2006-11-18

乗り遅れたので、ここでコミュニケーション

http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061117/1163726155

http://zeromemory.sblo.jp/article/1741593.html

上記2サイトとかで、コミュニケーション論論争を行っているけど、

両方ともコミュニケーションもしくは会話の側面の一部しかみてないような気がする。

会話には(思いつく限り)3つの側面がある。

一つは、「情報伝達の手段」。つまり何か伝えたい内容を相手に伝えるということ。

二つ目は、「象徴交換」。会話のメッセージ内容は全く関係なく、ただ単にメッセージというシンボルを「交換」しているだけのもの。

高校生メールやりとりとかこれに当たる。メールを送って、帰ってくることを確認するっていうことで、まだ友達だっていう風に認識する。

会話も全て同じ。あいさつなんてその典型。メッセージ自体には何の意味もない。メッセージを交換することに意味がある。

三つ目は、「相互反映的な創造」。会話をしている時に、思いもよらなかった方向に進んでいって、全く新しいアイデアが思い浮かぶっていうことは良くあると思う。

そういうアドリブやりとりという相互行為によって、生まれるようなコミュニケーションとは、一つめの「情報伝達の手段」とは違う。

一方通行ではなく、相互行為。しかも単なる意思疎通ではない。自分の伝えたいことさえ変わっていくような変化。それが「相互反映的な創造」。

コミュニケーションの楽しさは後ろの2つによって生み出される。

「象徴交換」も「相互反映的な創造」も情報伝達がうまければうまくいくってわけじゃない。

口ベタでも友達が多い人ってはかなりいる。コミュニケーションには、シンボルをたくさん交換して、一方通行ではない相互反映行為をするってことが重要だ。

そういう意味ではコミュニケーション能力が高いとは「情報伝達がうまいこと」でも「空気が読めること」でもない。

就職活動とかで言われるようなビジネスにおけるコミュニケーション能力はこれだけかもしれないけど。)

情報伝達はコミュニケーションの一側面でしかない。

空気を読むっていうことも情報伝達もしくは受容の一部。

それ以前に、コミュニケーションが苦手なオタクの人は、メッセージを交換することに臆している場合が多いんじゃないのかな。

もしくは共通の話題を持っていなくて、メッセージを交換しようにも交換できない場合が多い。

空気を読む努力とか、情報伝達能力を高める努力だとかする前に、

人と同じものに興味を持って、びびらずに色んな人に話しかけることができるようにした方がいいよ。

した方がいいって言われてもできないものなんだけどさ。

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