はてなキーワード: 知的障害者とは
朝、バス停でよく見かける親子(たぶん)がいる。おそらくお子は知的障害者だ。いつもベンチに座ってバスを待っている。私は離れたところで立ってスマホを見ながらバスを待っている。
ある日、いつものようにスマホを見てバスを待ってたら誰かに蹴られた。え?と思った瞬間、「やめなさい!」と母親らしき人が止めに入った。全然痛くなかったがすごく驚いた。ベンチに座っていたあの子だった。何かに苛立っていたらしく喚いていて、今度は母親らしき人を殴ったり蹴ったりしていた。母親らしき人は叫びながら地面に転がった。すごくびっくりしたし、本当にどうしていいかわからなかった。それからバスはすぐにきた。二人はバスに乗った。私も乗った。バスの中でもその子は母親らしき人を殴っていたけど、わりとすぐに落ち着いたようだった。
こういう時はどうしたらいいんだろう、私に何ができたんだろう、お母さん大変だな…とずっと考えていた。
そして数日後、いつものようにスマホを見ていたら、その子に今度は殴られた。全然痛くなかった。お母さんが「すみません!」と叫んでお子をわたしから引き剥がした。痛くなかったけど怖かった。バスはすぐに来た。バスの中でお子は大人しく座っていた。
実は何か月か前にバス停で資料を読んでいたら、その子が「紙ほしい!それほしい!」と私に駆け寄ってきたことがあった。それを含めると3回目になる。ロックオンでもされたんだろうかと思った。バス停にはだいたいいつも他にも人がいたから。そして今回も、お母さん大変だな…と思った。
とりあえずバスの時間を変えることにする。もしバス停に行った時あの子がベンチに座っていたら、できるだけあの子の視界に入らない位置でバスを待とうと思う。
でもまた殴られたり蹴られたりしたら、一体どうしたらいいんだろう。
子供が欲しい。
いっそ子供が欲しいとと思う人たちは無性生殖出来て、自分の子供が持てるようになればいいのにと思う。
結婚する前から、私は子供が欲しくないという話をしていて、夫もそれに理解を示してくれていた。
しかし、歳をとるにつれ、周りの友人たちに子供ができるのを見て、子供が欲しくなったらしい。
「子どもと自分の趣味をやりたいんだ。別れるなら早い方がいい」
そう言われた時に、今まで彼に抱いていた情と呼べるようなものがあっさりと消え失せた。
私には妹がいるが、高度な知的障害者だ。
その知的障害は遺伝的な要素が強く、私が子供を作れば私の子供にも遺伝する可能性がある。
そんなことを言えるのは、育てたことがない外野か、聖母のような優しい心を持っている人か、余裕がある人間か、強がりかでしかないと思っている。
私は母が苦労している姿を近くで見ていた。
父のことを軽蔑しているわけでも嫌いでもないが、今考えれば父は育児を放棄していたようで、母がひどく苦労していたのを知っている。
働きながら重度の知的障害者を育てる人も沢山いるだろう。重度の知的障害者が身内にいて、それでも子供を作ろうと決心する人もいるだろう。
決してその人たちを非難するわけじゃない。
寧ろ、その人たちはなんて凄いのだろうと思う。
しかし、いざ自分でやれと言われればそれが苦行としか思えない。
私は私が一番可愛いのだ。
元々人と一緒にいるのがそこまで得意な方ではなかった。
一人でいる時間が好きだった。
少々忙しいが、同世代よりもやや高めの給与をもらっており、クビになることもそうそうない仕事のため、一人で暮らすのに困らない。
コロナ禍前は一人でバーに行き美味しい酒を嗜んだり、一人旅行もしており、一人でも満たされる。
詩を書くのが趣味で、文芸フリマ等での知人たちと話している時間がとても楽しい。
では、子どもができた時、この生活は出来るのか。答えはきっと否だろう。
きっと子ども中心の生活になり、私が今までやれてきたことは出来なくなる。
その上、上記のとおり、私の子どもは高確率で知的障害者になる可能性が高い。苦労はどれほどだろうか。
私はこの穏やかで楽しい生活を犠牲にしても子どもが欲しいとは思えない。
子どもが欲しいという人に、なぜ欲しいのかと聞いたことがある。
老後を見てもらうため。一人は寂しいから。愛する人の遺伝子を残したい。自分の存在を後世に伝えていきたい。子どもに習い事をさせたい。
どれもこれも、私にはピンとこない。
老後は老人ホームに入れば良いし、一人は苦痛ではない。遺伝子については上記の通り。子どもに習い事をさせたいなど、子どもを単なる親のおもちゃとして見ているようにしか思えない。
私の職場では子どもが欲しいという人は、女性よりも男性の方が多い。
職場の先輩は「産むことができないからこそ、子どもが欲しいとなお強く思ってしまうんだ」と言っていた。
それなら、いっそ無性生殖して子どもが作れるようになればいいのにと、子どもが欲しくない私はそんなことを取り留めもなく思うのだ。
ポリコレ的にマズいことが書かれていると、いずれかの方面からは誰かが叩くこの時代
江ノ電ニキの事件以降、「撮り鉄の多くは発達障害や知的障害があるから他人に迷惑をかける」という言説をよく見かけるようになったが、特に叩かれていなくて不思議
まぁ、オレも君の言いたいことわかるよ。もともと、国立医学部に行きたかったのだけど、ADHD でセンターが9割取れなくてさ。時期としては、2014年より前だと思ってくれ。毎日、朝から晩まで勉強漬で過ごして、毎年 8割前半しか取れなくて、二次の偏差値も河合塾で60前半だったから、挽回もできないまま毎年 不合格だった。その時期に、ちょうど毎日新聞が「リタリンの危険性」を大々的に報じたせいで、ADHD なのに治療法がなかったから治療できなかったのよね。色々とフリーターをしていて、成人向けコンサータが承認されて、服薬してセンター試験を受けたら「英語 192+46、国語 162、倫理・政経 91、理科2科目 9割、数学 8割」ぐらい取れてしまって、本当にショックだった。あぁ、自分は本当に知的障害者なんだなと自覚したわけど。まぁ、そういうのがあってから、人間の脳なんて化学反応だと思ったけど、こんな思いは次世代からはしてほしくないよね。