心配しなくても、こういう慣習って30年くらいのスパンで変わっていく。
いまなら10年くらいかな。 文句言うだけなら、黙って待ってろガキ。
今すぐ、自分の力で変えたいなら、いろいろ考えて上の人を納得させてみるこった。
誰かに、褒められたいわけじゃない。
それに、嫌なことを嫌というのが、行動じゃないの?
俺が幹事やった時、烏龍茶またはソフトドリンクでの乾杯もOKにしたら、それが気に入らなかったらしく、社会人としての在り方を数十分説法された。
こういう風に、烏龍茶やソフトドリンクの乾杯をOKにしたら、あなた自身も同じように、説教するの?
何が気に入らないの?それこそ、ちゃんと言わなきゃダメじゃない?
何言ってんのとしか思えないです。
>親も子を選べない
>大きすぎる不運
選べない、ではなく養育義務のある子供に対して間違いは指導する。
まるでその親はまったく無関係で、まったく関係ない人間からとばっちり受けたみたいな書き方。
ばかじゃないの、と釣られてみる。
コミュ障なのでその発想に至らなかった。
>いじめられっ子でも、虫をいじめたり殺したりとか、ゲームのキャラを倒して喜んだりしたことはあると思う。
だからなに?
>いじめられてもしょうがない奴、傷つけられてもしょうがない奴、感情をもてあそばれても仕方のない奴、そんな人間は居ないっていうことにたどりついた。
>もっと自分を磨いて、1,2年先に自分なら幸せにできると思えるほどに
>成長できたなら、その時は、
発想が飛躍しすぎ
そもそもいろんな物をあげ続けるのって、友達かね
その物を受け取ったら好意も受けとらなきゃいけないような気がして、重く感じるけど
http://anond.hatelabo.jp/20120706123239
返事が遅くなってすみません。
定格は110Vなんだけど、100Vで動作しています。
いつか来るべき時が今来たというだけなので、悲しいことは悲しいが受け入れることはできている。
9月になったら会いに行く口実がなくなるから、ちょっと焦ってたのかも。
それが正当化できる話ではないのだけれども。
その人に会うたび、差し入れを持って行っていたんだ。
本人の好みとか訊いて差し入れをしてたし、貰って喜んでくれてるって思ってた。
ブログで美味しいとか言ってくれたし。
9月以降も会いたかったから、差し入れ自体を新しい口実にしてしまおうと、
色々と模索して持って行っていたんだ。
喜んで欲しくて、方々を探して、買ってきて。
友達になりたかったのだが、へんな勘違いをされてたような気もする。
結局、信頼を勝ち取ることができなかったという話だけど。
もっと自分を磨いて、1,2年先に自分なら幸せにできると思えるほどに
成長できたなら、その時は、ということは考えてたりしたので、
その辺を見透かされたのかも知れない。
でも、憧れることが罪だったのだとしたら、俺はどうしたらよかったのだろう。
友達になりたいと願うのは志が低かったのだろうか。
恋人になりたいと願い、一挙一投足を観察し、相手のことをもっと考えることが
できたなら、結果的に友達にはなれていたのかな。
考えても答えが出なかったので増田に書いてみた。
演技性パーソナリティ障害 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%8A%80%E6%80%A7%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3
「悲しいの?」
僕は女の子に聞きました。
女の子の手の中には小さなインコが横たわっていました。ジッと目を閉じて固くぴくりともしません。
「その悲しみ、無かったことにしてあげるよ」
僕はそのインコの死骸に触れるのが少し恐ろしかったけど、勇気を出して指先で触れてから、心の中のリセットボタンを押しました。
「もう悲しくない?」
「うん。なんで悲しかったのか忘れちゃった。」
女の子は母親の元に走って行きました。女の子と母親は仲良く手をつないで去っていきました。
喫茶店で、オジサンが険しい表情でじっとコーヒーだけを見つめていました。
「悲しいのですか?」
僕はオジサンに聞きました。
「キミには関係無いだろう。」
オジサンは僕の目も見ず、そう応えました。
すると、オジサンの目の前におかれた飲み物がコーヒーでは無くチョコレートパフェになっていました。
オジサンは、ほとんど顔には出しませんでしたが、内心ウキウキしているのでしょう。
帰り道、交差点のビルがひとつ無くなって空き地になっていました。
