はてなキーワード: オフィシャルとは
「人それぞれ」と、何かあるごとに言う人がいます。言う人は、どうやらこれを「他人に対して柔軟で寛容な考えかた」だと思っているようですが、それは大きな間違いです。「人それぞれ」というのは非常に危険な言葉なのですから。そのわけを説明します。
まず、「人それぞれ」と口にするのは、どんなときでしょうか。それは、誰かとの間で意見が割れたり、衝突したり、とにかく相手の考え方が理解できなかったりするときでしょう。大げさに言えばそれは、「他者」との出会い、異文化との接触、の場面です。
しかし、考えてみてください。異文化との接触において必要なこととは何でしょうか。「柔軟性」?「寛容さ」?確かにそれらは必要です。しかし、それはあくまで「手段」ですね。柔軟で寛容な態度が求められるのは、それが相互理解のために必要だからであって、真の目的はその「相互理解(その結果としての両者の平和的共存)」なのではありませんか。
もちろん、異文化の間に完全なコミュニケーションが成り立つというのは、まあ幻想です。最後の最後、越えがたい壁は残りますね。そして、それでもこの狭い星の上で、相互に平和的に共存する道を模索しなくてはならない私たちは、理解しがたい相手との間に、「私たちは互いに相手を理解できないが、その一点においてのみ同意しあえる」という極地の理解に至ります。それがすなわち「人それぞれ」という言葉に象徴される事態です。それは、人間が最後の最後に発揮できるやさしさであり、つまり、最後の最後、絶対の理解不能地点で用いられる、最後・最大限の相互配慮なのです。
ですが、この言葉は最近ずいぶんと軽く、かる~く、用いられています。ひどいときには、人は、他者・異文化と出会った瞬間、抜き打ちのように「まあ人それぞれだから」という言葉を発し、それによって最初から相手に関する一切の理解を拒絶するのです。「人それぞれ」だから私はあなたを理解しない、あるいはあなたに理解してもらうための努力を放棄する、いわばその言い訳として「人それぞれ」という言葉を使っている。そんな風に使われる「人それぞれ」は、他者に対する柔軟でも寛容でもなく、むしろ積極的な他者の排除とディスコミュニケーションのための隠れ蓑に過ぎません。
「人それぞれ」という言葉をかる~く使う人は、その言葉で実は相手を自分の人生から切り捨てているのです。これは、優しさに見えて実は冷たい「人それぞれ」です。道ばたに倒れている人の横を素通りする際に、「まあ道を歩くのも寝転ぶのも人それぞれだから」とか言ったら、さすがにおかしいと気付くでしょうが、実際にはそれと同然な「人それぞれ」を、いろいろなところで見受けます。
相手がどのような立場・状況の中で、どのようなコトを考えて生きてきて、どんな経験をして、今そのように考えているのか、そしてそれは自分の人生や経験とどのように異なるのか、両者の意見に妥協点や共通点、接点は全くないのか、それを確認するためにはどのような努力や試行が必要か……「他人同士理解なんてできない」とものごとを一瞬で切って捨てる前に、自分は相手を理解するための努力をどれほどしたのか、胸に手を当てて考えてみるべきです。相手を理解するためにでなく切り捨てるために、「人それぞれ」を使っていると、その人の世界は果てしなく狭く、閉じたものになっていくと思います。
他者に対して自分の考えを主張する、「私はこう思う、考える。これこれこういう理由に基づくものである」…そういう風にモノを言うのは、それは「考えの押しつけ」ではありません。それは「相互理解にたどり着くための努力」というのです。「人それぞれだから」と相手を切って捨てることは「やさしさ」ではありません。「他者を切り捨て自分の殻に閉じこもる」行為でしかない。そこのところを、なんだか真逆に考えていたりはしませんか。
