はてなキーワード: 口ベタとは
30代半ばの男。
起業直後はモチベーションの塊だった。サラリーマン時代から仕事大好き人間だったけど、会社を作ってからは更にやる気がみなぎっていた。
自分でパワポに描いたとある商材の購入サイトの概要図(落書き)を持って、上場企業へ電話アポ→会ってくれた人に「こんなん作りたいんで、広告出してください」とお願いした。
営業の経験なんかなかった。元々事務職で口ベタ、さらに人付き合い苦手で内気な性格だが、やらなきゃならんという覚悟と異常なモチベーションがあれば突っ込んでいけるもんだ。
会ってくれた人から「パワポだけじゃわかりません。今、デモサイト見せてください。」と言われ、「システムはこれから作ります。デモはそれまで待ってください。」とカミカミで返答したときの呆れられた顔。静まる室内。緊張感。でもひるまなかった。大きな問題なんかないんだ、あっても何とかする!前に進むことしか考えられないバーサーカーのような状態だった。
こうして勢いだけでなんとか最初の難関「営業」が終わった。
何社か回ったうち、数社から好感触を得たのでサイトの開発に着手した。といっても開発の経験なんかない。調べたところ、WordPressとRuby on Railsというのを使えば求めているサイトが作れるようだ。お客さんには開発に数ヶ月かかると伝え、WPとRailsについて最低限の勉強をした。そしてWordPress、Rails、それぞれの開発で有名な人に少しだけ時間をもらって話を聞きに行き、判断に迷う部分の方針を確定させた。そこからガリガリ開発して、必要最小限のシステムが完成した。サイトが流行るかわからんのだから、最初は最低限でいいんだ、という考え。お客さんには予定どおり開発が終わりましたと伝えたが、スケジュール的にはギリギリだった。というかRailsがわからなくて開発自体できないんじゃないかと思う瞬間が何度かあった。しかしバーサクがかかって喰う寝るタレる以外はずーっと仕事に打ち込んだ結果、なんとか開発はできた。これで第2の関門「システム開発」が終わった。
そしてめでたくシステム運用開始&サイトオープン(サイトはWordPress、連携して動くシステムがRails)。
一日のアクセス数が○件で、そのうち○パーセントがコンバージョンして...と皮算用していたが、実際には全然コンバージョンがなかった。
そこから色々とWebマーケ的な工夫をしたが、結局「そもそも需要が少ない」という根本的な問題の前では、枝葉の工夫など無意味に等しかった。
商材のサイトは失敗した。だが会社の売上を上げなければならない。そこから最初のサイト+システムのビジネスモデルとは全然無関係な仕事を探し、やれそうなことはやってみた。そうしているうちに、当初考えていたビジネスではなく、注文を受けて何かをやる、代行業のような商売がメインになった。
そのうち、商売では何が必要なのか?どうしたらお金を出してまでやってほしいと思われるのか?ということが見えてくるようになった。同時に、先のサイトでのビジネスが失敗した理由と、成功させるために必要なステップを飛ばしていたことに気付いた。また、新たにビジネスをつくるには、"事前に"人を巻き込むことと、そして...ここぞというときにギャンブル(まとまった投資)をしなければ次の段階にいけないことに気付いた。人を巻き込むこととギャンブル。どちらか一方じゃなく、両方必須。だがどっちも本来の自分の性格には合わない。ここでふと自分の限界が見えてしまった。
起業当初は無知ゆえに、小さいサイトを金かけずに一人で作ってコツコツやればいつか認められ拡大していけるような気がしていた。そんな可能性を夢見て、様々なビジネスアイディアを手帳に書いてはモチベーションが上がっていたが、今じゃアイディアを見ても自分にはできないと無意識的に判断してしまう。そのアイディアをビジネス化するのに必要な人間関係の構築。取るべきリスク。この2つが頭に浮かぶと、(自分には)できない、という結論になってしまう。
いつのまにか"できること"から発想するようになり、平々凡々とした仕事だけするようになってしまった。
そんな日々を送っていたら、起業当初のモチベーションが消えていた。変に知識がついたせいか、期待感・高揚感より、実現するためのステップやリスクが頭をもたげてくる。今じゃアイディア勝負なんかやる気がしない。現実的に売上が上がることしかやる気がしない。
何のためにわざわざ会社つくったんだろ。この先どうしようか。
http://anond.hatelabo.jp/20090113030035
