さの調整、手の置所、クッションや座布団をいくつも使って、位置を調整しながら、汗だくで吸わせる。
まごまごしながら右の乳首をどうにかくわえさせる。吸い付いたと思うとすぐに口から外れてしまう。またくわえさせる。また外れる。
そのうち疲れて赤ちゃんが寝るので、起こす。
今度は左右逆のおっぱいだ。
左を吸わせて、おしめを替えて…これでもう一時間だ。
体中が悲鳴をあげていて、眠たくて眠たくて頭が割れそうに痛くて、貧血でふらふらするのに、寝る時間は二時間しかない。
横になる。
すぐには寝付けない。
三十分ほどでようやく眠りにおちる。これで一時間半。
さあ、もう一時間半たった。睡眠時間一時間半で、赤ちゃんが泣く時間だ。
これが朝まで繰り返された。
初日の夜を超えた時点で私の疲労はマックスをとっくに超えてた。
授乳の合間の2時間以下の細切れ睡眠しかとっていないまま、迎えた朝。
翌朝は6時に検温があり、9時に朝食があり、合間に授乳をする。
何をするにも体中が痛くて、だるくて、眠くてたまらず、すごく時間がかかる。
12時にお昼があり、見舞いにきた実母に子を見てもらってる間に急いでシャワーを浴びて歯を磨く。また授乳。
たまった洗濯物をランドリーで洗う。戻ると検診がある。担当の看護師が交代したとかで挨拶がある。また授乳。
赤ちゃんの顔を見に見舞い客がある。相手をする。帰る。洗濯物をとりに行く。
また授乳。
昼はまとめて寝るどころか、横になる時間もろくにとれない。
ねむい、ねむい、ねむい、ねむい…
横になりたい。ゆっくり、ぐっすり寝たい。お願いだから起こさないで。辛い。辛い。辛い。
横になれない。眠れないし休めない。
昼間はろくに眠れない。寝れなかったことに猛烈に焦る。そしてまた夜が来る。
深夜の授乳は鉛のように体が重い。
赤ちゃんは相変わらず上手に吸えないのに、乳首がめちゃめちゃ痛くなってくる。
例えるなら、尖った爪で皮膚をおもいっきりつねられているような痛み。
乳首が切れて血が出てくる。
それなのにそこを吸わせなくちゃいけない。
傷口に鋭い爪がたてられるよう。
授乳のたびに歯を食いしばって、息をのむ。叫びだしそうな痛さに耐える。
出がよくないからマッサージもされる。これがまたすごくすごく痛い。
赤ちゃんがゴクゴク、と美味しそうにおっぱいを飲んでるのが見える。
幸せそうに微笑んでそれを眺めているお母さん。
我が子はおっぱいを一滴も飲めず2日目。産まれてからまだ何一つ口にしていない。
何も飲まなくても3日は胎内にいたときの栄養が残っているから大丈夫だという。
でも、赤ちゃんは日々痩せてる。お腹がすいて泣いてる。まだ産まれてたった2日しかたってないのに、飢えて泣いてる。
大人だって2日くらい食べなくたって死なないけど、すごく辛いよね。
こんな小さな我が子が空腹に耐えてると思うと、切なくて切なくてたまらない。
隣の子はお腹いっぱいで満足して寝てるのに、私の子は空腹に泣き疲れて眠ってる。辛い。眠い。
体中がふらふらして頭がぼーっとする。見舞いに来た夫や実母にひどい態度をとって、ケンカをしてしまった。
看護師が心配して「何か悩み事があったら相談してくださいね」と言う。
「ただ寝たいんです。」
と言いたかった。でも他にもたくさんのお母さんが寝ずに赤ちゃんを見ていて、そんな情けないことどうして言えるだろう。
哺乳瓶でおそるおそるあげると、手をグーにして、目を大きく見開いて、必死に飲んでる。
飲んでる姿を見て涙がとまらない。
飢えさせてごめんねという気持ち。やっとお腹を満たしてあげられるという満足感。
おっぱいが出ない敗北感と屈辱と疲労と、いろんな気持ちがないまぜになる。
4日め、私はもうボロボロだった。見舞いにきた妹に顔を見て絶句された。
赤ちゃんにはミルクを与えることになったものの、母乳への刺激をなくしてはおっぱいが出なくなってしまうため、
つまりは今までのおっぱいとの格闘に、ミルク作りがプラスされて、授乳にもっと時間がかかるようになったのだ。
その分削られるのは眠る時間。ただでさえ1時間半しか眠れないのに、もっともっと眠れなくなる。
でもふらふらで、眠さとだるさは蓄積されて楽になるどころか、いっそう辛くなる一方だった。
とにかく体がしんどくて、ほとんど何も考えられなくなっていた。拷問みたい。
ただひとつ、「ねむい」という欲求だけが、こびりついて離れない。
鏡の中の自分は、真っ青で目の下にくっきりクマができて、10は老けたように見えた。
何もしてないのに、涙が出てとまらない。赤ちゃんがなんだか恐ろしい。かわいいのに、愛しいのに、何より恐ろしくてたまらない。