さて、ここからは下のリンク先の方へのコメントですが、結婚というのは、自分と彼女のプライベートな閉じた関係を、社会に対してオフィシャルなものとしてオープンしていくということです。恋人同士の閉じた世界を、他者に認知させ、社会の中に定位する作業ですね。その最初のステップで、他者との相互理解を拒んでしまっては、話は一歩も進みません。「ワカッテクレナイ」とすねても、誰もあなたを助けてはくれません。「ワカッテモラウ」ために「ワカロウ」と努力することが、今一番必要なのではないかと思います。
その職務と思想信条の自由が競合する時はどうすんのかって話でしょ。
元増田の例で言えば、「俺はリーボック一筋だ。リーボック以外は一生涯絶対に履かない。アディダスなんて履く位なら両足を切り落とした方がマシだ」って主義の奴がアディダスに就職するようなもんだ。
しかもアディダスに入社するまでそいつはそのことは隠していた。そんな奴がアディダスのオフィシャルなイベントなんかでも堂々とリーボックを履いてきてる。上司の注意も頑として聞き入れない。なので戒告処分にしたら「処分を撤回しろ」と裁判沙汰にしてきた。「最高裁まで争ってやる」と。
今回のをダービーとは呼びたくないな。
今日はスタジアムには行っていないので動画で見た限りだがまず空席の多さがふつうの試合以下。
それに加えて例の事件。
どうやら、プログレッソ(中心的な応援団)は関与してないという風に話しているそうで、その話がどうやら信憑性が高いらしい。
(まあ、おかしいのは当たり前だけど)
それでいいのか球団もよく考えろと。
演出上、ダービーと銘打ったほうが注目度が高まって入場者の増加を見込めたりするんだろうけど
ここ数年特にそういう指向が目立ち、オフィシャルでグッズ化されていたりロゴが作られていたり
両クラブでいろいろ手立てをしているものの効果はあまりない。
効果がないから「盛り上がりに欠けるダービー」が顕著になってる印象。
某赤のように、エコパ開催を目論んでるんだとしたらわからんでもないけど、1万人の試合をエコパでやったら全試合エコパになっちゃうわな。
それはマスコミの取材に対する答え。
チェルノブイリというノー管理状態で前提が全く違うものを同列に比較している。
日本で今の規制の下、妊婦が規制値めいっぱいの水を毎日IL飲んでも
ましてや検査は一番ヤバイ時期のもので、今は大幅に値が下がっている。
こういう現状を全部すっとばして、ただ母乳から放射性物質検出!!!って
この人がどうしても安全っていいたいとは読めないけど。
他の人も言及しているけど、この団体の情報公開は問題がありすぎる。
あまりにサンプルが少なく(しかもホームページ上でサンプル数の言及がない)今回出た検査結果の信頼性も乏しい。
しかも数値は規制値を大きく下回ったにも拘らず、オフィシャルのアナウンスはいかにも不安を煽る文面。
そもそも一番ひどい時の情報を、何故今出すかっていう疑問もある。
ちょうど水道水への脅威が薄れたタイミングでっていう点からは絶妙。クリティカルヒットといえる。
まあ国、県がまともな検査をすべきという点だけは同意。
mixiとかtwitterのようなネットコミュニティとして考えるなら定着しないと思う。
少し前まではネットコミュニティとしてのfacebookという捉え方だったので日本で流行ることはないだろうと思っていた。
だけど他の国のfacebookの使い方は既にネットコミュニティってレベルじゃないらしい。名刺がわりにfacebookアカウントを知らせるらしい。こんな感じでリアルの延長として使われるようになるなら日本でも定着すると思う。
例えば、住所録とか携帯電話のアドレス帳の代わりにFacebookが使われるようになる。こうなったら自分だけ使わないわけにはいかない。
ただ日本人の場合、本音と建前の使い分けがはっきりしてるから、上のような形でfacebookが普及した場合オフィシャルな自分のfacebook。プライベートな自分のmixi、twitterって感じで住み分けが起こるような気がする。
「アニメイトがアニメ店長と東方を絡めたミニPVやりまーす」というだけでTwitterのTLがあちこちでザワザワザワ。まとめサイトでザワザワザワ、
