1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドがボスニアのサラエボでセルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。
この振り返りがなぜ大切かというと、一つの出来事がどれだけ大きな結果を引き起こすかという点で、現在の他の出来事を見るための視点を与えてくれるからだ。
それに比べると、現代のSNS上での出来事や感情の発露はささいなものかもしれない。
しかし、自己表現や批評の仕方には時代や文化の影響が大きく左右する。
例えば、江戸時代の浮世絵に描かれていた日常風景や風刺画も、多くの人々を楽しませ、また議論を巻き起こしたものだ。
現代のツイッターマンガも、それなりに私たちの社会を映し出しているのかもしれない。
他人の表現や視点に対して不快感を覚えることもあるだろうが、歴史を振り返ると、多様な意見や表現が存在し、それが社会の一部として受け入れられてきたことが分かる。
そして、それがどのような結果を生むのかを冷静に見つめることが大切だ。
おまえやん、再投稿してるの
逮捕後の供述 逮捕直後、手短に、「やることをやった」(8文字)と供述している。
昨日今日ツイッターで話題の、彼氏見下し系風俗通いおばさんの漫画とか顕著なんだけど
女が書いてるツイッター漫画ってなんであそこまで底辺なんだ…?
ん?漏れて何が困るの?
それはそうなんだけど、今まで出会った人はみんな突き詰めが甘い
流石にガチ論文は読んでないけど、新書とかだとガチ哲学者もそっち方面では諦めてて(というか、その後の経緯にこそ注目してる、まあ価値も興味もあるし)、
ずっとモヤモヤしてたんだけど、先週ぐらいにバチっとピースがハマった
考えたところで何に活かせるかわからんけどね
第二百四十八条犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。
② 年齢 18歳
③ 境遇 祖父母父母死亡により、単身独居生活 労働収入 バイト
④ 犯罪の軽重 重い
その逆はもっといそう
アマチュア作品の二次創作、そのアマ本家とは違う、本家より上手い突出した人気作家の絵柄をなんとなく皆が真似するのが普通って流れが一昔前にあった(商業進出前の東方やヘタリアとかの個人Web漫画やホラーフリゲ)けど今違うんやな
第一に、単なる実験の一つとしてやってみましたってことだったら別にこれ自体は不快ではない。それ以外の部分で気に障ったことが多い。
まず、
というくだり。支援級の担任もこういうこと言う人いるんだけど、これ言われるとね、当事者親としては(健常児より)楽しかったっていうのがもう健常児より下に見てるんだなって思うのよ。よくいるでしょ、知的障碍者は天使だとかいうようなやつ。あれと一緒。本人には自覚がないのが厄介なんだよね。
あと、目的として挙げているコスト削減だとか誤診リスクの低減だとかがおかしい。医者しか診断できないって、明確な診断基準があるんだから当たり前だし、誤診リスクの低減も、「70%程度の正解率で御の字」ではお話にならない。診断の重さを全く理解していない。
全体的に、自分が関わったことがあるといえば文句は出ないだろうという打算が透けて見えるし、自閉症児に全く寄り添っていない。技術的な部分以外からあふれ出る偽善臭も非常に不快。繰り返すけどこれ本人には自覚ないんだよ。はてな民ならこの辺のモヤモヤを分かってくれると思う。
あとブコメな、
うん、分かるんだけどさ、未だに自閉症だって言われるのはそんなに屈辱なんだというのは率直にショックだった。うちの子はそんな屈辱的な属性を持っているのかと。割とたくさんいるんだけどね。