だって、まだたったの4日め。長く長くいつ続くともしれない育児の、たった4日めなのだ。
このしんどい日々が延々とこれから続く。こんなに疲れてるのに、ぐっすり眠ることの許されない日々が待ってる。
5日め。私は退院を迎え、自宅に戻った。
産後は実家で1ヶ月お世話になったが、こんな調子が2週間続いた。
むしろ、病院では哺乳瓶を洗ったり消毒したりするのは病院がやってくれたから、その分の仕事が増えてますます眠れなくなった。
赤ちゃんが泣く→起きてミルクの支度をする→ミルクを人肌に冷ます間におっぱいを吸わせる→
搾乳した母乳を与える→ミルクを与える→げっぷをさせる→寝かしつける→
たとえば寝かしつけに手こずったり、オムツからウンチが漏れて着替えさせたりなど
何かアクシデントが発生すれば、眠れずに次の授乳時間になることも珍しくなかった。
日に日に、赤ちゃんを見ても可愛いより何より、ただただ、怖い気持ちが蓄積されていく。
赤ちゃんが怖いのに、離れるのはもっと怖い。何かあったらどうしよう。
30分の睡眠は、いつも悪夢を見た。赤ちゃんを落とす夢、踏んでしまう夢、誰かに連れて行かれる夢。
今思うと完全な鬱状態だった。
生まれてから14日めの夕方。
赤ちゃんと二人きりになるのが恐ろしいと、実母の前で号泣した。
陣痛のあの夜から2時間以上眠っていないこと、眠くて眠くてたまらないこと、
夜になるとまた今晩も眠れないと思って焦りと不安で動悸がしてくること、
こんなに体中がふらふらなのに赤ちゃんに何かあったらどうしようかと想像すると恐ろしいこと、
かわいいより赤ちゃんがとてもとても怖い存在に思えること・・・・
泣いて訴えながら、睡眠不足がつらくて赤ちゃんが怖いなんて、自分は母親失格だと思った。
世間のお母さんがみんなできていることができないなんて。
母親なのに、情けなくて仕方がなかった。
その夜は両親が赤ちゃんを一晩みてくれ、私にゆっくり休むよう言ってくれた。
15日目の朝は、驚くほど気持ちが落ち着いていた。
その後の日々は、私の両親はもちろん、夫も毎晩仕事帰りに車を飛ばして会いにきてくれ、手伝ってくれた。
それから、母乳マッサージに通った結果、母乳が十分量出るようになって、
ミルクをあげなくてよくなったため、深夜に哺乳瓶を洗ったり、消毒したりということから開放された。
三ヶ月たった今でも、産後からの2週間のことを思い出すと、絶望感でいっぱいになる。
あのころ本当にただただ寝たくて、寝たくて、
それなのに「もしこの子に何かあったら」ときう緊張感で常に気が張っていて、目を離すのが恐ろしくてたまらなかった。
そのうち、「もしこの子に何かあったら」「病院に入院することになれば」
「そしたら眠れるな…」と考えたことがあって、ゾッとした。
もちろん、あくまでこれは個人的な体験だ。
でも、多かれ少なかれ多くのお母さんに共感できる部分も多いはずだと思う。
もし里帰りしなかったらどうなっていたことか。
私の出産は初産の平均時間12時間より短かったけれど、精も根も尽き果てた状態で育児がスタートしたのがよくなかったと思う。
病院によっては、出産したその日はナースステーションで赤ちゃんを預かってくれるそうだ。
私も、出産後1日でいいからゆっくり眠れていたら、その後に2週間は違ったものになっていただろう。
今は、子はあやすとニコニコ笑って、母乳も順調だ。夜は相変わらず3時間で起きるけど、体が慣れた。
やっと我が子がかわいく、愛おしく見える。
でも、我が子がとても恐ろしく見えた産後2週間のことが忘れられない。
店員であればどんな人でも誰でもカリスマ店員でっす。キリッ.
ジョジョに習ったに決まってんだろ
そりゃ、心の遭難ですね。
救助方法は、周囲への歩み寄りです。
年を取ると不器用なヤツは惨めになる確率が高いので、早めの治療をオススメします。
・
つうか、バカになれないと逆に間抜けだよね。
火事の夢を見ました。
僕が巨大なミサイルをビルに向かって水平よりちょっと斜め上に向けて発射し、
と思ったのも束の間、次の瞬間には窓から炎が勢いよく噴き出してきました。
その後、場面が変わり、今度は実家のある住宅街を上空から見下ろしている場面でした。
自分の家の右屋根あたりが燃えていて、二軒隣の家も一部がぼおぼおと燃えていました。
さて、この夢は何を意味しているのでしょうか。
調べたところによると、吉夢とのことですが、近々、仕事で大きな取引になりそうな案件があります。
それとも宝くじでも買っといた方がいいのかな?