まとめサイトの閲覧者がこの件と無関係のアニメPVにコメント乱入してガチャガチャ。以前に「アルティメットトゥルースを使った手書き動画」のコメントでアニメ化するべきしないべきと騒がしかったし、「夢想夏郷」でも一騒ぎあったよねえ。「アニメ化幻想」って結構根深いのかねぇ。神主のツイッター垢に質問凸多かったし
「公式」は二次と違うと言っても、ミュージックガンガンって音ゲーで「東方音銃夢」って東方アレンジが普通にプレイでき、現在も2本の連載漫画が「フェブリ」と「コンプエース」で掲載されているわけですよ。9月30日には小説「香霖堂」の単行本が出るのよ(amazonでも情報が掲載されたのよ)
で、特に漫画はれっきとしたZUN原作でありオフィシャルなんだが話題にしてる人少ない…「東方茨歌仙」の載ってるフェブリの2号は今日25日の
発売というのに話題がネット上にあんまり無いと来る。それだけじゃなく結構前からやってる「東方三月精」の方もだ。あれも感想書いてる人あんまりいないんでガッカリです。自分も最近感想書き出したばっかなので偉そうには言えんのだが。三月精を題材にした「妖怪大戦争」の紹介動画でも三月精を知らんコメが結構あってビックリやで。あとな「東方儚月抄」。本編もアレやったのもあるけどあまりにも話題に出来る場所が少なかった(したらばの東方板か、ふたばの東方板くらい)んで蟲毒状態や。みんなが「ねーよwww」とか「モブの月兎ハァハァ」とかブログとかそこらでやっていれば毒化する事もなかったんや。「公式村の村人かっつーの」ってくらい公式言うくらいならフェブリとかコンプエースとか買って読んでくだしあ。あぁコンプエースの三月精は隔月連載になので気をつけろ。あと月刊コンプティーク連載中の神主の酒コラム「博麗神主のゲームが先かお酒が先か」。これは東方関係ないが「神主の酒呑みマップ」となってるので神主ストークしたい人必見
知人に天海祐希のファンがいたのだが、驚いたことに彼は宝塚時代のエピソードはほとんど知らなかった。
天海は、宝塚ではかなりの伝説を作り上げてしまった人なので、これを知らないファンがいるのはもったいないなぁ、と思った。
なので、ざっくり彼女のジェンヌ時代の伝説を書いてみようと思う。
これは男役としては異例の速さだ。
新人公演というのは、本公演と同じ内容の演目を、入団1年目から7年目までの新人達だけで演じる公演のこと。
トップ路線に進む男役の子は普通、この新人公演で良い役をもらいながら、7年目までに一度は(新人公演で)主役をやる。
その後本公演でも、徐々に良い役をもらうようになってゆき、所属する組の三番手、二番手を経て、トップになる。
(ただしこれは天海在団当時のルールで、新専科が出来た今は、多少異なる)
とは言え、いくらなんでも1年目で新人公演主演は早すぎだ。
さらに新人公演が7年目まで出演可能なことを見ても分かるように、入団7年目では普通まだ新人から卒業する程度の段階。
この段階でトップになった者は、現在のスターシステムが出来たあとの男役では、他に存在しない。普通は十数年かかる。
(娘役の場合は、いきなりトップをもらうことがあるので、この限りではないが)
ちなみに彼女がトップをやっていた時の二番手であった久世星佳、三番手の真琴つばさは、天海の上級生である。
これは、他にも早い人はいるので、異例とは言えないのだが、トップ就任2年そこそこで辞めてしまうのは、やはり早い方だ。普通は5年くらいはやる。
トップになるのも早ければ、辞めるのも早かった、まさに彗星のように表れ、去っていったトップスターさんなのである。
宝塚を余り知らない人でも、でっかい羽根を背負って、大階段から降りてくるタカラジェンヌの姿は、ご存じの方が多いだろう。
あれは公演の最後のフィナーレでの姿なのだが、あそこではトップに近い人ほど大きな羽根を背負うのが通例。
ところが、トップになった天海は普段の公演から、かなり小さい羽根ばかりを背負っていた(当然周りはもっと小さい羽根になる)
どうも彼女が、仰々しい羽根を背負うのは嫌だと、劇団側に通させてしまったらしい。
基本的に劇団とジェンヌさんの力関係は 劇団>>>>|越えられない壁|>>>>ジェンヌさん ってくらいのものなので、例えトップでも普通はこんな要望は通らない。