話題が豊富に思える人であっても所詮人間、本当に興味がある分野は限られている。まあリア充とか言われて楽しそうに話しているように見えても実際はけっこう相手にあわせているだけって事はよくある。
口ベタでうまく乗ってこない人ってのは「あわせてくれない人」というだけであって、うまく話を合わせられても本当にそれが楽しいかどうかはけっこう疑問だよ。表面上盛り上がっているように思えるけどね。
相手がスポーツの話題を振ってきても、スポーツの話がしたいんじゃなくてスポーツならたいていあわせてくれるんじゃないかな?と気を遣っているだけかもしれない。
まあみんな沈黙が怖くて耐えられないだけだよ。沈黙OK、ってな雰囲気は実はリア充でもラクなのよ。
とまあ、相手のことに気が回るようになれば、自然とラクになるよ。
英語って話すだけじゃないとおもうが。
英語が話せるってことは読み書きも出来ることを意味する。英語が話せないと読みはまだしも英作文がまともに出来ないと思う。
それだけでもかなり意味があると思うのだが。
俺はバカで日本語がまともに話せない。勉強が出来ないというわけではないが、会話が下手。
これまたシャイだからとか社交性が低いとかいう意味ではなくて、すぐ主語が抜けるし敬語も正しく使えないし人に何かを説明するのもすごい苦手で、
いつも相手にたいへんな思いをさせている。人から聞いたおもしろい話も、俺が他の人に話すとなると最初に俺が聞いた時のような笑いが起きない。
そんな俺が今英語勉強してるんだけど、このまま勉強しまくって英語をまるで日本語を話すように簡単に操れるレベルになったとしても、
到底うまく話せるわけねーじゃんという絶望の壁がちらちら視界をよぎるのであります。考えたくないけれど、不安がよぎるのであります。
自分はこのまま勉強を続けてその壁にぶち当たってしまった場合、とても耐えられそうにありません。たぶん泣く。
それでも英語をやるべきだろうか。
どんな口ベタでも人前で100回喋らせれば、それなりに喋れるようになるもの。
つまり「説明能力が高い」というのは後から載せることのできる出力用の補助装置なわけで、つまりグラボということでどうでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061117/1163726155
http://zeromemory.sblo.jp/article/1741593.html
上記2サイトとかで、コミュニケーション論論争を行っているけど、
両方ともコミュニケーションもしくは会話の側面の一部しかみてないような気がする。
会話には(思いつく限り)3つの側面がある。
一つは、「情報伝達の手段」。つまり何か伝えたい内容を相手に伝えるということ。
二つ目は、「象徴交換」。会話のメッセージ内容は全く関係なく、ただ単にメッセージというシンボルを「交換」しているだけのもの。
高校生のメールのやりとりとかこれに当たる。メールを送って、帰ってくることを確認するっていうことで、まだ友達だっていう風に認識する。
会話も全て同じ。あいさつなんてその典型。メッセージ自体には何の意味もない。メッセージを交換することに意味がある。
三つ目は、「相互反映的な創造」。会話をしている時に、思いもよらなかった方向に進んでいって、全く新しいアイデアが思い浮かぶっていうことは良くあると思う。
そういうアドリブのやりとりという相互行為によって、生まれるようなコミュニケーションとは、一つめの「情報伝達の手段」とは違う。
一方通行ではなく、相互行為。しかも単なる意思疎通ではない。自分の伝えたいことさえ変わっていくような変化。それが「相互反映的な創造」。
コミュニケーションの楽しさは後ろの2つによって生み出される。
「象徴交換」も「相互反映的な創造」も情報伝達がうまければうまくいくってわけじゃない。
口ベタでも友達が多い人ってはかなりいる。コミュニケーションには、シンボルをたくさん交換して、一方通行ではない相互反映行為をするってことが重要だ。
そういう意味ではコミュニケーション能力が高いとは「情報伝達がうまいこと」でも「空気が読めること」でもない。
(就職活動とかで言われるようなビジネスにおけるコミュニケーション能力はこれだけかもしれないけど。)
それ以前に、コミュニケーションが苦手なオタクの人は、メッセージを交換することに臆している場合が多いんじゃないのかな。
もしくは共通の話題を持っていなくて、メッセージを交換しようにも交換できない場合が多い。
空気を読む努力とか、情報伝達能力を高める努力だとかする前に、
人と同じものに興味を持って、びびらずに色んな人に話しかけることができるようにした方がいいよ。
した方がいいって言われてもできないものなんだけどさ。