テレビを見ていたら、外国でテロ事件があったことを知りました。
痛ましい事件現場の状況をテレビを通じて目の当たりにしました。
僕は居ても立ってもいられず、心の中のリセットボタンを押しました。
すると、見ていたテレビ番組が地元のラーメン特集に変わりました。
僕はテロ事件は無かったことになったのだなと思い嬉しくなりました。
「みんなが幸せになればいい。」
メール送り続けちゃうよね
そんでもって、相手はメール読んではくれていると勝手に期待しちゃって、
一人で距離が近くなったような気になって、
ストーカー化していくんだね
悲しいニュースが多すぎてもう「悲しい」という共感さえ無くしてしまった
スレ数やRT数はてブ数でしか「悲しさ」を図ることができなくなった
何日で「誰かがいじめられて自殺した」というニュースを忘れてしまうのだろう
もうね、誰かが「SOS」発していてもその人数が多すぎて「フーン」としか思えなく
なってしまっているのです
悲惨な追い詰められ方をした子どもは少しは記憶に残るけど、大人はまず記憶に
すら残らない
生きてる内にSOSを発してもスルーか罵倒が返ってくるだけ、自殺してやっとコンテンツとして
注目される
「人権、人権」と呪文をつぶやき続ける人たちは自殺した子どもがマイノリティで差別的言動が
いじめの過程にあったら憤ってくれそうな気がするけど、亡くなったらのが日本人ならスルー
して、加害者の人権を守れという方に向かうんだろうな そっちの方が人権運動には都合が良いから
日本では「他の皆と違う」ということは「面倒臭くて手間がかかって皆に迷惑をかけるから強者が優越感ゲームの
的にしても良い」という暗黙のコンセンサスがある
かといって長期不登校にでもなったら内申響いてレールから外れ、優越感ゲームの的にますますなるだけだし
大人は「我慢しろ」「同じレベルになるな」「時が経てば忘れる」「いじめている側は将来不幸になる」「見返してやれ」といってるけど
要は「めんどくさい事起こすな、泣き寝入りしろ」と言ってるだけ
いじめてる側は公務員などになって結婚して子どももできて一人前と世間に認められる社会人になり
いじめられる側は程度によっては「お空キレイ」と空を見続ける廃人となるか、コミュ障となってろくな
夜中に憎しみで歯軋りして起きて寝汗をかいている自分に気づくことさえあるのに
悲しみはすぐに消えるけど怒りや憎しみは年月が経っても死ぬまで消えないものです
散り積もった皆のストレスを引き受けて誰にもぶつけずられず死ぬ人それはいつも
敗者です
一人に集団で長期間に渡って石を投げないならばそれは許されるべき
皆少しづつ心の弱さを他人に押し付け日々の辛さを支えあいながら暮らしている
それが駄目だというのはポジティブ教信者と左翼教師と人権屋かいじめられている人に反抗されるのが嫌な
「怒り」に立ち向かわずひたすら我慢させ目を背けさせる日本の事なかれ主義がどれだけ卑屈さに甘んじる事を
いじめられる側に強いてきたことか
増田はネットにネガティブなこと書くなというポジティブ教信者たちはこれまでの人生で弱者をさぞかし踏みにじってきたことを思い出したくなくて後ろ暗いんだろうなと思ってる
Parent Directory 16-May-2012 04:33 -
count.cgi 27-May-2010 06:29 1k
delete.cgi 31-May-2010 05:34 2k
junre.cgi 10-Apr-2012 16:18 1k
admin.cgi 13-Jun-2012 09:35 4k
kick_url.cgi 08-Jul-2012 04:12 1k
setting.cgi 08-Jul-2012 04:12 1k
warning.cgi 08-Jul-2012 04:12 1k
言いたいことはわかるが、本人が教訓を得た出来事に対して身近な人間ではないので、
「いじめっこがふられてやんのwww超ざまあwww」
勝ち続けて上へ行くのはそうでもないよ
競争に揉まれて馴れ合いっていうのがチンケなことだってわかってるのはそうならないのよ
でも試合で負けて劣等感植え付けられた連中はそうなれないのよね
ほかの点もそうなんだけど、下記は特にわかりやすいとおもうよ。
彼らは静かで大人しい人間を自分より下に位置づける(いじる対象として見る)。
日本の社会の中で欠けているのは、そういう劣等感の埋め方というかフォローの仕方なんだと思いますよ
そろそろ敗戦国の劣等感から脱却してもいいのでは?ってかこっちのほうなのか、あっちから来た人らなのか、それともその融合か…