のだが、彼女は通してしまった。天海だから許されたのだ、と言われている。
圧巻は退団前の最後の公演で、完全に羽根をなくしてしまったということだ。こんな公演、羽根が通例となった以降には、そうそうない。
ジェンヌさん達の行動基準は普通「劇団の通例>ファン>仲間達との絆>その他」みたいな感じなのだが、天海の場合は「仲間達>ファン>通例>その他」みたいな順番だった。
分かりやすいのが公演のフィナーレで、幕が下りるまでの間、普通は客席に向かって手を振るのだが、天海はどちらかというと、一緒に練習してきた仲間達をよく見る傾向にあった。
お茶会というのは、ファンの融資でジェンヌさんを呼んで開かれる、アンオフィシャルな会。
普通はまぁ、ジェンヌさんはお人形さんじゃないが、ファンのみんなに囲まれて、色々お喋りの中でいじられる感じなのだが、天海はガチのトークに入ることが多かったらしい。
退団時もファンクラブからの融資で色々やる。普通は良い車を借りて、スターさんを乗せてパレードしたりするのに多くの金を使うのだが、天海はファンクラブの人全員にワイングラスを贈ったようだ。
実は女社会の常というか、ファンクラブでも(ファンが自主的に作った)序列みたいなものがあり、幹部さんと、ファンクラブ入り立ての人では、受けられるサービスの度合いが違ってくるのが普通なのだが、天海は全員に全く同じワイングラスを贈ったらしい。
色んな意味で、序列社会の習慣を無視しまくった、またそれを可能にする実力があった人だったのでした。
歌って踊れて芝居できて、何より華があるという、本当にパーフェクトなジェンヌさんでしたからね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/psycho78/20100913/p5からたぐっていって。
そのカセットテープが付録につくという話を聞いてからその心配をしてるバカっぽい人らが2ちゃんねるとかいうゴミみたいな掲示板にいたりするじゃん?
あれ、冷静に考えればわかるんだけど、一消費者風情の耳に発売決定の報が届くころには粗方中身決定してるわけじゃん?
ったら話はまとまってんだから一消費者風情が心配するこっちゃねぇよなぁ。
なぜかインターベッチョを利用して有益な情報を収集している気分に浸ってる人は自分が得た情報をスッパ抜きレベルにあるかと勘違いしてるという。
自称情報強者なんだろうけど、結局は情報を与えられない限りは何もできないバカかバカ以下の生ゴミの出来損ない。
いや、なんというか。知的弱者ってすごいな。人のことをどうこう言う前に教育を受けてきてくださいって感じですが。
この論理構造がどうおかしいかって、対象物を取り替えてみればバカにでもわかるのね。
その地震で建物が倒壊したという話を聞いてからその心配をしてるバカっぽい人らが2ちゃんねるとかいうゴミみたいな掲示板にいたりするじゃん?
あれ、冷静に考えればわかるんだけど、一般市民風情の耳に倒壊範囲の報が届くころには粗方建物は倒壊しきってるわけじゃん?
ったら話はまとまってんだから一般市民風情が心配するこっちゃねぇよなぁ。
なぜかインターベッチョを利用して有益な情報を収集している気分に浸ってる人は自分が得た情報をスッパ抜きレベルにあるかと勘違いしてるという。
「病気の進行」とか「企業の経営状態」とか、まあ何に入れ替えたって話はおんなじでしょ。こういう「この話ってまともか?おかしいか?」っていう判断をするリテラシというのも情報強者には必要だし、そもそも「情報が流通する中で、どうなのか」で情報強者と情報弱者が分けられてるときに「情報がないと何もできない」とか何を言ってるのか意味わからない。
で、ブクマの元エントリではその情報すらまともに把握してないでトンチキなことぬかしてるから、ガッチリ突っ込まれてるという始末。
このバカが他のエントリでは「まぁインターベッチョなんてそんなもんですよね、検索してない情報は得られない。」なんて書いてるのが「マジ度合」を表してて味わい深いというか。
元増田さんかい?
