はてなキーワード: 遺伝的アルゴリズムとは
とあるITベンチャーに勤めてる中堅エンジニアだけど、最近の人工知能という言葉のうさんくささに呆れ気味。
特に渋谷に拠を構える某求人系の会社だとか、他にも多数求人系の会社で人工知能を使っているなどとのたまっている。
またIVS 2016 Fallファイナルにも人工知能で云々というのを打ち出しているところもあったけど、本当に人工知能なのか?
そもそも人工知能はなんなの?
一般的に想像するのは日本マイクロソフトが開発した女子高生AIりんなだったりすると思う。
機械学習や遺伝的アルゴリズムならばまだ人工知能と言ってもいいと思うけど、
他のところが言っているのって下手すると条件分けしましたとかじゃないの?
流行ってるキーワードだからそう言っておけば食いつくだろうっていう気持ち悪さ。
昔書きためていたメモを放出。ブログ記事にもならないので、メモのママ。
University of TorontoのチームがSikorsky Human Powered Helicopter Competition(シコルスキー賞)を取ってしまったので
対抗馬だった、Univeristy of MarylandのチームのGameraという機体についてまとめたもの。
http://www.macleans.ca/politics/toronto-team-wins-human-powered-helicopter-competition/
http://vtol.org/awards-and-contests/human-powered-helicopter
1980年に作れた。最低60秒の浮上と一瞬でもいいので高度3m以上に上がること。その間10m四方を出ないこと。
Cal Poly Da Vinci Ⅲが1989年に6.8秒。日大のYuri-Ⅰが19.5秒の記録を持っている。
Gamera Ⅰは空虚重量48.6kg。2011年に11.4秒の飛行。Gamera Ⅱは33%の軽量化に成功した。メリーランド大学。
アームは片腕9.5m、高さ2.3m、ローター半径6.5m、ローター弦長1mの矩形。
ヘリコプターは重量の1.5乗に比例して必要出力が大きくなる。
ローターで重量の55%、コクピット・トランスミッションで15%、ローターのうち、スパーが半分、前縁と後縁で1/4づつ。
地面効果:ローター半径と同じ高度で80%程度、半分の高度で70%、1/4で50%になる。必要パワーが。
Gamera ⅠはEppler E387を使っている。矩形で捻り下げもなし。局所の荷重の伝達を考えると人力飛行機などに使われいる2次構造になった。
ちょっと密度低めのビーズ法ポリスチレンフォーム(EPS)。(スタイロはXPSで押出法ポリスチレンフォーム)のリブをCNC切り出し。後縁はバルササンドイッチ。
前縁はXPS(スタイロの仲間)でこれもCNCでカットしている。スキンはミレファンを使っている。
トラスにしたのは同じ小さなスパーの組み合わせによって構造の最適化ができるようにするため。カーボンファイバーとビニルエステル樹脂(リポキシ)の複合材料の市販のパイプが長いパイプ(member)。トラスの網網部はカーボンエポキシの複合材。配向角は全て±45度(当たり前)。三角形の断面にしているのは安定性のため。うまい作り方のためにミニトラスは1時間もあれば作れる。座屈しそうなトラスの網網部分にはXPSをコアにしてサンドイッチしている。
Gamera Ⅰを受けて、Gamera Ⅱでは最大翼厚を厚いものにした。Seling S8037。スパーの剛性を上げてローター端が上がらないようにした。スパーをローターの中央と端で太さを変えた。towの束の数を変えた。前縁をXPSから軽量なEPSにした。
運びやすくするために中央、中、外のフレームにしてある。長さや高さや傾斜はブレードのサイジングによって決まっているから、他の部分の自由度については遺伝的アルゴリズムによって決めた。パラメタはトラスの高さとテーパーとノードの数と分布。剛性を束縛条件にして重量を最小化させるように遺伝的アルゴリズムにした。
GameraⅡはキンクをなくしたのと、パイプの径を色々変えたので軽量化した。
翼素運動量理論とFEMで解析。YURI-1を参考にした。テーパーとか捻り下げは作る時間と技術が必要な割に効果薄いと判断してやめた。
例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。
俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端に勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイトを半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。
20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイトの求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftのWord,Excel,Accessの資格をとってデータ入力のバイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者のレッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。
ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手な意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会のクズはクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービスを付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ、社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験に起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。
辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分の人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。
辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走のプロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分のフィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールドを確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。
例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。
俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端に勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイトを半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。
20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイトの求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftのWord,Excel,Accessの資格をとってデータ入力のバイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者のレッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。
ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手な意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会のクズはクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービスを付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ、社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験に起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。
辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分の人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。
辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走のプロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分のフィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールドを確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。
俺は俺の人生を100%無理矢理自分を騙して騙して嘔吐しそうになりながら何とか肯定する。本当はクズなことはわかっている。
ただそうやって生きていくしかできない俺を俺が肯定しないでどうするんだ。
うん、ごめん。タイトルは釣り。っていうか今から書くことも間違ってるかもしれない。
識者のフォローを待ちたい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://wiredvision.jp/news/200904/2009041523.html
これの話なんだけど
「遺伝的アルゴリズム」って出たときに、もうこれは人工知能ではないと一応考えていい。それはソートプログラムが人工知能ではないのと同じみたいな。
「f(x,y)を最大にする整数x,yを求めよ」
これを遺伝アルゴリズムでやるとこうなる。
これを上昇しなくなるまで繰り返したら終り。これだけ。
単純化の為にxyとしたけど、x,yを「素数の和」と考えて素数の列abcdefghを遺伝子なんてするとよりそれっぽくなる。要は遺伝的アルゴリズムとはランダムサーチをちょっと改良した奴ってことだ。
記事中のプログラムは現象をモデル化しては考えてない。文字列のなかから現象に近い値を示す数式とおなじ文字列を選び出すだけだ。
あと、どれくらいの率で子孫を残すか、交換が起こるか、突然変異が起こるか等は計算の収束に影響を与える遺伝子とは独立したパラメータで、それをプログラムがいじるのであれば、まあ一応人工知能と呼んでも怒られないかもしれない。
プログラミングの?
株とかのデータをストレージしながら学習させていくのはある種の遺伝的アルゴリズムだとおもう。
遺伝的アルゴリズムいうとあまりピンとこないんだけど、
リアルタイムデータマイニングやー!いうとなんとなく馴染める。
って、まったく違ったらどうしよう。
こういうのがちゃんとアルゴリズム化できたら、ロボットの歩行とかそういう、パラメーター勝負なところがずいぶん楽になるんだけどねー。
自己学習はむずいよ。
あとちょっとで、できそうなんだけどね、、、
あー、もっと大量のデータを処理したいよー。
オラクルがおうちに欲しいよー。
データが欲しいよー。
データを管理してくれる子がほしいよー。
秘書さんもほしいよー。
お手伝いさんもほしいよー。
嫁さんもほしいよー。
子供もほしいよー。
ID論とかキリスト教原理主義のプロパガンダとしか思ってない人が多いと思うんだけど
実際学会で議論になるのは進化現象の創発による上位概念の判別システムをどう考えるか?って感じなんじゃね
ここら辺は遺伝的アルゴリズムのプログラムを効率化する上位概念の観察の構築ででる観測者主観を模したタスクを考えてもらえれば解ると思うけど
(例えば有名なサラリーマンの巡回経路最適化問題で、突然変異とかの係数を自動的に変えるタスクのこと)
別に神とかいう概念でもないよーな気がする。進化現象のようなより複雑なタスクになった場合、これは知性と呼べるのかどうか?って感じ。
そういえば脳生理学とかでは自我とかも創発現象からアプローチした研究が多いよね最近。
まあそんなわけで、ID論自体は前回も書いたけど私は現実的な解は得られそうに無いと思うので否定的なんだけど。
web2.0とかも創発を利用したもんを指すって説に自分も一票
年末特番が詰まらなすぎて匿名ダイアリーでツマミを食べながら徒然なるままに書いてみた。