はてなキーワード: 不細工とは
最近テレビによく出ているネガティブで太めでオドオドしている芸人。
あれも「普通」だと思ってる。
普通の人が出てきても「ぶさいくだなー!」と隣で言ったりすることがある。
そもそも人に対して「不細工」という言葉を使うのはどうなのかと。
「俺は不細工じゃないだろ、フツメンだろ?」と言い出したりもする。旦那に言わせれば私もフツメンらしい。
人の事を知りもせずいきなり見た目で批判するような人であってほしくないため
個人的には功罪あるのだけど私は他人の見た目の良しあしがほぼ気にならない、というか判別できない。
世間一般に言う超美人でも、滅茶苦茶不細工な人でも、「そういう顔なんだな」以上の事を思わず美醜の見分けがほぼ付かない。
一応最近は意識して勉強し、見分けられるようになったけどこれは目盛りが読めるようになったというだけの話で私の抱く印象が変わったわけではなくて、
顔が悪いから見たくないとか顔がいいから傍にいたいとかそういう事は特に思わない。(そもそも関心がないのでロクに人の顔を見ていない)
でまあどうして己がこういう性質を持っているか考えた所候補がいくつかあって
・テレビや雑誌を禁止されていたため美醜の判断基準が備わっていない
・親が外見に関して一切言及しない存在だったため感性自体が欠如している
・単に虐待されていたため
などが浮かぶのだが、いずれにしてもこれは今どきの人権活動家の叫ぶルッキズムに染まらない姿のありようの一つなのではないだろうかと思い至った。
普通に考えれば美醜とは文化であり(平安時代の美人と今の美人は違う)、学ばなければ備わらない感性のはずなので「教えなければ」脱ルッキズムはそれで完成するのではないだろうか。
もはや死語になったあれだ。
我々は非モテであった。
小学校、中学、高校、大学、そして社会人と彼女を作らない容姿的敗北者。
中学ではバレンタインの日にチョコがどこかに隠されていないかとそわそわし、高校では何かの間違いで告白されないかと願った。
結果、不況もなんのその、年収一千万をザラに超える、青春時代に闇を抱えた人間たちが出来上がった。
もはややっていることは同人誌のブ男にも劣る。
彼らの容姿にかけられた、あるいは恋愛至上主義という呪いが新たな呪いを生んでいるのだ。
君に抱かれる横で醜い豚にやられているよ。
ざまあないな。
すかっとする。
胸が空く思いだ。
増田が「相手を不細工だとは思ってない」のと同じで、増田弟も「俺モテる」って本気で思ってるんじゃない?
どっちが優れてるとかじゃなく増田も増田弟も、典型的な「自信は無いけどプライドは高い」タイプだと思う。
自信がないから必要以上に謙遜するのに、プライドは高いから誰かを見下す事で自信を得ようとする感じが姉弟だなあと感じる。
増田が弟のことを「尊敬できない」って理由で「すごいね」の一言を言うのですらモヤモヤするところにも、それがかなり如実に出てる。
そういうタイプの人たちは無意識下で「単なるお世辞≒褒め言葉」になってて、人から自分への"お世辞"は"褒め言葉"としてあっさり受け入れられる。人からの肯定で自信を得る成功体験を欲してるから。
でも自分から人に対してはプライドの高さから"お世辞"すら言えない。それすら人を"褒める"、つまりその人が自分より上だと認める行為と思ってしまうから。
増田は見たところかなり弟の存在を気にしてしまうようだけど、いま増田が旦那さんと幸せに過ごせているのなら、いちいち弟さんの事を気にせず旦那さんとの時間を大切に過ごしたほうがいいと思う。