一時的にそれらの地域で英語が使われることはあるかもしれないが、人口、経済規模、教育水準あたりが整備されるなら当然のごとく現地語に置き換わっていくと思うよ。
一般論はその通り。ただ実際にはそんな状況にないことは、ケニアなりケラーラの人に聞けば判る。現地語での諸環境整備への最大の障害は「地域圧倒的多数派の言語」と言えるものがないこと。例えばスワヒリ語は東アフリカの大言語だけど、この地域の言語は500以上あって民族意識もあってスワヒリ語公用語化への反発は強い(タンザニアとか国語化しようと頑張ってるけど)。英語の方が抵抗がないし、実際ビジネスにつながるのもあって、意欲のあるキクユ人はスワヒリ語じゃなくて英語を頑張るんだよ。
一番英語に不自由しなさそうなスカンジナビアの地域連合でさえ、英語じゃなくてその地域の言語を公用語にしてるよ。
これは認識不足では?そもそもスカンジナビアの地域連合という組織に思い当たる節がないから、自分の誤解かもしれんけど、北欧の範疇で言えば、確かにノルウェー人とスウェーデン人が会話するなら、お互い母国語で済ませるけど(通じちゃうからね)、それはあくまで私的な会話での話。ある程度オフィシャルだったり、フィンランド人が加わったりすればやっぱり英語で話すのが普通だよ。スカンジナビア人は言語が近いだけあって、英語が流暢な人多いしね。
なんでアフリカの「仏語圏」がわざわざ英語を共通語にするわけ?どう考えても仏語の方が蓋然性高いでしょ
もちろん。ただし西アフリカなんかの仏語優位は一時的な現象にとどまる可能性が高いと踏んでるよ。「英語圏が過半数の地域で国際共通語の地位を占めるような事態になる」ことが(王手がかかっているけど)まだ決定していないのは、ヨーロッパ系言語圏、特にスペイン語圏やフランス語圏なんかが「英語化」に反旗を翻す可能性が残っていると思うから。ただし仏語圏やイベリア語圏(これは既にある程度確立してるね)という形で共通語圏が一旦定着してしまった後、それらヨーロッパ系言語の共通語圏が英語共通語化の流れにどこまで抵抗できるか怪しいはず。母語=共通語のスペイン語圏は残る可能性があるけど、一旦非母語を受け入れた国が、その共通語をさらに英語に置き換えるのに抵抗が強いとは思えないよ。
しかしSoftBankみたいな企業ばかりになったら、かなりギスギスした社会になるだろうなあと思う。
たとえばこんな事を平気でやる企業だし、Twitterで散々突っ込まれてるけど、この件に関してはハゲはシカト決め込む気満々だし。
http://www.google.co.jp/search?aq=f&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF+%E9%A0%AD%E9%87%91
他にも、強制的にパケット代数百円分かかる添付ファイル付きメールで無差別に送りつけて来たこともあった。
メールアドレスがSBオフィシャルだからフィルタリング不可能という(笑)。
http://www.snow-flake.jp/archives/7055
Y!BB初期のADSLモデムばらまきでも詐欺紛いのことしてきたし、こんなゲスな企業が大手を振っていられる状態ってどうなのよと思う事は多々ある。
「統計がマトモに機能してない」「むしろレイプされた方が処刑された」というようなニュースは見たことがあるが。
あの社会でレイプされるってことは、ほぼ人生終了のお知らせと同義のはずなんだけど。
それから韓国。統計上出てくる以上に、親族内・家庭内のレイプが多く
実数は全くの不透明、出てきてるだけで日本より一桁多いって現状なんだが
そういった社会を「状況が整っている」として、日本の統計だけを疑う理由はなんだろうか。
日本では、少なくともレイプされた側がオフィシャルに断罪されることはない。
しかし、それら両国は慣例や法のもと正義を以ってレイプされた側が断罪される。
言ってることは理解出来るが、比較対象が理解出来ない。
逃げてねえよw
証拠はさっきも言ったように自分で調べればすぐ出る
さっきも言ったように、俺は別に疑ってる訳じゃない。ただ単に、「強制連行は無かった」のが当然だとか覚えて他で話したら実は違って大恥をかいた、という事態になるのは困るから、信憑性の度合いを確認したかっただけだ。
と、いうことであればだよ
君は自分でよく検索して自分の情報リテラシーを向上させる必要があるじゃん
また、俺も君の執事じゃないんだから、「君がよそで恥をかきたくない」という事情のために労力を無償で提供する筋合いはないんだ
指一本で済むことだとしても、それをするかどうかは俺の好意次第
んで、俺は真偽不明としか認識していないから、強制連行があったと証明する必要も意思もない。議論に付き合うつもりもない。お前がそうやって逃げたことから、大した信憑性がある話でもないんだ、と思うだけの話。
「ある事件があったかなかったか」について本当に信憑性が気になるなら
まず「あった」の根拠ぐらいは頭に入ってないと話にならないんだけどそれはわかる?
