あまりTwitterはやらない兄(モテ兄の方)とこの前長電話した
昔からなんでも話し合える兄なんだけどColabo騒動について聞いたら答えがシンプルだった
「男が大勢で女の子取り囲んで良い正当な理由なんて一つもない、暴力そのものだから」と
モー○全盛期20代だった兄は私にこう言った
「小さな子にエロい服着せてくねくね踊らせ、それに大人の男が群がる、テレビがそれをよしとする、社会全体がロリペド生み出すことを推奨してるんだよ俺は今後もっと変態が増えていくと思う、テレビがそれを仕向けてる」って、めちゃ当たってた
さすが三女の父
「じゃあ自ら女をアピールしてるかのような少女についてはどう思う?」とパパ活をしている女子について私は兄に聞いてみた
兄は
「そういう女の子は確かに女として見られたくて大人にアピールするよ、でも何故そうなったか考えたら背後にダメな大人がいて
女をアピールした少女達が実際女として扱われた時に待ってる地獄なんて教えちゃくれない、まだ怖さを知らないから操り放題なんだよ。
お前はまだ若いから同じ女がガキのくせに色気振りまいて被害に遭ったら自業自得と思うかもしれない、思いたいかもしれない、
でもお前のこと何度俺が助けたと思ってるんだ?親父もそうだよ、あいつでさえそう(ネトウヨ&ガチオタ長兄のこと)、家族全員で危なっかしいお前を守ってたと思うよ
今生きて俺の前にいるのは結構奇跡かもな、でもそうじゃない子は大人の口車に乗ってボロボロになるんだよきっと」
兄のこの言葉は私にかなり影響与えた
個人的には、『おじさんはおじさん(事実)』だし、『おばさんはおばさん(事実)』だしって思うので
クソどうでもいいよって思うが、それって私的なものに限るですよね?
仕事をしている時に、坊や(ぼくちゃん)/お嬢ちゃん/おじさん/おばさん とか論外でしょうよ
あと、私的な交流がない人物に対して 坊や(ぼくちゃん)/お嬢ちゃん/おじさん/おばさん を使うのも論外ですね
交流も無いのにいつ身内みたいな親近感を抱くに至ったのです?
他者への敬意がない異常に軽薄なエイジズム患者です、あるいはいつでもどこでも萌え絵と同じくTPOが理解できない発達がアレしてる人
参考にしてね:
「おじさん」という言葉はたいていネガティブな意味で使われる。私自身も、良くないと思いつつ「おじさん」という単語を使ってしまう。
ただ、一定の年齢を過ぎた男性すべてが「おじさん」と呼べるかと聞かれるとそうではない。「おじさん」とされる人たちは、多分「名前を呼ぶに値しない」と思われている気がする。「千と千尋の神隠し」で千尋が湯婆婆に名前を奪われているけれど、そういうノリに近い。仮想敵のような群衆感もある。「◯◯おじさん」と呼ぶ時、多くの人が「いるよね〜w」となるのは、それがもはや個人ではなく群衆的存在だからなのだろう。「おじさん」の対義語は「イケオジ」なのかもしれないけれど、おそらく「おじさん」と呼ばれない人は「個人名で呼ばれている」が正しい気がする。
では「おじさん」と「個人名で呼ばれる人」の違いは何なのだろうか。
多分、その差は「努力の値」なのだと思う。「おじさん」は、なんとなく努力が不足しているように見える。少なくとも自分の場合はそうだ。
例えば、会社で新しいツールを使い始めたときに、おじさんはすぐに「無理」と音を上げる。そして私がツールを使いこなしているのを横目で見て「さすが若いからすぐ慣れるよね」とか言う。「いや、違うから。自分でこのツールの使い方をググってYouTubeでチュートリアル動画を見て今に至ってるの。努力してるの」と思う。面倒くさいのでこの言葉を口に出さず「あはは〜」と受け流していると「今度レクチャーしてよ」とか言ってくる。まだこのように言ってくる人はマシな方で、プライドが高いおじさんは、結局新しいツールを使えずまじで窓際で何もせずに時間を潰すだけになる。
「若い子向けの施策を打ちましょう」という話をしているのに、出してくるアイデアは「野球」みたいなものばかりで「リサーチしてます?」と問いただしたくなる。「若い子の間で流行ってるものわからないんだよね〜」みたいなことをマジで平然と言う。「トレンドとかYouTubeの急上昇とか見てます? そんなの30秒あればできますよね? やる気ある?」。この手の苛立ちを感じた時、私は東京五輪の開会式を思い出す。
そして、こういう中年男性は私よりも給料をもらっているのだ。勤続が長いとか、年齢を重ねているからとか、そういうどうしようもない理由で。
実力とか成果が反映されて無能おじさんが「無能」としてそれなりの処遇を受けているなら納得感もあるのだけど、日系企業だとなんだかんだ年功序列の慣習が残っている場合が多い。おじさんたちは自分たちの立場があやうくならないように、うっすら群れては、似たような価値観をもった人間たちで足場を固めてたりする。この群れは合議で有利に働くから組織にとって悪質な場合もある。外資系企業で働いている中年男性がなんとなくシュッとしているように見えるのは、無能だとレイオフされるからかもしれない。なんというか緊張感が違う。「おじさん」はすべてが弛緩している。
いくら働く女性が増えたと言っても、すぐに社会全体が変わることは不可能で、世の中には今も「努力と処遇が見合っていない中年男性」が多い。それは給料の面だけではなくて、社会的信用とか、無意識レベルの「格差」がやっぱりある。「いや、私の方がこいつより努力しているんだが?」となったときに、「こいつのことは名前で呼んでやらぬ」となるような気がするのだ。
外見だってそうだ。ハゲたならAGA治療すればいいし、太ったならばビールをやめてジムに行けばいい。かわいい女の子から対等に扱ってもらいたいなら、洋服に気を遣えばいいし、美容室に行けばいい。
じゃあどうしたらいいのか簡潔に教えてください
1000年前の数学が今の社会で多分に応用され欠かせないものになってるのだとしても、現代の遥かに抽象化が進んだもはや数を扱ってるかも謎な数学を活かす道など1000年後にも考案されてないんじゃないか。
「バブルの崩壊が女性の社会進出を遅らせた」という話なら議論の俎上に上がる余地はあるけど。
様々な要因がある、複雑でばらばらな動きから生まれた事象を、一つの統一された意思のもとで起こされたものであると単純化して「理解しちゃう」のが陰謀論なんだよね。
マンスプレイニングやめてください😡