—— 観客席から降りて、当事者になる気持ちを想像し、先立って反省できる稀有な人だ。たまにこういう増田が現れるから匿名ダイアリーにいてよかったと思える。俺にも協力させてくれ。
分別の弱い10代の頃に外国人を差別するような動画が撮られていたとして、3〜40代になってからそれが世間に公表されたら、それは責任を負わなければならないことなのか。
今回の現実のケースに当てはめると、次のような流れになるだろうか。
バッシングの風潮を「正義を振りかざしている」などと誰かが批判すると、批判者と共に仕事をしてた企業が反応する。彼との現在有効な仕事上の契約がないことを検め、いまは無関係であることを表明する。
「弊社はあらゆる差別・いじめ・虐待などの人権侵害を容認しません」という声明を出す。
そして…
自社のサイトから、彼が登場するコンテンツを、彼の存在を、完全に抹消できてなかったことを、謝罪する。ネットは、拍手喝采する。
さえ
いじめ話がロッキンオンに掲載された時は、編集アホかと思った。小山田氏をずっと好きだったのでショックだったけど、ただ私が昔行っていたコーネリアスのライブには毎回車椅子の重度の障害の方が見にきていて、必ず小山田氏はその人の前でギターを弾いていた。長いこと。まるでその人のためだけにというように。羨ましかったのを覚えています。ほんとの彼は根っこは優しくていい人だと思う。ひねくれていたのが魅力だったのもあり、彼はちょっとおもしろおかしく過激な表現をしたがるきらいがありますから。とにかく、活字にして載せたロッキンオンが馬鹿
https://www.youtube.com/watch?v=AKmg8lCV_Ls
ジャンポケ斉藤の言う通り「人は変わらない」んだよ。
俺も世間で言えば軽い方になるんだろうけど、身体的にも金銭的にも精神的にも、いじめられていたことがある。
ジャンポケ斉藤と同じで、高校に入るときに環境がガラッと変わった
(元の中学から5人くらいしか進学せず、一緒に進学したメンバーはいじめるような人間じゃなかった)ことでいじめはなくなった。
それでも地元にいれば絡まれるし、いたずら電話もしょっちゅうだったし、石を投げられて家の窓を割られることもあった。
俺は耐えて、無視をして、その後はいじめとは無縁の生活を送っている。
でも、ふとした時に当時を思い出して俺をいじめていたやつを無茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られる。
あいつらはいじめたことに対しての報いを受けたのか?過去を思い出して嫌な気持ちになることがあるか?答えはNoだ。
今回いろいろと問題になっている人だって「あー、あの時取材であんなこと言わなければよかった」と思っても
もうまともに仕事しなくても暮らせるくらい儲けてると思うんですけど