猛然と逃げた逃げたと頑張ることから、君の本当の狙いと尻尾は丸出しというだけの話。
実際にオフィシャルなソースはあるし、在日自身が「強制連行」は言わなくなって話題や焦点をスライドさせている。慰安婦と同じだね。
うーん、まあ、それも一案だとは思うけれども、
そのタイプの全学年統一テスト<だけ>ということになると、いろいろと面倒かもなぁ。あと、ちょっと無駄が多すぎる。
おっしゃられている通り、試験時間が長くなったり、カバーする範囲が広くなりすぎたりする。
あと、低学年の子が、「小さな成功体験」を積み重ねるというきっかけを奪ってしまう可能性も考えた方がいいかもしれない。学校のテストでいい点をとって、自信を持って、そこからどんどんと勉強をし続ける子供、みたいのが作りにくくなるかも、という話。
あと、勉強していない範囲について半日も問題用紙を眺めている時間に意味があるのか?ということもやはり問われてしまうと思う。(まったく意味がない、とまでは言わないけれど、2年に1回とか、1年に1回ぐらいなら意味があるかもしれない)
範囲全体を知ることができて、学年無関係、という意味では、英語で言えば、英検/TOEIC/TOEFLみたいな資格制度だとか、数学で言えば数学検定みたいな資格制度みたいのがあるけれど、
ああいう制度をもうちょっとオフィシャルな学校制度のなかに強く導入していく、みたいな方法はあるかもしれないね。
ああいった制度であれば自分の能力に合わせてある程度まで順を追ってクリアーしていくことができるし、わかっている範囲で抑えていくこともできる。
今のところ日本は学年別テストがあまりに強すぎるので飛び級とかが難しかったり、簡単すぎる内容を延々と授業をうけざるをえないという「無駄」とかから逃れることができない、というのはあるので、
そういうオルタナティヴを入れていくのは一案ではある、とはおもう。ただし、あくまで様々な試験制度の中のワンオブゼム、という形にするぐらなのがいいかな、と。
文化への処罰を考える|和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」
ttp://ameblo.jp/wadahideki/entry-10479759744.html
今回は、非実在青少年法とかいう形で、18歳未満と思われる人物が登場するポルノ的アニメ、そのほかを取り締まろうという法律についてどう思うかという質問が偶然重なった。
私は、日本の警察が誰でもひっかかるような法律(たとえば、18歳や19歳の飲酒を取り締まる法律など)を作っておいて、ほとんどの人は捕まえないのに、気に入らない人間を捕まえる道具にしたり、政治資金規正法にしても、気に入らない人間の虚偽記載だけを捕まえるという前科を考えると、誰のパソコンでも、チクリがあったから、調べさせてもらうという権利を警察に与えるのはとても危険だと思う。本来、法律というのは守れる法律だけを作る代わりに、警察のほうも違反者は、警察が適当に選んで捕まえるのではなく、全員捕まえるというのが法治国家のあり方だと考えている。
青少年ポルノの類にしても、相当きちんとそれが流れないようにするとか、発信が確認されたら処罰するのは当然だが、単純所持で処罰するなら、誰かのメールアドレスに送りつけて、それを削除していなければいつでも捕まえることが可能になる。日本の警察が信用できない、つまり金をもらえるところならば景品交換型賭博を認めるが、気に入らないところがやれば捕まえるという組織である限り、つまり、捕まえるか捕まえないかは警察が判断できる法律は危険だと私は考える。民主党に、警察や検察改革をやってほしかったし、やる気だったと聞いているが、それをやられるのを知って、先に小沢氏周辺を捕まえて、しかもマスコミまでそれに乗って。おそらくこれからの政治家がよほどのことがない限り、警察改革、検察改革に手を出せないようにしてしまった。三井環という元検事が裏金問題をテレビで話そうとした日に逮捕されるのと似たようなにおいを感じるのは確かだ。
さて、もう一つは、ロリータっぽい主人公が出てきて、エッチなことをするアニメ(この場合、実際の児童が被害者になるわけではないから、実写のロリータポルノとは違う)を日本特有の文化と見るかどうかだろう。
日本の場合、ほとんどの先進国で解禁されているポルノ(ネットを使う人には有名無実化しているが)を処罰し続けてきた。おかげで、それが暴力団の資金源になるし、解禁したらおそらくはヘアヌードのように飽きられ、暴落していたものを、警察が保護育成してきたようなものだが、その副産物として、外国ではあまりないエロ漫画というカテゴリーの文化ができた。(自国の文化である浮世絵さえ弾圧する無教養ぶりだから、もちろん露骨な描写は許されないが)
この件については、大人になっても、政府が大人扱いしないという点では、まさに「お上」の力の象徴のような気がするが、実際、欧米の国のほとんどは児童ポルノには厳しいが、成人した後については規制しない。
これが文化ならば、きちんと守るべきは守るという対応をすべきだろう(私はアニメや漫画は詳しくないので、そこがわからない)
飲酒運転についても私が問題にするのは、酒を飲みながら食事をするのが文化ならば、1県あたりにすれば年間数人の飲酒死亡事故があっても、酒を酌み交わしながら食事をするという文化を守るべきだろうし(フランスやイタリアはこの路線だ)、人の命のほうが文化より大事ならば(おそらく鮭を飲みながら愚痴をこぼす文化がなくなり、家で一人で飲むのが当たり前になれば、飲酒死亡事故の数倍の自殺者と数十倍のアルコール依存症の患者が生じるだろうが)飲酒運転を厳罰化すればいい。
文化を守ることは、人の命より大切なときもあるのだ。
韓国が日本を恨むことについても、当時の植民地(実際は連邦国家だが)は、欧米のスタンダードからすれば、ずいぶん進歩的な支配だった。現地民に日本国の選挙権を与え、識字率が1割にも満たない国にハングルを教え、言語も強制せず、日本国と同格のエリートになれる帝国大学も作った。それでも、韓国人、朝鮮人が日本を嫌うのは、創氏改名が問題だったらしい。要するに、家系図(族譜)が大切な国で名前を変えさせられるのが、それだけ屈辱だったそうだ。文化に敬意を払わなかったために、世界的に見ても先進的な植民地政策をとったのに、かえって恨まれた。
スカイマークとJALそして日本経済|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba
ttp://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10478783328.html
私の裁判では「成長型」粉飾などといわれ、もし仮にファンドでの株取引が100歩ゆずって違法だとしても(私は無罪主張している)キャッシュは入ってきている。それを資本取引にするか損益取引にするかの問題である。1年以上前のその出来事を行きなり持ち出し株主に大損をこかせたのは検察のせいと言っても過言ではなかろう。そして私はそれを道義的責任を取る形で208億相当の個人資産を拠出して被害弁償の和解をした。
国民の税金は一銭も投入させていないし、損をしたとされる株主には裁判所が認めた額を私や会社が連帯して払うことが基本方針で和解が進んでいる。しかしJALの株主にはそんなことはされない。経営陣もそのままだ。とんでもないことだし、このままだと非常に不公平だと思う。まあでも世の中は不公平なのは知ってるつもり。